15 予言

 二人は、ロキが縛られている洞窟に来た。

 ヨルムはレイヤにその場で待つよう指示すると、ロキとシギュンの方に向かった。

「おぅ。馬鹿息子。随分、早い帰りじゃないか。やっぱりお前はえらい。優秀な息子を持った俺は、ヴァルハラ一の幸せ者だぜ」

「ヨルム様、おかえりなさいませ」

「器は手に入った。しかし、その前に聞くことがある」

「聞くこと?なんだ。女の落とし方でも聞きに来たか?それなら好きなだけ教えてやるぜ。いや、確かお前にはもう女が居たんだったな。そこに居るのはわかってるんだぜ、レイヤ。こっちに来て、顔を見せてくれ」

 ヨルムに従うレイヤは、ロキの言葉は無視することに決めていた。

「ロキ。ラグナロクについて知っていることをすべて話せ」

「あー?何の事だかわからないな」

「しらを切るようなら、このまま帰るぞ。シギュン、ロキの元に居たくないというのなら、私の元に来い。ヴァルハラよりは気の休まる生活が出来るだろう」

「ヨルム様。よろしいのですか?」

「こら、シギュン!お前の大事な夫を置いて居なくなるっていうのか?こんなところに一人で繋がれて、毒浴びて生きるなんて可哀そうだと思わないのか。お前は慈悲深い女のはずだ」

「ならば、答えよ。私の母から聞いたことを洗いざらいすべて」

 ロキは急に、高らかに笑い出す。

「あー。楽しくてたまらないねぇ。つまり、あれか?予言は順調に進んでるってわけか。空はもう暗くなり、世界は凍えているってわけか?」

 ヨルムは、ロキの言葉の意味がわからなかった。しかし、このお喋りな神はヨルムが何も答えない方が良く語る。

「なんだよ、何か言えよ。喋らないつもりか?連れねーな。まぁ、良い。俺の戒めが解かれる日もそんなに遠くないってことだ。やっぱりお前に話すことはねーな」

 戒めが解かれる?バルドルを殺したロキを、こんなに早く神々が許すなど考えられない。オーディンも、ロキを解放したりはしないだろう。

「空は明るく、世界は平和だ。不和の種を振り撒くお前を解く者など居ないぞ」

「なんだ、まだそこまで行ってないのか。まぁ、でも、この毒が後何度か落ちる頃には、空でびかびか輝いている太陽と月をフェンリルの息子たちが飲み込むぜ。バルドルを失って輝きの力が弱まった今こそ、あいつらの出番だからな。光のない暗く冷え切った世界であらゆる生き物は寒さに震え、恐怖に沈む。狂乱の始まりだ。しかし、安心しろ。ムスペルの巨人たちが世界に火を放つ。一気に熱くなるって寸法さ。良ーく出来てるだろ?」

 ムスペルの巨人。

 それは、オーディンの話と一致する。世界の創生の物語、神話の世界でしか語られることのなかった炎の巨人が、本当に地上に来るというのか。

 それが真実なら、世界が終わる。

「あー。言っちまったな。まぁ、どうせすぐに起こることだ。これからが本番の狂宴だぜ。オーディンの奴が必死こいて回避しようとしてる運命の日はすぐ近くまで迫っている!終末へのカウントダウンがはじまった!さぁ、皆さま、こうご期待ってやつだ!」

「黙れ!」

 狂ったように笑うロキに向かって、ヨルムは持っていた器を投げつけた。

「いってーな。おい、馬鹿息子。何すんだ。いや、こいつは良い器じゃねぇか。ドヴェルグの作品に違いない。シギュン。この器はお前のものだ。これはお前の宝になるぜ」

 シギュンはロキの横に転がった器を拾った。

「ヨルム様、頂いてもよろしいのですか?」

「当たり前だ。俺は対価をちゃーんと払ってやったからな」

「構わない。それはシギュンのものだ」

「ありがとうございます。ヨルム様」

「おい、俺への感謝はどうした。お前、ヨルムと会ってから少し冷たくなったんじゃねーか?」

 ヨルムは部屋の隅に行くと、地面に手をつき、彼の力で深い穴を開けた。

「シギュン。その毒は強力だ。ロキが受け止めなければ、この場所に腐敗をもたらす。その器で受け止めた毒は、ここに捨てると良い」

「わかりました。後の事まで御配慮頂き、ありがとうございます」

 シギュンはヨルムに向かって深々と頭を下げた。

 ヨルムには、もうこの場所に用はない。帰ろうと決めたところで、ロキがまた喋り出す。

「おい、ヨルム。ムスペルの巨人が来れば、神々が大地に攻めてくるんだぜ。お前の土地はぼろぼろのずたずたにされるんだ。人間なんて矮小な存在に構ってる暇はないぞ。死にたくなけりゃあ、お前も戦いに備えておけ。なんてったって、お前の相手は……」

