四章⑤
◇◆◇
裏門近くは、人があまり通らない。やや離れた場所にあるグラウンドから部活動に励む生徒たちの声が時折聞こえるが、それだけだ。
晴は夜花と並んでコンクリートの段差に腰を下ろしていた。
瑞李と、夜花の連れだという千歳という少年には、互いの姿が見える範囲で距離をとってもらっている。
(ドキドキする……)
隣の夜花を、横目にちらりと観察する。
先ほど声をかけたときは、あまりにも緊張してろくに言葉が出てこなかった。
晴にとってクラスメイトの坂木夜花は、接点のない――いわゆるスクールカーストにおいて自分より上のほうにいる、軽々しく接点など持てない相手だ。
明るくて、人当たりがよくて。アルバイトもしているらしいのに、テストでの成績もいい。なにより、煌びやかさや派手さはないものの、ぱっと見て不思議と目を引かれるかわいらしい外見。
すべて、晴にはないものである。自分が周囲より飛び抜けて劣っているとは思わないが、彼女には劣等感を抱かざるをえない。
だから、話しかけたくとも、気後れしてなかなか実行には移せずにいた。
(しっかりしなきゃ。わたしは、瑞李の伴侶に選ばれたんだから)
そう、今日からの小澄晴は、誰かに気後れしている場合ではない。
『晴。君は僕の生涯でたったひとりの伴侶。なにがあっても絶対に守ると誓う。だから、堂々と胸を張って。今日この時から、君は誰にも脅かされない』
あの夜、びしょ濡れになって震える晴に、瑞李はそう優しく囁いた。
最初は詐欺かなにかかと疑い、意味がわからなくて怖かった。もちろん、この土地に住む者である以上は晴も社城家について知っていたけれど、まれびとだの伴侶だのつがいだの、聞き慣れない単語に翻弄されっぱなしだった。
(わからないなら、わからないままでいい)
晴にはなにもない。安らげるあたたかい家も、寄りかかれる家族も、愛も、ない。けれど、瑞李はそれらをくれると言った。騙されていてもいい。くれるなら、もらおうと。
たとえ仮初の安息だとしても、救われたかったから。
「……それで、話って?」
夜花も、おそらくは晴の話したい話題には見当がついているのだろう、神妙な面持ちで訊ねてくる。
「う、うん。じゃ……じゃあ、あの、ずばり訊きたいんだけど」
「うん」
「坂木さんもあの湖に落ちた日……まれびと、に、なったよね?」
思い切って問うと、夜花は口を噤んで考え込む素振りを見せる。
元より、晴は引っ込み思案でコミュニケーションに苦手意識がある。そのせいで、彼女の一挙手一投足に緊張してしまう。なにかまずいことを言ってしまったのではないか、不快感を与えてしまったのではないか。気になって焦って、息苦しい。
「あ、あのね」
不安が溢れ、晴は言い連ねる。
「わたし……まれびとの力に目覚めてから、幽霊とか怪異とか……そういうのが視えるようになっちゃって、あの、それは瑞李にちょっと抑えてもらってるんだけど……でも、同じまれびとの気配だけは『ああ、この人は他の人と違う。同類だ』ってわかるの。オーラ、みたいなのが、少し光って視える……でも坂木さん以外はそんなことなくて、だから……」
自分でも、要領を得ない説明になってしまっているのがわかった。もっと、理路整然ときちんとした話し方ができればよかったのに。
夜花は聞いているのかいないのか、なおも黙して思考を巡らせ続けているようだ。
「あの……」
十数秒後、沈黙に耐えられず声を上げた晴に、夜花が「急に黙っちゃってごめん」と小さく笑う。
「――うん。私も、小澄さんと同じように、あの日、あの不思議な場所で水を呑んでまれびとになったよ」
「やっぱり……!」
思ったとおり、夜花もまれびとになったのだ。だとしたら、いくら夜花が社城家の遠縁といえど、急激な変化に戸惑ったり、困ったりしたことがあるはず。
