第一章 胡桃色
もう一つの名
第1話
■■■■
「あんたの名を捨てなぁ。」
大きな岩の上で一休みしていると、楠木さんは突然そう言った。
十津川を出て、もう7日。
直線距離では近いとしても、熊野の山々は深い。
よくここまで来れたなと自分でも思う。
「私の名を・・・捨てる?」
一体何のことか全くわからなくて、聞き返す。
「そうさぁ。ほいほい『雛鶴』を名乗るわけにはいかないね。」
その言葉に眉を歪める。
『雛鶴』を捨てる?
この名を?
私にとって、大事な名を?
「・・・あんたは知らんと思うが、水面下ではあんたの名は皆知ってる。」
戸惑っている私に向かって、楠木さんはそう言った。
「え?」
尋ねると、楠木さんは辺りを一度見回して、口を開いた。
「大塔宮護良親王のご寵姫として、みんな知ってる。」
小さく、そして低い声。
私にしか聞こえない声で。
護良親王のご寵姫。
そうか。
「・・・『雛鶴』を名乗るのは危険だっていうことね?」
楠木さんは頷いた。
「そうさぁ。あんたはなかなかカンがいい。」
にやりと不敵に楠木さんは笑う。
そう言えば、十津川を離れてから、楠木さんは私を『姫』なんて呼ばなくなった。
呼ぶのは、危険。
命を繋いでいきたければ、
この名は、一度捨てなければ。
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