「黙れ。お前の指図など受けない。お前は何もかもオーディンと同じだ。だいたい、何故、オーディンに予見の一端を伝えたんだ」

「俺だって、世界が滅びりゃ良いなんて思ってねーよ。あいつがまともな神なら、別に世界は滅んだりしねーんだよ」

 その通りだ。ロキも、最初は予見が外れるよう努力したということか。

 ヨルムはレイヤの方へ行き、レイヤの手を取る。そして、彼女が酷く震えていることに気づいた。

 彼女は、神々の王・オーディンですら恐れる予言を聞いてしまったのだ。

「ヨルム、あの……」

 ヨルムは、震えるレイヤの体を抱きしめる。

「嘘吐きの言葉など真に受けるな」

 それでも、レイヤの震えは止まらなかった。ヨルムはレイヤを抱いたまま、壁に手をついて扉を開く。


 ※


「おかえりなさいませ……。レイヤ様っ?」

「どうかなさいましたか?」

 出迎えた二人は、すぐにレイヤの様子がおかしいことに気づいた。

「心配要らない。少し休む。レイヤ、歩けるか?」

「大丈夫……」

 レイヤは頷いて、ヨルムと共に部屋に入った。


 部屋に入ったレイヤは、もう限界だった。

「ヨルム」

 彼女は、声を上げて泣き出した。

「どうして?どうすれば良いの?こんなのってない。誰も喜ばないよ」

 泣きわめくレイヤをなだめながら、ヨルムはレイヤをベッドまで連れて行って座らせた。レイヤはヨルムに抱き着くと、その胸に顔を押し付ける。ヨルムは彼女を腕に抱き、その背を優しく撫でた。

 心配要らない。

 そう声をかけてやりたいが、ロキの言葉が真実だと知っていたヨルムには出来なかった。

 ムスペルの巨人たち。そして、神々の軍勢。そのすべてから自分の土地を守りきることなど、出来るだろうか。巨人と神がこの大地で戦えば、人間をはじめとした小さくか弱い生き物が真っ先に犠牲となるのは目に見えている。ラグナロクとは、古い神々の運命を決める為のものではなかったのか。何故、大地が蹂躙され、生き物が滅びる必要がある。

 それは、レイヤも同じ思いだった。

 彼女は人の未来が断たれたことを知ったのだ。どれだけ神を信仰しようと、どれだけ正直に生きようと、自分たちには理不尽で恐ろしい死の運命しか残されていない。逃げる場所はどこにもないのだ。自分たちは、滅びの運命を受け入れるしかない。

 レイヤは、故郷の父と母、兄と弟妹たちを想った。村の人々、冒険者仲間、王都の人々の顔を思い浮かべた。大人も子供も、老人も赤子も。王も騎士も農民もすべて、神に比べれば小さく力のない存在だった。

「すまない。レイヤ」

 ヨルムは、打ちひしがれるレイヤにかける言葉が見つからなかった。人々から信仰を集める彼は、オーディンのように人々に滅びを享受するよう告げることなど出来ない。

 しかし、今のヨルムに何が出来ると言うのか。ラグナロクの自分の役割は、一体……。

 ふと、小さな明かりが見えて、ヨルムは顔を上げた。

 彼の机の上で何かが光っていた。その光は浮かび上がると、ヨルムの方に向かってきた。ヨルムは警戒したが、それは本だった。

「アングルボダの予見書……?」

 本はひとりでに開くと、ぱらぱらとページをめくり、最後のページで止まった。

 そうかと思うと、ヨルムの目の前で新しい白紙のページが現れ、そこに文字が加えられた。ヨルムは新しく現れた文字を目で追おうとしたが、それより早いスピードで次々と新しいページと文字が加えられていく。しかし、その内容は読まずともヨルムの頭の中に直接入って来た。

 バルドルの死。ヘズの死。ロキの捕縛。太陽と月は消滅し、星々が落ち、世界は冷える。そして、ラグナロクが始まる。

 これから起こること。神々と炎の巨人たちの激しい戦い。宿命の対決。その結末を含むすべてを、ヨルムは具体的な名前と共に知った。それは、オーディンとロキが語る内容と一致する。

 しかし、ヨルムの解釈は違った。

「そういうことか」

 ヨルムは、ラグナロクの真の目的にたどり着いた。

 それは、この世界に必要なことだった。

 しかし、目的が分かったところで滅びの運命が変わらないことも理解した。それでも、彼は。神として出来ることは、すべて為さなければならない。

 ヨルムはレイヤの肩を掴んで、彼女の体を起こすと、その顔を見た。

「レイヤ。力を貸してくれ」

「え……?」

「頼む」

 ヨルムの真剣な顔に、レイヤは自分の涙を拭う。そして、真っ直ぐにヨルムを見た。彼の瞳は、決して諦めていない。

「わかった」

 ヨルムはレイヤを連れて部屋の奥に行った。そこには、土の壁がある。ヨルムが土の壁に手をつくと、その部分が盛り上がり、白い石のようなものが現れた。ヨルムの手は、それに触れている。

 レイヤは、これに見覚えがあった。滑らかな白い石に施された彫刻は、祭壇と同じ。蛇の鱗の柄をしていた。

 ヨルムは、その白い石に触れたまま目を閉じた。すると、ヨルムの体とレイヤの体が眩く光輝き出した。

 大地の神は、今、奇跡を起こしているのだ。


 丁度、夕暮れ時の出来事だった。

 大地の神を崇めるすべての人々は、神の奇跡を目の当たりにしていた。

 人々の目の前で、草花が成長していった。彩り豊かに花が咲き乱れ、畑の作物が実りを迎え、木々には溢れんばかりの果実が生った。植えたばかりのルタバガが大きく育ち、大きく膨らんだ芋が土から溢れかえり、麦畑は黄金に輝いていた。季節感が全くなく、撒いたものがすべて収穫を迎えたそれは、異常ともいえる光景だった。


 ヨルムは彼の土地の隅々まで自分の力を行き渡らせると、ようやく目を開いた。

 少しふらついた彼をレイヤが支える。

「大丈夫?」

「平気だ」

 彼は答え、もう一度白い石に手をつくと、今度はそこから白い蛇を生んだ。レイヤの腕の長さほどの白い蛇は、次々とヨルムが触れている場所から生まれると、それぞれの目の前に不思議な色合いの小さな空間を作り、その中に入って行った。おそらく、ヨルムの土地のどこかに行ったのだ。

 すべての白い蛇が消えた後、ヨルムは、その場に膝をついた。

「ヨルム、」

 レイヤは彼の傍に座ると、ヨルムの体を抱いた。

「今、何をしたの?」

「私の力を使って、すべての植物に輝きと実りを与えた。これでラグナロクまでに大地に種子を残すことが出来るだろう」

「残せるって……。だって、世界は滅びちゃうんだよ?」

「その言い方は少し間違っている。それに近いことが起こるだけだ」

 レイヤは混乱した。

「助かるってこと?」

「それを保証することは出来ない。しかし、私は私のやり方で、最後まで守るべきものを守るつもりだ」

「ヨルム……」

 この国の神は、何があろうと彼を信仰する人々を捨てない。

「国王と諸侯には伝令を出した」

「伝令って、さっきの白い蛇?」

「そうだ」


 一匹の白い蛇が国王の前に現れた。

 淡く輝く菫の瞳をした白い蛇は、王の信仰する神の化身に違いなかった。

「これから世界は暗闇に包まれる。今、与えられた実りを最後の糧として、長い冬に備えよ。それは長く苦しいものになるが、必ず私は春を取り戻す。互いに助け合い、苦難を乗り越えるのだ」

 国王は、神の言葉を恭しく承った。


 ヨルムが笑う。

「少し力を使い過ぎたな。もう殆ど残っていない。これでは、自分の本体を動かすことも出来ないな」

「えっ?全部、皆の為に使っちゃったの?」

「もともと、信仰によって得た力だ。私を信じてくれるすべてのものに還元しなければならない」

「でも、ロキは人間なんかに構わず戦いに備えろって……」

「嘘吐きの言葉など真に受けるなと言っただろう」

 彼のこの行為が、どのような結果をもたらすのか。

 ヨルムは少し楽しみでもあった。

 このままでは、彼はトールと戦うことなどできない。しかし、予見が絶対ならば、アングルボダはヨルムの行動を予見した上で、そう語ったことになる。

 そして、ヨルムは、ロキとオーディンが屈したアングルボダの予見の力を思い知ることになる。


 大地の神を崇める国の人々は、神の意志を聞いた。

 国王と諸侯、そして神の起こした奇跡を目にしたすべての人々は、同胞に神の意思を伝えて回った。

 そして、人々は大地に座し、その額を地面につけて神に祈りを捧げた。

 これから起こることを教えてくれたことへの感謝を。

 最後の恵みを与えてくれたことへの感謝を。

 必ず春が来ることを約束してくれたことへの感謝を。

 暗い世界に負けることのないよう激励をしてくれた感謝を。

 これまで自分たちを大事にしてくれた感謝を。

 人々は、彼への揺らぎのない信仰を捧げた。


 ヨルムは、人々の深い感謝と祈りを聞いた。

 信仰の力は、すべてヨルムのものとなった。彼は人々の温かい祈りが自分の体を満たすのを感じた。そして、それはレイヤも同じだった。

「信仰って、こんなに温かくて気持ちの良いものだったんだね」

「その通りだ」

 予見は絶対だった。

 彼は、すぐにトールと渡り合える力を取り戻したのだ。

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