五章⑥

「千歳くん?」

「バカ夜花! なんで門に引っ張られてるんだよ」

 千歳は形のいい眉と目尻を吊り上げ、座り込んでいる夜花の両手を強く握る。

 まだ夢見心地だった夜花だけれど、千歳のあまりの剣幕に、徐々に意識が現実へと戻ってくる。


「ご……ごめん」

「ごめん、じゃない! どれだけ危ないことしたか、わかってるのか!? あのまま門の向こうに行ってたら、二度とこっちに戻れなかったかもしれないんだぞ」

 わかっていた。あのとき、急に頭の中がクリアになっていろんなことを感じとっていたから、門をくぐったら最後、もうこちらには戻れないと。

 でも、それでもいいと思ってしまったのだ。

 言葉にしなくても、夜花の内心を察したように、千歳は悲しげに表情を歪める。


「バカ」

「うん、ごめんね」

「……俺は、あんたがいなくなったら嫌だよ」

「……」

「俺たち、一緒に歩き出したばっかりだろ。これからまだ、あんたはもっと変われるし、あんたを必要とする人も現れる。だから、あっちへ行くのはもう少し先じゃだめか?」

「……そう、だね。本当に、ごめんね」

 千歳からしたら、夜花は自殺しようとしたに等しいのだと、だんだん理解できてくる。そんなつもりはなかったけれど、状況を見ればそうなってしまう。

 確かに、まだ千歳とは知り合ったばかりだし、まれびとにもなったばかりだ。将来を悲観するには、まだ早いのかもしれない。

 いつ死んでも平気だとは漠然と思っていたけれど、今すぐ死にたいとは思っていないから。


「止めてくれて、ありがとう。千歳くん」

「……わかればいい」

 顔を背けた千歳の声は、どこか震えていた。

 あらためて周囲を見回すと、状況を理解できずに呆けているマサと、不機嫌そうに眉を顰めて立っている果涯が目に入った。

《ともかく、がらくたに染みついていた霊と念は、すべて異境に還ったのです。一件落着なのです》

 夜花の膝の上で、仕切り直すように壱号が言う。

「そっか。ありがとう、壱号さんも」

《そこのガキのついでなのが気に食わないのですが、許すのです。たいしたことではないのです》

 鼻を鳴らし、得意げにすまし顔をする壱号に、夜花は少し笑った。


「えーと、なんだかよくわからないけど、解決したってことでいいんですか……? ていうか、その唐突に入ってきたその中学生は誰?」

 なにがどうなったのか、見鬼がないためになにもわからなかったであろうマサは、心許なげに視線を果涯へと向ける。

 果涯は腕を組み、しかめ面のまま一度、舌打ちをした。


「詮索すんな。霊障の原因はすべて祓った。依頼された分の仕事は終わりだ。依頼料は事前に指定した口座に振り込んでおけ。踏み倒したら、こっちのやり方で取り立てるからな」

 マサに向かって言い放ち、果涯は踵を返しつつ、夜花と千歳のほうを見遣って顎をしゃくる。

 これは、『表に出ろ』という意味だろう。

 今回の件、夜花は横からしゃしゃり出て果涯の面目をつぶしたばかりか、事態を大きくしかけた。おまけに、彼は千歳を嫌っている。これからこっぴどく詰られるに違いない。


 アパートを出て、車を停めているあたりまで来ると、果涯は足を止めた。

「おい、落ちこぼれ。てめえは席を外せ」

「断る」

 飄々とした態度ではあるが、頑なさの滲む口調で千歳が返す。その小さな背に、夜花を庇いながら。

「俺をのけ者にして、夜花になにをしようとしてるのかな、果涯」

「邪推すんな、雑魚が。ただの会話だっつの」

 果涯はイライラと舌打ちをする。それを見て、夜花は千歳の肩を叩いた。


「千歳くん。大丈夫だから」

「けど、たぶんあんたの正体、さっきのでバレたぞ」

「うん。でも、変なことする人じゃないと思う。だから、少し話させて。あ、それと――」

 渋々、夜花と果涯から距離をとる千歳に、夜花は声をかける。

「迎えに来てくれて、ありがとう」

 おそらく、当主との打ち合わせを終えてすぐ、どうやってか夜花の位置を特定し、急いで追いかけてきてくれたのはわかる。

 彼が夜花に、どうしてそこまでしてくれるのかは、わからないけれど。


 あらためて、果涯と向き合った。彼はこちらを鋭く見下ろしてくる。

「お前、何者だ?」

「…………」

「いや、この質問は適切じゃねえな。――お前、もしかしてまれびとか?」

 夜花は、ぐっと手に力を入れ、果涯の目を見つめ返した。予想どおりの問い。動揺も、迷いもない。

『もし気づかれて接触されたら、そのときは堂々としてればいい』

 果涯のほうから夜花がまれびとだと気づいて接触してきたわけではないが、状況的には千歳に教えてもらったとおりにすれば問題ない。


「はい。そうみたいです」

 果涯の視線がますます鋭利になり、夜花を観察しているのがわかる。

 最初は彼のことを、千歳を一方的に貶す嫌みな男だと思っていたけれど、行動をともにしてみてわかった。やはり序列四位は伊達ではない。夜花がまれびとだと知っても、一喜一憂するでもなく、冷静に物事を見極めようとしている。


「そのこと、親父……当主は?」

 しばしの沈黙ののち、果涯はゆっくりと夜花に問う。

「知ってます」

「じゃあ、あの落ちこぼれもグルか?」

 果涯の視線が、ちらりと離れた場所に立つ千歳を見遣る。

 呼び方は気に入らないが、答えは是だ。顔をしかめてうなずいた夜花に、果涯は嘆息した。


「ったく、なにがどうなってんだ。まれびとが二人なんて聞いたことねえぞ」

「…………」

「が、はっきりしてることもある」

 果涯は独り言ちると、夜花に顔を近づけ、真っ直ぐに目線を合わせてきた。

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