五章①「あんたの行動、この頃からいちいち冷や冷やするんだよ」
千歳が母屋で当主との打ち合わせを終え、離れに戻ると、玄関で困り顔をした松吉と出くわした。
時刻は午前十一時になる少し前。
普段ならばまだ、松吉は掃除や買い出しに精を出している時間である。
「どうした?」
玄関扉が閉じるのと同時に訊ねた千歳に、松吉は飛びつかんばかりの剣幕で異常を訴えた。
「千歳、大変だ。坂木さんが戻ってこないんだ」
「は?」
「十時過ぎに散歩に行ったきり……敷地内を散歩してるはずなのに、時間がかかりすぎているから心配で」
「え……」
十時過ぎに出かけたなら、すでに四十分以上経っていることになる。いくら社城の敷地が広大だからといって、散歩にしてはやや長い。
また、千歳がここに戻るまでの間、それらしき姿も見なかった。
ただし、夜花につけている壱号から緊急の知らせはない。本当の危機ならば、壱号がゆきうさ同士の意識ネットワークを通じ、他のゆきうさを介して知らせてくるはずだ。
万が一、壱号が滅されて連絡ができないとしても、ネットワークの接続が切れるので他のゆきうさが気づく。
(ってことは、重大な事件が起きた可能性は低いか)
だが、もし夜花が攫われて、犯人が護衛役である千歳の手の内を熟知していたなら、なんらかの方法でゆきうさのネットワークを封じている可能性もゼロではない。
どちらにしろ、放ってはおけなかった。
千歳は急いで家の中へ入り、階段を上がると、夜花の部屋の扉を開ける。
年頃の少女の部屋に無断で侵入するのは気が咎めたが、近頃、ゆきうさたちはこの部屋に入り浸っているので、むしろ呼ぶより足を運んだほうが早い。
ところが、そんな後ろめたさは室内を目の当たりにした瞬間、吹き飛んだ。
「うわっ……なんだこれ!?」
仰天して、千歳は声を上げる。
物の少ない、整頓された部屋。隅には未だ段ボールが積まれており、机の上にはわらわらとゆきうさたちが寄り集まって白い塊になっている。……のは、いいのだが。
室内は驚くほど清浄かつ、神秘的な気に満ちていた。
聖域化している。神たちが好むような、神秘と清らかさで満たされた空間。部屋全体が、さながら神社のようになっている。
「なんで」
自問して、原因などひとつしか考えられないと、千歳はため息を吐く。
「マジか……」
普通の人間が、普通に暮らしていて、部屋が聖域化することなどありえない。当然、部屋が特別なわけでもない。であれば、おそらく夜花のまれびととしての能力がこの状況を生んだのだ。
どうりで、ゆきうさたちがこの部屋に集まりたがるわけである。
ゆきうさは怪異というより精霊と呼ぶべき神の眷属なので、神社と同じようなこの空間は他の場所より居心地がいいのだろう。
(聖域を作り出すなんて、一流の神職の者でも簡単にできることじゃない)
と、千歳は首を横に振る。
今はそんなことを考えている場合ではない。夜花がまれびととしての力に目覚め始めているならなおさら、千歳の目の届かない場所に長く置いておくわけにはいかなかった。
「ほら! いくぞ、お前ら」
《いやなのですー!》
《行きたくないのですー!》
「うるさい。夜花になにかあったら、この部屋も元どおりただの部屋になるんだぞ!」
ぶーぶーと不平を鳴らすゆきうさたちを黙らせ、白いもふもふの塊を強引に抱え上げた千歳は、そのまま早足で家を飛び出した。
◇◆◇
果涯という青年に強引に仕事に付き合わされることになった夜花は、現在、自動車の助手席に乗せられ、どこかへ向かっている。
果涯のものだという車は、真っ赤で平たい車体をしていた。車には詳しくないが、おそらくはスポーツカーというやつだ。本来、大学生くらいの若輩がほいほい持てるような代物ではないのだろうが、社城家の人間にとっては違うのかもしれない。
そして、夜花が助手席でなにをさせられているかというと。
コミカルで軽快な音とともに、手元のスマホに映ったのは、黒い背景に『男ふたり廃墟旅』という白抜きの文字。
夜花はなぜか、動画サイトで素人の廃墟探訪動画を見せられていた。
「これ、本当に見なきゃだめですか?」
「だめに決まってるだろ。ガタガタ言わずにさっさと見ろ」
運転席でハンドルを握る果涯にぴしゃりと言われ、夜花は首をすくめる。
(私、廃墟に興味ないんだけどなぁ)
おまけにいかにも登録者数も再生数も少ない、素人感丸出しのチープな動画である。普段だったら、絶対に見ない類いのものだ。
とはいえ、これから向かう仕事に関係があるから見ろと言われれば、一応、見習いの身分である夜花は従わないわけにはいかない。
夜花はいったん停止させた動画を、しぶしぶ再びスタートさせた。
〈はい、どーも! 廃墟旅でーす〉
そんな気の抜けた挨拶とともに、自動車の中らしきところで二人の若い男性が並んで座っている姿が映る。窓の外は暗く、車内のライトを点灯させているので、撮影しているのは夜だろう。
画面下に彼らの通称と思しき、『よっき』『マサ』というテロップが出る。
〈さて、地元のいわくつき廃墟を巡っている我々ですが、今日はですねー……特にすごいですよ!〉
〈まさにスペシャルですね。場所も人も〉
〈そうそう場所も人もね〉
だらだらとしゃべる青年二人を眺めていた夜花は、ふと、首を傾げた。
(あれ?)
よく見ると、先ほど『よっき』とテロップの出ていた片方の青年に、どこかで見覚えがある。彼らの年齢からして大学生くらいなので、学校ではない。とすると。
「あ! 今井さん!」
ひらめいて思わず声を上げた夜花に、隣の果涯がうるさそうに顔をしかめた。
「今井? 誰だ、そりゃ」
「私と同じところでバイトしてる、大学生の男の人です。この動画の、口数が少ないほうの人。『よっき』? って名前の!」
「へえ」
続けて動画を見る。
ひと通りの雑談を終えたらしい青年二人は、今井のほうがカメラを持ち、懐中電灯を手に車を降りる。そこで車の外で待機していたと思われるもうひとりと合流した。
ゲストと紹介されたもうひとりは、フーマ、と名乗る霊能者だった。ぶかぶかのパーカーを着てフードを被り、顔に翁面をつけた人物で、背は高そうだが、性別や年齢は判然としない。
〈えー、フーマさんはご自身で配信活動もされている霊能系配信者でして、チャンネルのURLは概要欄に――〉
紹介が終わると、さっそく三人は舗装されていない夜の道を歩き出した。山の中なのか、雑木林の中なのか、時折、懐中電灯の光に羽虫が寄ってくる。
彼らが向かっているのは、とある廃村だという。
数十年前に一夜にして焼け落ち、村人がひとりもいなくなったという都市伝説にも似た、いわくのある廃村のようだ。
ざくざくと足音を立てて進んでいった一行は立ち止まり、懐中電灯で前方を照らした。
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