夏祭り 一
夏祭りの当日。
僕は先日、姫宮と一緒に購入をした黒色の甚平を着た。
そして、この姿を見せるのは恥ずかしく感じるし、何か余計な事を言われるとは思った。
しかし何も声を掛けないで出掛けたとしても、どうせ後で何か言われるに決まっていると思い直した僕は、それなら姫宮と夏祭りに行く前に済ませてしまおうと考え、台所で作業をしていた母に、「今から祭りに行ってくるから。今日は晩御飯は要らないよ」と、声を掛けた。
すると、母は僕の声に反応して顔を上げると、「あら」と言って、驚いた様な表情を浮かべた。
「渚に何を言っても甚平も浴衣も嫌がって着てくれなかったのに、やっぱり彼女の存在は大きいのね」
母はそう言うと、スマートフォンを取り出した。
「もうこんな機会も無いかもしれないから出掛ける前に写真を一枚撮らせなさい」
母はそう言って、スマートフォンを僕に向けて構えたが、なんだか恥ずかしくなった僕は、「撮らなくて良いよ。時間も無いからもう行くね」と言うと、足早に玄関に向かうと急いで靴を履いて外に出た。
僕はその足で昨晩、連絡を取って待ち合わせ場所に決めた公園で姫宮が来るのを待っていた。
この公園は夏祭りの会場から、それ程離れていないからか、周辺には友達連れや家族等の沢山の人が居た。
その中にチラホラと浴衣や甚平を着たカップルが居て、僕はそれを目にする度に、そう言えば、姫宮ははどんな浴衣を着てくるのだろうか、と考えて、想像を膨らませた。
そんな事を思いながら、僕がスマートフォンで時刻を確認した時だった。
「お待たせ、瀬戸君。ごめん、待たせちゃった?」
そう姫宮の声が聞こえてきて、僕はスマートフォンから顔を上げると、声のした方を振り返った。
その瞬間、僕は姫宮の姿を見て、思わず息を呑んだ。
姫宮は、白の生地に複数の青色の紫陽花が描かれた、とても爽やかな浴衣を着ていた。
そして、髪型は浴衣に合わせてか、下の方でお団子にしていて、その一度も見たことが無い髪型に爽やかな浴衣も相まってか、僕はその浴衣姿を見て、姫宮に似合っていて、とても清楚で可愛らしい、と思った。
丁度、夕焼けから夜空に移り変わる中、その景色の中に立っている姫宮は、とても幻想的に見えた。
「……えっと、その、どうかな?」
浴衣姿の姫宮に見惚れて、何も言わない僕に痺れを切らしたのか、姫宮が恐る恐る声を掛けてきた。
「……その、とても似合っているよ」
僕は姫宮の声に我に帰ると、尚も姫宮に見惚れながらも、そう呟いた。
本当はもっと気の利いた褒め言葉があるのかもしれないが、今の僕の状態ではそう言うのが精一杯だった。
「ありがとう。前に試着室で見た時も似合っていたけど、今日はその時よりも似合っているし、それにすごく格好良いよ」
姫宮は僕の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべると、僕の甚平姿を見ながらそう言ってくれた。
姫宮のその言葉を照れ臭く感じた僕は頭を掻きながら、「その、ありがとう」と、呟いた。
「瀬戸君とこうやってお揃いの格好で夏祭りに行けるなんて、夢みたいで嬉しい」
隣に来て、上目遣いで言ったその言葉に僕は、「僕も同じ気持ちで、とても嬉しいよ」と、呟いた。
すると、姫宮は、「折角だから一緒に写真を撮ろう」というと、スマートフォンを取り出した。
僕はその言葉に、「勿論」と言って頷くと、夏祭りという雰囲気がそうさせたのか、姫宮の肩を掴んで抱き寄せた。
突然の行動に姫宮は驚いた表情でこちらを見ると、「せ、瀬戸君?」と、戸惑いの声を上げた。
そんな姫宮を見て、僕は何をしているんだ、と我に返った。
しかし、ここで止めてしまっても気不味い雰囲気になるだけだろう、と咄嗟に思った僕は恥ずかしい気持ちを抑えながら、「良いから写真を撮ろう」と、姫宮に語り掛けた。
姫宮は僕の言葉に慌てた様子になりながら、「えっ? う、うん、そうだね」と呟くと、スマートフォンを掲げてから写真を撮った。
写真を撮り終えると姫宮が、「と、撮れたよ」と引き続き緊張した様子になりながらも、スマートフォンの画面をこちらに見せてくれた。
どんな風に写っているのだろう、と少し不安になりながらも差し出されたスマートフォンの画面を覗くと、そこには顔を赤く染めながらも嬉しそうな表情を浮かべている僕と姫宮が写っていた。
「……恥ずかしかったけど、良い写真だね」
「……うん、そうだね」
写真を見ていると、姫宮がそう言って僕の顔を覗き込んできた。
そうして、幸せな気持ちになりながら姫宮と見つめ合っていると、夏祭りの会場の方から神輿を担ぐ人々の掛け声が聞こえてきた。
その音はまるで、僕等に早く来い、と誘っているように聞こえて、僕は夏祭りの会場の方に視線を向けた。
すると、姫宮も僕と同じタイミングで夏祭りの会場の方に視線を向けた。
その事に気が付いた僕と姫宮は顔を見合わせると、何も面白い事も無いのに、なんだか嬉しくなって、互いに笑い合った。
やがて、僕が、「そろそろ行こうか」と、声を掛けると、姫宮は、「うん、行こう」と言って微笑むと、二人で夏祭り会場に向かって足を踏み出した。
