ヨルムンガンドの国

智枝理子

01 白い蛇

「これ、どこまで続くの……」

 深い森の中。

 道と呼べるようなものは一つも存在しない木々の間を、彼女はコンパスを頼りに東へ進んでいた。

「本当に、こっちで合ってるんだよね?」

 ここまで長い距離を歩くことになるとは、彼女も想定していなかった。

 鬱蒼と生い茂る草木は、彼女の進む方角はもちろん、時間の感覚さえも狂わせる。現に、昼食をしっかり食べてから出発したにも関わらず、彼女は空腹を感じ始めていた。人より大柄な彼女は元々燃費の良い方ではない。長距離を歩くことを見越して大の男と同じだけの食事は済ませて来たはずだったのだが。

「もう発見されましたって言われたら、歩き損なんだけど」

 誰に聞こえるわけでもない愚痴を吐いたところで、彼女は自分が悲観的な言葉ばかりを口にしていたことに気づき、軽く頬を叩く。

「大丈夫。この道で合ってる」

 良くないことを口にすれば、物事は良くない方向に進む。逆に、良いことを口にすれば状況は改善する。彼女は、そう信じているのだ。彼女は自らを奮い立たせると、更に道なき道を進んだ。

 ここは、神の住まう聖域の森。普段なら一般の人間が簡単に入ることの出来る場所ではない。しかし、今は緊急事態とあって、ある目的の為なら入ることが許されていた。その目的とは……。

 突然、地面が音を立てて大きく揺れ始める。

 ふらつきながら近くの木にすがりつくと、彼女は、その場に身を屈めた。

 そういえば、今日は三日目だったっけ。

 彼女は心の中で呟くと、周囲を見回す。危険なものも危険な生き物も居ない。揺れが収まるまで、ここで大人しくしていることにしよう。


 始まりは、春の祭典のことだった。

 大地を司る豊穣の神に感謝を捧げる祭りは、毎年七日間かけて行われる特別なものだ。この国の人々の信仰を一身に集める神の為の祭典、その五日目に、王国を大地震が襲った。

 最初は神のくしゃみ……、つまり、大きな災害の前兆とは誰も考えずに祭りを楽しんでいた。しかし、その三日後、祭りの余韻に浸る国を今度は小さな地震が襲う。それ以来、この揺れは三日置きに繰り返し起こるようになったのだ。

 異変を感じた国王は、神官に神へ祈りを捧げるよう命じ、宮廷魔術師や占星術師たちに地震の原因を探るよう指示した。

 およそ一月後、魔術師たちは、これを神の怒りと結論付け、生け贄を捧げるよう国王に進言した。さもなくば、大地の震えはその大きさを増し、更なる災害が王国を襲うであろうと。国王は直ちに生け贄に相応しい者を探した。

 そして、一人の少女が選ばれる。

 生け贄は神の住まう聖域の祭壇に捧げられることとなり、少女は王国の騎士団と共に聖域の森へ出発した。

 しかし、一人の騎士が少女を逃がしてしまう。

 生け贄となる少女に同情したのだろう。少女と共に行方をくらませたのは、王国でも第一の騎士と呼ばれる誉れ高い騎士だった。

 国王は急いで少女の捜索に乗り出したが、少女と騎士の足取りは誰も見つけることが出来ない。一方で、三日置きに起こる地震の規模は徐々に強さを増し、一刻も早く生け贄を捧げることが求められていた。

 地震の発生、つまり春の祭典から二ヶ月が過ぎ、最早猶予はないと判断した国王は、二人の捜索に高額な懸賞金をかけることにした。ただし、生け贄の少女は丁重に扱うこと。騎士の生死は問わない。

 これより、国を上げての捜索が始まる。

 冒険者ギルドでは、二人の所持品の発見にも懸賞金がかけられていた。情報が不足していることの証拠とはいえ、わずかな手がかりでも買い取って貰えるとあって、この依頼の受諾者は非常に多い。高額な賞金目当てに異国の冒険者でさえ、神の怒りに震えるこの国を訪れているとも言われる。


 彼女は、小さな鳴き声を聞いて上を見た。そこには今にも落ちそうなリスが居る。

「危ない、」

 木の枝から落ちたリスを、彼女はその手に受け止めた。

「大丈夫?きっと、もうすぐ収まるよ」

 そう言うと、彼女はリスを地面に離してやった。リスは揺れる地面の上を駆けていく。


 彼女もまた、ギルドで依頼を受けた冒険者の一人だった。

 と言っても、出遅れた方だろう。依頼を引き受けたところで、賞金は発見者にしか支払われない。手がかりの一つでも発見しなければ、依頼受諾にかかる手数料、あるいは情報の収集にかかる費用の分、マイナスになる。

 冒険者として優秀な方ではない彼女は、流行に乗るように依頼を受けてしまったことを後悔し始めていた。一攫千金を狙えるとはいえ、あまりにも競争率が高い。

 また、生け贄を見つけて国を救う英雄になろうと語る冒険者たちを見る度に、彼女の気分はより沈んだ。生け贄ということは、少女は死ぬのではないか。誰かの死を望む行為が果たして英雄と呼ぶに相応しい行為なのか。そう考えると、自らの評価を落としてでも一人の少女を救った第一の騎士の方が、英雄に相応しく高潔であったのではないかと。

 それに。彼女は自分たちの神が生け贄を要求したことを、未だに信じられないでいる。長い歴史の中で、この慈悲深い神が生け贄を要求したことなど一度もない。


 ようやく地震が収まり、彼女は立ち上がった。彼女は、前よりも地震が長くなっているような気がした。国に仕える魔術師たちの話は事実らしい。温厚な神を怒らせた原因は誰にもわからないが、神の怒りも人々の怯えも、一人の少女の犠牲を捧げなければ終わらないのだ。

