五章③

 鈍い響きの混じった高い音が部屋内に響いているのが、玄関扉越しに聞こえる。物音はない。留守だろうか。


 しかし、しばらくするとかすかな足音と人の動く気配がし、

「ど、どちらさま、ですか……?」

 と怯えながら問う男の声が扉の向こうから聞こえてきた。果涯が舌打ちしそうな顔をするのを、夜花は横目で見る。

「社城の者だ。あんたの霊障を見にきた」

 ずいぶんと横柄な態度で堂々と答える果涯。すると、ドアチェーンをかけたままゆっくりと扉が開き、隙間からひとりの青年が青ざめた顔をのぞかせた。あの動画に映っていたマサで間違いない。


「ほ、本物の人? 本当に、助けに来てくれたのか?」

「間違いなく人だが、助けるかどうかはてめえの状況しだいだ。この自業自得野郎」

「ひっ」

 不良まがいの果涯に怯えた様子で、マサは肩を震わせる。

「おい、早くチェーンを外せ」

「ほ、本当に助けてくれるんだよな? 本当に、本当だよな?」

「だから、状況しだいだっつってんだろうが」

 果涯は苛立ちもあらわに盛大な舌打ちをした。その振る舞いがますますマサを怯えさせる。このままでは埒が明かない。

 夜花は一歩前へ出て、マサの視界に入った。


「ちょっといいですか」

「き、君は……?」

「ええと、助手です。あの、ひとまず中へ入れてくれませんか。この人、本物の社城家の人なので大丈夫ですよ」

 いたって普通の女子高生である夜花を見て、マサは少し警戒を解いたようだった。彼はいったん扉を閉め、チェーンを外す。

 同時に、果涯が玄関扉を強引にめいっぱい開け、ずかずかと中に入っていった。遠慮も礼儀もあったものではない。


「お……お邪魔しまーす」

 夜花は一応ことわってから、果涯に続いておそるおそる部屋に上がった。

 中はごく一般的な1Kの一室で、キッチン周りも居住空間である洋室も荒れている。ビニール袋に詰め込まれたゴミや、ぐちゃぐちゃの衣類が部屋の隅に固めて放置され、床も壁際などには埃が溜まっていた。

 ただ、それが霊障によって生活が乱れたゆえか、あるいは住人の性格ゆえかは、夜花にはわからない。

 果涯は不躾に一度、ぐるりと室内を見回してから、仁王立ちで腕を組む。


「で?」

「え?」

「え、じゃねえよ。てめえが依頼してきたんだろうが。霊障ってのは?」

 マサは果涯の質問にますます顔色を悪くしつつ、おずおずと口を開いた。

「声が、ずっと……朝も昼も夜もなく聞こえてるんだ。少しの間、聞こえなくなったかな? と思っても、ふとした瞬間にまた聞こえて。寝ていても夢の中で……たくさんの人が苦しんで呻くような声が。それに、この部屋の中でも、人影のようなものが鏡や視界の端をよぎって……」

 思い出して恐怖を覚えているのか、マサは身体を震わせ、縮こまる。

 今の彼に、動画内でテレビのリポーターさながらに明るく、はきはきと話していた面影はない。


「ふうん」

 けれども、果涯のほうはといえば、マサの話を聞いてあからさまにつまらなそうな表情になった。

「たいした霊障じゃねえな。そのくらいなら一瞬だ、一瞬」

 ぞんざいに言い放つと、果涯はにわかにポケットから数珠を取り出し、それを持った左手を真っ直ぐ前に突き出す。

「――」

 その姿勢のまま目を閉じ、果涯はごく小さな声でなにかを唱えた。

 千歳の例から考えると祝詞や経のようなものだろうが、よく聞こえなかった上に、夜花に判別できるほどの知識はない。

 ごく短い呪文を唱え、果涯が目を開ける。


「終わったぞ」

 同時に、部屋の中の澱んだ空気が、心なしか軽く清らかになった気がした。

「も、もう終わりですか?」

「ああ。この部屋に満ちていた、死者の念は祓った。てめえのは霊障は霊障だが、はっきりとした霊体がいたというよりは、あの廃村の残留思念みたいなものがついてきて、てめえの精神に異常をきたしていたっていうほうが正しい」

「そ……そうなんですか……? でも、フーマさんはあの廃村は本当に怖ろしい場所だって……」

 視線を左右にさまよわせるマサを、果涯は鼻で笑う。

「配信系霊能者だか霊能系配信者だか知らねえが、詐欺師か、あるいはたいして力のない霊能者だったんだろ。こっちはプロだ。一緒にされたら困る」


 果涯の言葉は横柄にもほどがあるけれど、夜花としてはうなずける部分もあった。

 ネット上の自称霊能者を信じる危うさ。それを危ういとも思わない迂闊さ。彼らは一度、ネットリテラシーというものを勉強したほうがいい。

「今ごろ、そのフーマとかいうやつも霊障にあって、自分じゃどうしようもなくなってるんじゃねえか」

「あ、じゃあ、もしかして今井さんも……」

 夜花はアルバイトを欠勤しているという今井のことを思い出す。すると、意外そうにマサが夜花のほうを見た。


「君……あいつの知り合い?」

「いえ、知り合いというほどではありませんけど。バイト先が同じで」

 そう、と青年は目線を下に落とした。

「あいつもたぶん、困ってると思う。俺は運よく、伝手をたどってこうしてなんとかしてもらえたけど、普通はあの社城家が霊能一家だなんて知らないし……そもそも、心霊現象なんて信じてなかったし」

「まあ、ですよね」

 苦笑いで同意した夜花に、果涯が「もういいか」と声をかけてくる。

「依頼されてないやつの分は、こっちの仕事じゃない。用は済んだ。帰るぞ」


《まだなのです》

 ふいに壱号が口を開く。その声は存外よく響き、踵を返しかけた果涯は足を止めて、眉をひそめた。

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