五章⑦

「気をつけろよ。まれびとは不幸になる。あの落ちこぼれも、まれびとを使って序列入りを狙ってる。いや、序列入りだけじゃない。なにか企んでるのはまず間違いない」

「なっ、失礼な! なんの根拠があってそんなこと言うんですか」

 あまりにもあんまりな言い草ではないか。千歳がとんでもない悪人であるかのような。

「序列に入れない落ちこぼれが、まれびとの世話なんて身の丈に合わないことをしてんだ。裏があるに決まってるだろ。社城うちはそういうところなんだよ」

「そ……っ」


 そんなはずはない、という言葉がなめらかに出てこず、夜花は口を噤む。

 ついさっき、自分はなにを思った? なぜ、千歳がここまで夜花を大切にしてくれるのか、疑問に思わなかったか。

(千歳くんが、私をなにかに利用しようとしてる?)

 彼は初めから夜花に優しく、親切だったし、その言動は信ずるに値するものだと信じている。だが一方で、確かに千歳のことを夜花はあまり知らない。彼が本当に心から親切な人間なのかも、断言などできないのだ。

 不老不死であるという秘密を教えてもらい、特別な関係になれた気がしていた。だが。


「まあ、いい。とにかく注意しとけ」

 夜花の胸中には、さまざまな考えが浮かんでは消える。

 垣間見た昔の記憶と、門の向こうに行くことを求めてしまった気持ちと。果涯からの忠告がひたすら、渦巻いていた。


   ◇◆◇


 現地で果涯と別れ、屋敷に帰り着いた千歳は夜花と二人、離れに続く道を歩く。

 ちらりと、隣をうかがう。

 夜花はなにやら深刻な表情で黙り込み、考えごとに耽っているようだった。

(……あのとき、必死になりすぎてきつく言いすぎた? それか、果涯に気になることを言われたか)

 彼女が鳥居の向こう、異境に引かれているのを見たときは年甲斐もなく、なりふり構っていられなかった。

 自分はたぶん、彼女の心の奥底に澱む闇を甘く見ていたのだろう。

 経歴は調べた。たった十七年に満たないまだ短い彼女の人生を調べるのは簡単で、彼女が寂しさを抱えていることなども想像に難くない。そういう子どもには優しく、親切にすればいい。長く生きて、その類いの人間に接するコツはわかっている。


『……家なんて、雨風をしのげればどこも同じですから』

 当主と対面したときの、あのひと言。あれを口にしたとき、彼女の中に深く昏いなにかを垣間見た。けれど、そこまでとは思っていなかったのだ。

 開いた門の向こうに抵抗もせずぼんやりと引かれ、流される彼女は、この世になんの未練も執着もないようだった。むしろ、あちらに行きたいと……そんな心の声が聞こえてくるようで。

 それを目の当たりにして、千歳は頭を殴られたがごとき衝撃を受けた。

 いくら優しくしたところで、夜花にとって意味はないのだ。所詮、一時をともに過ごすだけの間柄だとしか、彼女は思っていない。千歳の存在は彼女を引き留めるための楔になっていない。現実を知ると同時に、彼女の抱える孤独の濃さと、長い人生を言い訳にした己のいい加減さを突きつけられた。


 なにが、優しくすれば、親切にすればいいだ。接するコツはわかっているだ。

 千歳はなにもわかっていなかった。自分がいかに怠惰であったかも。彼女の抱える感情には、次々と人に置いていかれる感覚には、覚えがあったはずなのに。

 だから、あれは命を大切にしない夜花への憤りであるとともに、千歳自身への怒りでもあった。

 夜花に去ってほしくないのなら、もっと必死に、全力で引き留めなくては。


「千歳くん」

 ふと、夜花が歩みを止め、小さく呼びかけてくる。

「どうかした?」

 千歳も立ち止まり、いつもどおりの笑みを浮かべ、夜花に向ける。上手く笑えているだろうか。せめて、彼女を不安がらせないように。

 少し迷う素振りをみせてから、夜花は口を開いた。

「……私、千歳くんのそばを居場所にしてもいい?」

 ぽつり、と夜花はこぼす。

「私の居場所、ずっとわからなくて……どこにいてもだめになっちゃうんじゃないかって、そう思ってたの」


 服の裾を両手でぎゅっと握り、眉尻を下げてこちらを見つめる彼女の瞳は、不安げに揺れていた。普段より幼く見えるその様子に、胸が締めつけられる。

 彼女はその歳で、どれだけの孤独を抱えてきたのだろう。

 千歳とて長い孤独の中で生きてきた。けれど、少なくとも夜花と同じ歳の頃にはそれほどの苦悩はなかった。

 独りのつらさは知っている。手のひらから大切なものがぼろぼろとこぼれていくときの寂しさも、それを止められない悲しみも。


「居場所なんて、俺もないよ」

「え?」

 失うくらいなら、あとから絶望するとわかっているのなら、最初から期待しなければいい。そうやって常に一線を引いて生きている。夜花も……千歳も。

「長く生きてきたからさ。しっくりくる場所なんてもうどこにもない」

 自分の浮かべている笑みが困ったように歪むのを、千歳は悟った。

「だからさ、あんたが俺を居場所にしてくれるなら、そこが俺にとっても居場所になるのかもしれない」


 まったく言うつもりのなかった本心が、口から転がり出てくる。

 不甲斐ない自分でも、夜花が居場所にしたいと言ってくれるのなら、それに応えたい。きっと彼女がいる場所が、千歳にとっての居場所にもなる。

 だってもう、千歳はなにがあっても夜花から離れるつもりはない。

 それはたぶん、彼女に利用価値があるからだけではなく――千歳が、そうしたいからだ。孤独にさまよう夜花を、放っておけないと思ってしまった。


「行くか」

「……うん」

 二人はまた、歩き出した。

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