晴は宴会の夜、瑞李と出会ってすべてを教えてもらうまで、己の変化が怖くて不安で堪らなかった。
「じゃ、じゃあ、坂木さんはどんな力に目覚めたの? あ、力ってわかる? わたしは、その、さっき言ったみたいに見鬼? に目覚めたのと……あとは、動物や植物にかかわる能力みたいで」
つい興奮し、晴は矢継ぎ早に言葉を続けた。しかし、それとは裏腹に夜花はどこか言いにくそうに困り顔になる。
「私は……」
「う、うん」
「私は実は、怪異が視えるようになっただけなんだ。不思議な力とかは、まったく」
「え?」
晴は呆気にとられた。
怪異が視えるようになっただけ。怪異が、視えるだけ。
興奮が、穴の開いた風船のごとく一気にしぼんでいく。こういうのを、拍子抜け、というのだろうか。晴は乗り出しかけていた上半身を、元の位置に無意識に戻す。
怪異を視るくらいは、瑞李たち普通の術師にもできる。けれど、まれびとは術師が持たない特異な能力を得ることがある。だから貴重なのだと、瑞李は教えてくれた。
では、怪異を視る才能、見鬼にしか目覚めなかった夜花は?
(そ……っか……だから、社城家の人たちは坂木さんのことを、なにも……)
宴会の夜、晴と夜花、二人揃っていたにもかかわらず、晴だけがまれびととして社城家に迎え入れられた。のちに、夜花も社城に移り住むことになったとは聞いたが、まれびとではなく術師見習いという扱い。
まれびとであっても、彼女が取るに足らない力しか持たないからだったのだ。
(ううん……怪異が視えるようになっただけでも、怖いに決まってる)
夜花に対し一瞬抱きかけた『がっかり』の気持ちを押し隠し、晴は彼女を見つめる。
「あの、わたしも……怪異が視えるようになったから、だから、なにか、坂木さんの力になれることがあったら」
「うん。ありがとう」
いったん、会話が途切れる。しかし、ややあって今度は夜花が晴に問うてきた。
「小澄さんはこれからどうするつもりなのか、訊いてもいい?」
「どう、って?」
「まれびととして、金鵄のつがいとして、どうやって生きていくつもりなのかってこと」
真っ直ぐに強い光を放つ夜花の瞳に居心地の悪さを覚え、晴は足元に視線を落とした。
「わたしは……まだ、なにも決めていなくて。瑞李は、わたしに優しくしてくれる。そばにいて、わたしの全部を、許してくれる。だから一緒にいたい。……でも、伴侶とかつがいとか、そういうのはまだ、実感がないの」
「……」
「まれびとっていうのも、そう。社城家の行事に協力してほしいって頼まれているから、それには協力するつもりだけど……他のことは、よくわからなくて。能力も全然、使いこなせないし」
まれびと、金鵄のつがい。
ここ数日、幾度も耳にした単語だった。だが、未だにピンときていない。同じまれびとであろう夜花と話せばなにかわかるかもと期待したものの、ついに答えは出ないまま。
晴は己が生まれ育った家と、家族が大嫌いだった。
あの家族から離れられるなら、なんだってよかった。
そんな晴の気持ちを瑞李はすぐに理解し、晴の願いの全部を許した。伴侶になる決心がつかないことも、なにもかも。
「瑞李は、まれびとやつがいのことをよくわからないなら、ゆっくり理解して、考えてくれればいいって言ってくれたの。だから、わたしは、ちゃんと時間をかけて呑みこんで答えを出そうって……そう、思っていて」
社城家では、皆が晴に優しい。誰も晴の意思を無下にしない。瑞李もそう。
彼は晴に『僕のつがいになってほしい』と請うた。しかし、戸惑う晴を見て、そばにいてくれるなら本当に結婚するかは急いで決めなくていい、と言ってくれた。
だからとことん彼の好意に甘えて、寄りかかってしまうことにした。
「そっか。わかった」
夜花の声が、乾いて聞こえた。
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