四章②

「カワ太……?」

《カワ太……》

 どうやら獺の名前らしい。夜花は微妙な気持ちで、京那を見る。

 人様のネーミングセンスに文句をつけるつもりはないけれど、獺のほうがその名前で納得しているかが甚だ疑問だ。彼女のことだから、もっと気取った名前をつけているかと思った。


「な、なによ! 悪い?」

 動揺し、頬を赤らめた京那がこちらを睨んでくる。夜花は慌てて首を横に振った。

「ぜ、全然。全然」

「あっそう。で、坂木さん。どうして怪異憑きになれなかった遠縁のあなたが、そんなちんけな毛玉をつれて、術師見習いになんてなったのかしら?」

「そ、それは、ええと」

 今度は夜花がうろたえる番だった。

 京那はれっきとした序列者だ。下手な言い訳や、その場しのぎの嘘はたぶん通じない。


《うさたちは、気まぐれで一時的に夜花にとり憑いているだけなのです。たいした理由ではないのです》

 先に壱号が平然と嘘の言い訳を述べる。夜花は上手い誤魔化し方を思いつけず、仕方がないので壱号に乗っかることにした。

「そ、そうそう。そうなの。急にね、その、とり憑かれちゃって!」

「あなた、見鬼すらなかったのでは?」

「うっ……それは、えっと。とり憑かれて突然、視えるようになったっていうか。それで術を習ってみないかって当主さまから誘われて!」

 苦しい。非常に苦しいが、後半の当主のあたりはほぼ真実に近い。嘘を吐くときは真実を混ぜればいいとよく言うので、これでどうだろう。

 すると、案外、怪訝そうな面持ちではあったものの京那はそれで引き下がった。


「ふうん。いいわ。じゃあ、この業界初心者のあなたに忠告だけしておく」

 京那はそういうと、夜花の横をすれ違い、先に階段を数段下りる。すれ違いざま、彼女が口にしたのは。

「気を抜かないことよ。怪異や術師を、易々と信じないほうがいい。彼らは人を簡単に殺してしまえるんだから。それくらい、危険と隣り合わせよ。術師っていうのは」

 珍しく神妙で真っ当な、そんな言葉だった。

「それから、序列六位の宗永鳩之にはくれぐれも注意するのね。序列者の中で一番の危険人物よ」



 教室に戻ると、登校してきているクラスメイトの人数がぐっと増えていた。

 京那からの忠告も気になるところではあるが、夜花にとって、まずはなにより、晴と話すことが優先である。

 まれびと、そして金鵄のつがいとなった彼女が、社城家でどんな扱いを受けているのか。他にまれびととして、どんな変化があったのかなど。彼女から聞き出したい情報はたくさんある。

 ところが、ホームルームの時間が近づいても、彼女はなかなか現れない。


(おかしいな)

 金曜日から欠席していたらしい晴も、今日から登校する予定のはずである。

 夜花は晴の席があるほうをちょくちょく眺めては時計を見、落ち着かず過ごす。

「夜花。さっきからやけにそわそわして、どうしたの?」

 訝しげに隣の知佳に訊ねられても、「ちょっとね」と誤魔化すほかない。

 そうして――ついに、ホームルームの始まる五分前。にわかに、学校中に激震が走った。


「見て、あれ! 社城家の車じゃない?」

「ねえ、もしかして降りてきたのって」

「嘘、見間違いでしょ?」

「間違いないよ、あの顔は――」

 嫌な予感がして、夜花は集まりつつあるクラスメイトの間を縫って窓に近づき、外の校門を見下ろした。


(な、なにしてるの!?)

 校門前に夜花も世話になった社城家の黒塗りの高級車が停まっている。少し離れたところには車から降りて昇降口に向かっているのであろう、人影がひとつ。

 ――小澄晴だった。

 彼女はセミロングの黒髪を靡かせて歩いていた。何歩か進んで後ろを振り返り、車に向かって手を振る。と、車内から瑞李も手を振り返した。

 当然、その様子を眺めているクラスメイトや、外で彼女の近くにいる生徒たちが驚き、どよめく。


「め、目立ちすぎ……」

 夜花は思わず、額をおさえて呻く。

 今どき、社城家直系の者でも校門前に車を横付けで送迎させる、なんて派手なことはしない。自転車か徒歩での登校か、送迎をさせる場合でも駐車場や裏門近くに目立たないように駐車させるのが普通である。

 あんな漫画のようなパフォーマンスじみた行為は、百害あって一利なし。誰もが羨むシンデレラガールとなった晴なら、なおさらだ。


(彼女自身、手なんか振っちゃって呑気なものだけど……きっと、序列一位さまの意思だよね)

 夜花に対しても警戒していた瑞李のこと、あれもきっと学校と生徒たちへの牽制だろう。どう考えてもやりすぎだが。

 夜花にとっては、いい迷惑である。

 これで晴は全校生徒から注目を浴びる。そうしたら、彼女と人目を忍んで内緒話などできない。

 下手に晴と行動をともにして、夜花まで詮索されるのはごめんだ。


「小澄さん、社城家の序列一位の人の、婚約者になるんでしょ?」

「ああ、聞いた。絶対ガセだと思ってたのに」

「だってあの小澄さんだよ? ありえないよね」

 クラスの一部の女子がそう噂しているのが、耳に入ってくる。

 晴が金鵄のつがいに選ばれたのが木曜で、今日まで丸三日以上経っている。田舎で噂が広まるには十分すぎる時間だった。どうやら金鵄のつがい云々という、多くの人には理解しがたい部分は『婚約者』に置き換わっているようだけれど。


(どうするのよ、今日……)

 夜花は頭痛をこらえ、そそくさとその場を離れて席についた。

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