 進もう。

 彼女は方角を確認する為、コンパスを見た。

「あれ……?」

 さっきまで、自分は東に向かって歩いていたはずだ。ずっと顔を向けていた方角も東に違いない。

 にも関わらず、コンパスが示す方角が北に変わっている。コンパスを回したり針を揺らしたりしてみるが、針の指す方角が変わることはない。コンパスが壊れた?それとも、揺れのせいで知らずの内に違う方向を向いてしまったのだろうか。

 彼女は、聖域の森の入口での会話を思い出す。


「手がかりなんて、一つも残っていないですよ」

「何もなくても見ておきたいんだ」

 騎士と少女が行方不明になった場所が聖域の森だと聞いたのは、つい昨日のことだ。

「居るんですよね、そういう方」

 森の番兵は、明らかにげんなりした様子で、もう幾度となく繰り返したであろう口上を述べる。

「東に進み続ければ祭壇に辿り着きます。ただし、ここは聖域。森での殺傷行為は厳禁です。この国において蛇は聖なる存在ですから傷をつけないように気を付けてくださいね。特に、白い蛇は神の化身と言われていますから大切に扱って下さい。もし神があなたの存在を認めなければ、森があなたの存在を拒むでしょう」

 この国が崇める神は、大きな蛇の姿をしているのだ。蛇が聖なる生き物で、中でも白い蛇が神の化身であるとぐらい、この国では常識のはずだが。異国の冒険者までもが集う現状を鑑みれば、この説明も必要か。

 彼女は森の番兵に礼を告げ、コンパスを頼りに東を目指すことにしたのだった。


 そう。東……。

 コンパスが示す東へ進むべきか。自分の歩みを信じて、コンパスが北と訴える方角へ進むべきか。

 悩む彼女の前に、突然、白い影が現れた。

「!」

 一歩引き、辛うじて悲鳴をあげなかった自分を誉めつつ、彼女は目の前の生き物を観察する。

 白い蛇。

 白い蛇が、彼女が休んでいた木の枝に尾を絡ませた状態で垂れ下がり、その顔を彼女の方に向けていた。

 その姿は高貴で艶かしく、光を放っているかのごとく上品で神々しい。白い色の蛇ぐらい、彼女はこれまでに何度も見たことがある。しかし、目の前の白い蛇は今まで見たものとは明らかに違う。一目で異質さがわかる程、特別な存在だ。

 彼女は、これは神の化身に違いないと思った。

 白い蛇は彼女を真っ直ぐに見つめている。観察されているのは自分の方か。このまま立ち去るという選択もよぎったが、彼女の中では好奇心が勝った。

「どうして、生け贄なんて欲しがるの?」

 まずい。この言い方は神に語りかけるには向かないだろう。

 彼女は慌てて口調を改める。

「なぜ、生け贄を欲しがっていらっしゃったりするんでしょうか?」

 全く敬語の体をなさない彼女の言葉に、白い蛇が笑い出す。

「え?」

 そう。目の前で、白い蛇が人の声で笑い出したのだ。呆気にとられる彼女に対し、白い蛇は、今度は人の言葉で語り始めた。

「人の願いを叶える為に人が人を捧げる。ごく自然なことだろう」

 男とも女とも取れない中世的な声。それは、少し子供じみたような声色にも感じられる。

「だからって、まだ若い女の子を生け贄にするなんて……」

「面白い。ここへ文句を言いに来たというわけか」

「そんなつもりは……」

 相手は、本物の神の化身のようだ。怒りを買えばただでは済まないだろう。軽々と口を利いたことを後悔し始めた頃、白い蛇が口を開いた。

「騎士と娘は、お前たちがいくら探しても見つけることは出来ない」

「どういうこと?」

「二人は私の庇護下にある」

「庇護下って……。あなたが守っているの?」

「その通りだ」

 神に生け贄として捧げられるはずの少女が、同じ神によって守られている?そんなことを、誰が考えるだろうか。道理で、王国の騎士たちや、国中の冒険者たちが探し続けても見つからないはずだ。

「あなたは、生け贄にその子が欲しかったんじゃないの?」

「誰かを指定することなどない」

「誰でも良いってこと?」

「神への捧げものならば、健康で美しい人間の乙女に限る」

 好みはあるらしい。

 白い蛇は彼女の前にするりと降りる。長い体の全長は、ゆうに彼女の身長を越えるだろう。白い蛇は降り立った場でとぐろを巻くと、今度は彼女の顔と同じ高さまでその体を伸ばし、その顔を彼女に近づける。

「お前なら十分に満たす」

「え?」

「生け贄になるつもりならば、ついて来い。別の生け贄を捧げるよう王に進言しても構わないが」

 別の生け贄。

 騎士と少女が神の庇護下にあるという情報は、国にとって価値のあるものだ。この情報を持ち帰るだけでも報償金が支払われる可能性はある。もちろん、証拠もなく信じてもらえるかわからないが、新しい生け贄を捧げることによって災害が収束すれば、自ずと真実であったと知れるだろう。

 しかし。

 彼女は、彼についていくことにした。

 別の生け贄が捧げられたとして、また同じことが起きないとも限らない。この白い蛇は、望まずに生け贄になった者を欲しいとは思っていないようなのだ。

 そして、何よりも。

 この白い蛇は、彼女が今まで一度も言われたことのない言葉で彼女を形容した。

 彼女は、それを嬉しく思ったのだ。

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