夏祭り会場の近くに来ると流石に人が増えてきて、姫宮はとても歩きづらそうにしていた。
そんな姫宮を見て、僕はもっと早くに気が付くべきだった、と心の中で反省をすると、姫宮に向けて、「大丈夫?」と言って、手を差し伸べた。
姫宮は一瞬ホッとした表情を浮かべると、「瀬戸君、ありがとう」と嬉しそうに言うと、僕の手を握った。
「もっと早く手を繋げば良かった。姫宮さん、ごめんね」
姫宮のそんな様子を見て、僕が声を掛けると、姫宮はゆっくりと首を横に振った。
「ううん、気にしないで。気が付いてくれて、手を差し伸べてくれて嬉しかったから」
姫宮はそう言うとニコリと微笑んだ。
僕がそんな優しさをありがたく思いながら姫宮と人を避けながらゆっくりと歩いていると、神輿を担いでいる人達の掛け声が段々と大きくなっているのを感じた。
「瀬戸君、神輿の音が大きくなってきたね。あっちかな」
掛け声が段々と大きくなってきた事に気が付いたのか、姫宮はそう言うと、祭り会場の奥の方を指差した。
「そうだね、人もこっちよりもたくさん居るみたいだし、行ってみようか」
そんな話をした後、僕と姫宮は掛け声が聞こえる方へと足を向けた。
そうしてしばらく歩いていると、やがて僕と姫宮は神輿行列に遭遇した。
「わぁ! 当たり前だけど、近くで見る方がもっと活気があるね!」
姫宮が言った通りで、担ぐ人達はとても力強く神輿を揺らしながらゆっくりと進んでいて、さらにその周りに居る人達も神輿の動きに合わせながら大きな声を上げており、とても活気があった。
「本当だね。久々に見たけれどやっぱり迫力がすごいね」
僕が神輿を担いでいる人達の声に負けない様に大きな声で言った。
やがて神輿行列が僕達の前を通り過ぎて、完全に見えなくなると姫宮が、「行っちゃったね」と、少し寂しそうにしながら呟いた。
先程までの賑やかさがまるで嘘だったかの様に静まり返った空気の中、僕は姫宮の言葉に頷いて応えると、花火が打ち上がるまで後どのくらいの時間があるかを確認する為にスマートフォンを取り出した。
スマートフォンの画面で時刻を確認すると、花火の時間までまだまだ余裕があった。
「姫宮さん、花火の時間までまだ余裕があるけどどうしようか?」
僕が尋ねると姫宮は腕を組んで考え始めた。
「そうだね。神輿は見る事が出来たし、花火までまだ時間があるから……」
姫宮が小声で言いながら考えているのを静かに見守っていると、突然姫宮が、「そうだ!」と言って、顔を上げた。
「瀬戸君、神輿と花火ときたら、後夏祭りっぽい事と言えば、屋台の食べ物だよ」
姫宮にそう言われて、確かにそろそろお腹が空いてきたし花火が始まると立ち歩く事が厳しくなるだろうから、食べ物を買うなら今が良いと思った。
そう思った僕は、「そうだね。食べ物を買ってから場所取りをしようか」と姫宮に言うと、たくさんの明かりが付いている場所を指差した。
「確か、あそこら辺に屋台が固まっていた筈だよ」
「よし、じゃあ早速行こう!」
姫宮のその言葉を聞いて、僕達は屋台が立ち並ぶ場所へと足を向けたのだった。
やがて屋台が集まる場所に着くと、そこら中から美味しそうな音や匂いがしてきて、僕の食欲がとても刺激された。
それは姫宮も同様だった様で、お腹を押さえると、「すごく良い匂い。お腹が空いてきたね」と言って、辺りを見回した。
姫宮のその動きを見て、僕も辺りを見回すと、焼きそばやたこ焼き、そしてかき氷と、様々な食べ物が目に入った。
どれにしようか、と僕が頭を悩ませていると、隣に居た姫宮が、「うーん、美味しそうな物がたくさんあって悩むなぁ」と、呟いた。
それを聞いて、同じ事を考えていたと思った僕は姫宮に、「食べたい物が多くて決める事が難しいなら、僕と分け合って食べるのはどうかな?」と、提案をした。
その提案に姫宮は、「良いの?」と呟いたので、「僕もどれにしようかを悩んでいたから」と言葉を返すと、「ありがとう! そうしたら、半分こずつにしよう!」と、嬉しそうに言った。
それから僕と姫宮はそれぞれがリクエストした物を順番に屋台を回って購入していった。
一通り、それぞれが欲しい物を購入し終えると、僕は花火までの時間を調べる為に、スマートフォンを見た。
時刻を確認すると、そろそろ場所取りをしといた方が良い時間になっていた。
「姫宮さん、レジャーシートを持って来たから、そろそろ花火が見える所に移動して食べながら待っていようか?」
「もう、そんな時間? あっという間だね」
僕の提案に姫宮はそう言って頷くと、花火が良く見る事が出来る場所まで移動をした。
到着してから辺りを見回してみると、まだちらほらとスペースが空いている場所があって、僕と姫宮はその内の一つにレジャーシートを敷いた。
「姫宮さん、まず何から食べる?」
「溶けちゃうから、まずはかき氷から食べよう」
レジャーシートに座って、僕が尋ねると、姫宮はそう言ってかき氷を差し出してきた。
そうして僕らは購入した物を食べながら花火の開始を待つ事にしたのだった。
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