六章①「家族でもわかりあえないことはあるよ」

 二日後、夜花は祖母の家にやってきていた。

(正直、なにを話せばいいのかわからないんだけど……)


 玄関の前で立ち止まり、動けなくなった夜花の肩を、千歳が軽く叩く。

「そう緊張するなよ。俺がちゃんと仲裁するし」

「うん。……でも」

 二年もの間、毎日行き来して、しかしなかなか慣れなかった玄関は、数日ぶりに見るとさらによそよそしく感じられた。立ちはだかる戸がいやに高く、強固に思えてしまう。


 もはやまったくの他人の家のようで、落ち着かない。

 自分の居場所を見つけたい。千歳のそばがそうであればいい。ただ、そう思ってもやはり、ふとしたときに祖母のことが夜花の脳裏をかすめた。

 このままでは、あれきりろくに話さず、祖母との関係が終わってしまうのではないか。とんでもない不義理をしているのではないか。

 己の中の反抗心はそれでいいのだと囁くが、良心が常に疑問を呈してくる。

 あの、果涯とともに依頼にかかわり、門の向こうに無性に惹かれてしまった日。

 夜花は夕食の席で、正直に相談した。


『だったら、もう一度きちんと話してみれば?』

『……』

『夜花ひとりでなんとかしろなんて言わない。俺が仲裁するからさ』

 夜花としては気が進まなかったものの、千歳には前にも祖母と話し合えと言ってくれている。そして、夜花自身も本当は。

(ここでただ立っていてもしょうがない)

 かぶりを振って、迷いを頭から追い払う。自分を奮い立たせ、夜花は呼び鈴を押した。


 さすがに家出同然に出ていった身で、我がもの顔で家に入るのはおかしいと考えてのことだ。

 けれども、誰も出てこない。

 さらに呼び鈴を押す。中で物音がしないかと耳を澄ませるが、待てど暮らせど反応はなかった。


「留守……? 買い物にでも出てるのかな」

 そうだったらいいな、という希望も含みつつ、夜花はつぶやく。

「鍵は?」

 千歳に問われ、試しに戸を引いてみた。すると、難なく開く。鍵はかかっていなかった。不用心ではあるものの、田舎ということもあり、祖母は在宅のときには玄関の鍵をかけない。

 つまり、鶴は家にはいるのだろう。

(もしかして、具合を悪くしているかも)

 そんな不穏な想像をし、千歳を振り返ると、彼もまた同じ想像をしたのか少し心配そうな顔をしていた。

 夜花は喉を鳴らして緊張を飲み下し、家に上がり込んだ。


 中はしんと静まり返っていた。老いた女性のひとり暮らしには少々広すぎるくらいの家は、人の生活している気配を残しながらも心寂しさが漂う。

 まずは居間をのぞき、台所をのぞく。

 そして、その次に仏間。果たして、鶴はそこにいた。


(ちょっとでも心配して損した)

 二年間、数えきれないほど見た光景だった。

 小さな背だ。座布団の上に座った、子どものように狭く、小さな、やや丸まった背がこちらに向けられている。老いて脂肪が落ち、骨と皮ばかりのように見える祖母の背からは、指先ひとつで崩れてしまいそうな砂の城のごとき脆さと、弱さばかり伝わってくる。

 顔は見えない。けれど、こんなとき鶴がどんな顔をしているのか、夜花は本当は知っている。

 話し合おうという決意が、揺らいだ。


「おばあちゃん」

「……」

「おばあちゃんっ」

 呼びかけるも、鶴は仏壇に向かうのに集中しているようで、夜花の声がまるきり聞こえていないようだ。

「おばあちゃんってば!」

 泣きたくなんてないのに、おのずと涙が目に溜まって、声が震える。

 そこでようやく、鶴はこちらを顧みた。


「誰だい、うるさいね」

 鶴は声の主が夜花だとわかると、迷惑そうに眉をひそめた。

「なんだ、あんたかい。夜花」

「……なんだって、なに」

 どうして、そんなにがっかりしたみたいに。

 文句を言おうとした。でも、それより早く涙が目から零れ落ちてしまいそうで、そんなみっともない醜態を鶴に見せるのが癪で、夜花は口を噤む。


「なにしに来たんだい。もしかして、社城のお屋敷を追い出されてきたんじゃないだろうね」

「……仮にそうだったとしても、ここには帰ってこないよ」

 本当は、もっと穏便に話し合うつもりだった。先日も話し合いには失敗しているので、話をするなら落ち着かなくてはいけないと、そう思っていた。

 けれど、ずっと心に閉じ込めて、厳重に蓋をしていたものが溢れそうだった。

 どうして。どうして祖母は、いつも。


「夜花」

 後ろから千歳が夜花を呼ぶけれど、止まれない。

「いつもそうだよね。この部屋で、ずっとそうしてて。私が呼んでもうわの空なことも、何度もあった」

 鶴は面倒くさそうな顔で黙っている。

「知ってるよ。おばあちゃんは私のことなんて、どうでもいいって。そんなにお祖父ちゃんやお父さんのいるところに行きたいなら、早く行けばいいじゃない」

 口にするつもりのなかった言葉が、次々に飛び出す。同時に、堰き止めていた涙もこぼれだした。


 鶴は、一日のほとんどを仏壇の前で過ごしている。

 懐かしむような、焦がれるような、寂しそうな表情をして仏壇を眺めながら。言葉にせずとも、早くそちらに行きたいと、鶴はいつも全身で語っている。

 社城の男を捕まえて嫁げと夜花に冷たく言い放ち、亡き人にばかり意識を向ける鶴は、どう考えても、さっさと夜花を厄介払いし、彼女が本当に愛していた人たちのもとへ行きたいのだとしか思えない。

 こうして夜花が勇気を出して帰ってきても、鶴はまるで夜花に関心がなく、会話など望んでいないと思い知らされる。それがひどく虚しくて、滑稽だ。

 いかにも孤独です、と言いたげなその態度が癪に障って仕方ない。


「いいよね、おばあちゃんは。行きたいところがあって。……私には、どこも、誰も、なにもないのに」

「なにをバカ言ってんだい」

「バカはどっちよ!」

 呆れたような態度の鶴に腹が立ち、夜花は怒鳴って踵を返す。こんなはずではなかった。でも、もう無理だ。

 大股で荒々しく足音を立てて玄関までくる。

 同時に、夜花のスマートフォンがブー、ブーと振動しだした。

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