四章⑧
そのまま、夜花は敷地内を歩いて見て回る。
青々とした和風の庭園と、古びていても趣のある木造の屋敷は、いくら見ても飽きない。この一週間でだいぶここでの暮らしにも慣れたし、風景も見慣れたと思ったけれど、あらためて眺めてみると、ただ通り過ぎるのとはやはり違った。
中学のときの修学旅行で見学した、古都の神社仏閣に通ずるところがある。
(静かだな……)
現在、この屋敷に住んでいるのは、当主一家と他の縁者たち、住み込みの使用人が数人。おそらく総勢で二十人いるかいないかくらいである。
通常の家庭に比べれば多いが、この広大な屋敷に住める人数で考えると、少ないほうだろう。静かでも不思議はない。
そして、歩いていると時折、風に乗って鼻腔をくすぐる香り。
ほのかに香るその柑橘に似た匂いのもとも、ようやくわかった。庭のあちらこちらに植えられている、濃い緑色をした厚い葉の低木だ。花はすでに終わりかけのようで、木の下には萎びた小さな白い花弁が落ちている。
(なんていう木だろう?)
あいにく植物には詳しくないので、その木の名は夜花にはわからない。
気の向くまま、夜花は敷地の隅のほう、屋敷の陰になって日もあまり差していない様子の一角に足を向ける。
そこにも柑橘の香りを漂わせる木が幾本か植えられており、ちょっとした茂みを作っていた。
(あれ?)
茂みのすぐそばに、ひとり、人が佇んでいる。
男性らしきうしろ姿だ。なにをしているのかとよくよくうかがうと、彼の足元には小さな石碑のようなものがあった。
石碑というよりは墓標、のほうが近いかもしれない。
ちょうど人の頭ほどの大きさで、風雨にさらされて表面はざらついている。なにか文字も彫り込まれていた形跡があるものの、かすれていて読み取れない。
夜花が石碑に気をとられているうちに、近くに立つ人がこちらを振り向いた。
「お前――」
その声に夜花が視線を上げれば、訝しげにこちらを見る目と目が合う。
「あっ」
その顔には見覚えがあった。
二十前後の長身の美丈夫で、容貌は整っており、野性味がある。……あの、千歳とともにトンネルへ行った日に門の前で遭遇し、千歳に嫌みをぶつけていた青年だった。
思わず声を上げた夜花に、青年――確か、千歳に『果涯』と呼ばれていた彼は、軽く舌打ちをする。
「誰かと思えばお前かよ、遠縁の女。なにしに来た」
「な、なにって、ただの散歩ですけど」
夜花の中で目の前の青年は、嫌なやつ、という印象が強く、おのずとつっけんどんな態度をとってしまう。
しかし、内心は心臓が慌ただしく脈打っている。
なにしろ、なんだかんだとこの一週間、千歳や当主、瑞李以外には社城の者と直に顔を合わせる機会がなかった。つまり、術師見習いという仮の身分を名乗る機会もろくになかったのだ。
「ここの敷地をうろうろしてるってことは、お前が例の術師見習いだったのかよ」
案の定、青年にそう訊ねられた夜花は、慎重に首肯する。
「そう、ですけど」
「なんの用だ、こんなところに」
嫌みっぽい口調ではないが、青年が夜花を怪しんでいるのが察せられた。怪しみ、警戒している。この場所は、安易に近寄ってはいけないところだったのだろうか。
「……ここは、なんなんですか?」
青年は夜花の問いに「そんなことも知らねぇのか」と小さく吐き捨てる。
「見習いごときが、いちいち教えてもらえると思ったら大間違いだ。甘えんな」
ほとんど独り言のように言い、青年はまた、ちっ、と舌打ちをした。
彼の表情や態度に、おちゃらけた雰囲気はいっさいない。それどころか、切羽詰まった負の感情すら感じとれる。憎しみか、怒りか……悲しみか。
それは、己が不老不死であると告げたときの、千歳の雰囲気にもよく似ていた。
青年は左手首の腕時計を見遣り、再三、舌打ちをする。舌打ちがどうやら癖になっているようだ。
「おい」
「……はあ」
不躾に呼ばれ、夜花は眉をひそめつつ、おざなりな返事をする。
「お前、一緒に来い」
「どこへですか?」
「仕事だっつの。それ以外にあるかよ。見習いならつべこべ言わずに黙ってついてきて雑用でもしとけ」
尊大に顎をしゃくってみせる青年。その仕草が甚だ癪に障り、夜花は頬の筋肉を引きつらせた。
「嫌です」
「あ? 見習いごときが口ごたえすんのか」
青年に眼光鋭く凄まれ、夜花は一歩、後退る。が、大股でずんずんと近づいてきた青年に「来い」と腕を引かれ、ついていかざるをえなくなった。
「壱号さん、な、なんとかして……!」
《無理なのです。さしものゆきうさも、ひとりで序列四位とは戦えないのです》
「なにそれ! お目付け役の意味なくない!? というか、序列四位!?」
夜花は目を剥いて、己の腕を掴む青年を見上げる。すると、青年に思いきり睨まれた。
「なんか文句あるか?」
おそらく現当主の近親者で序列十位以内だろうとは予想していたが、思っていたよりも実力者らしい。言動が完全にチンピラだったので、侮っていた。
「だ、だって私、まだあなたの名前すら聞いてませんので!」
夜花もまた、青年を精いっぱい睨む。青年は夜花のその言葉に、やや驚いた表情をした。
「本気で言ってんのかよ」
「なにか、いけませんか?」
「社城の縁者で、術師見習いなのに俺を知らないとか、なにお前。やる気ねぇの?」
あまりに大真面目に偉そうな物言いをする青年に、夜花は憤りとともにもはや絶句するしかない。
青年は信じられない、みたいな顔をしているが、夜花からしてみればそちらのほうが信じられない。とんだ自信家だ。
夜花が二の句を継げずにいると、青年は舌打ちをしてから大きくため息をついた。
「序列四位、社城果涯。ちゃんと覚えとけ、不真面目女」
《ついでに言うと、現当主の次男なのです》
「うるせぇ! 埃が、燃やすぞ!」
「ちょっと、壱号さんのもふもふを燃やしたら、私が許さないから!」
ぎゃあぎゃあと言い合いながら、こうして不本意にも、夜花は青年――果涯の仕事に同行することになった。
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