暗雲
第41話
鹿だわ、と思って、じっと見つめる。
近くの山で、春の七草であるセリが取れるからと、宗忠さんが教えてくれて、一緒に採りに来ていた。
ついこの間新年を迎えて、私は21に、
彼は28になった。
一月七日は人日の節句。
春の七草を食べると邪気を払って、万病を除くと言ういわれがあるらしい。
現代でもこの頃になるとスーパーマーケットに七草セットが売り出されたりして、七草粥を作って食べる。
700年後まで続く、行事の一つ。
明日はその日だからと、あれからいろいろと世話を焼いてくれている宗忠さんと七草を集めていた。
水辺に春の七草の一つの芹が生えているのを見つけて摘んでいると、川の向こう岸に鹿がいた。
珍しいわ、と思ってじっと見つめる。
向こうも人間が珍しいのか、私をじっと見つめている。
鎌倉にも鹿がいるのね、と思いながら、芹を採る手を止める。
そっと鹿が寄ってきた。
対岸で水を呑む鹿に、人懐っこいのねと微笑む。
ついには手を伸ばせば触れられる距離まで来た。
動くと逃げちゃうわ、と思って微動だにしないように堪える。
鹿はそんな私を見て、一度天を仰いで鳴いた。
悲しい声で。
何だか切なくなって、胸が詰まる。
私から、そっと離れていく。
行かないで、と思った。
どういうわけか。
寂しさに、胸の内から食われそうになる。
追いかけたい衝動に駆られて、中腰になる。
そのせいで膝に乗せていた芹を摘んだ籠が落ちて転がった。
あ、と思って鹿から目を離して散った芹を見る。
もう一度顔を上げたときにはすでに、鹿はどこにもいなくなっていた。
「姫?採れたか?」
不意にそんな声が響いて、その声の方向を見る。
籠一杯にいろいろな山菜やら七草やらを詰め込んで、宗忠さんが立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます