踏み出す勇気

 最初の当番があった火曜日から次の当番がある金曜日まで、僕と姫宮はすれ違った時に挨拶を交わす以外に特に話をする事は無かった。


 友達だと姫宮が口にしてくれた事はとても嬉しかった。

 しかし、クラスメイトや他の生徒の目がある中でこの学校の人気者である姫宮に声を掛けたり、話をしたりして、僕が悪目立ちする事で姫宮に迷惑を掛けてしまうかもしれない。

 そう思うと、姫宮に声を掛ける勇気を持つ事が出来なかった。


 僕が意識しているのを見て、何かを感じ取ったのか、姫宮からも特に話しかけてくる事は無かった。


 しかし、段々と僕はこれでは、友達だと言ってくれた姫宮に対して逃げてしまっているのではないのか、と考える様になっていた。


 そう考えている内に、少しでも僕の方から一歩を踏み出してみようという気持ちになっていた僕は二回目の当番の日である金曜日の放課後に勇気を振り絞ってみる事にした。


 ホームルームが終わり、クラスメイト達が帰ったり、教室に残って友人同士が楽しそうに話をしている中、僕は息を吐くと覚悟を決めて席を立つと真っ直ぐに姫宮の席向かった。


 席の周りにはクラスで目立っている男女が居て、姫宮はその中で楽しそうに会話をしていた。

 姫宮は近づいて来る人の気配を感じたのか、こちらを振り返った。

 そうして、僕の姿を見ると、笑みを浮かべながら口を開こうとした。

 僕はそれを見て姫宮が言葉を発するよりも先に口を開いた。


「ひ、姫宮さん、その、今日、当番の日だから一緒に行こうか」


 僕の言葉に姫宮は少し驚いた様子を見せた。

 そうして、姫宮の周りに居たクラスメイトの視線が僕の方を向いた。

 突然多くの視線を向けられて、何か言われないだろうか、と不安な気持ちになっていると、姫宮の隣に居た女子が口を開いた。


「香織、今日は当番の日なの? それなら早く行かないとじゃん」


「う、うん。そうだね」


 その言葉で姫宮は我に返ったのか、慌てたように隣に居た女子に言葉を返すと、席を立って、急いだ様子で僕の隣に来た。


「お待たせ。行こうか、瀬戸君」


 姫宮の言葉に頷いて応えると、僕と姫宮は並んで教室から出た。


 廊下に出ると無事に自分の方から姫宮に話し掛ける事が出来て安心した僕は息を吐いた。

 姫宮の周りに居たクラスメイト達も特に何を言ってくる訳でも無かった。


 もしかしたら僕が話し掛ける事で姫宮に迷惑を掛けてしまう、というのは僕の思い込みに過ぎなかったのかもしれない。

 そんな事を考えながら図書室へ向かって廊下を歩いていると、隣に居た姫宮が静かに口を開いた。


「ねぇ、瀬戸君。大丈夫?」


 恐らく、先程の場面に対しての問いなのだろうが、僕はどう返したら良いか、言葉に迷った。


「教室では、話し掛けないでって雰囲気が出ていたから、みんなの前では声を掛けないでおこうと思っていたんだ。でも、今日、みんなの前で瀬戸君から声を掛けて来てくれたから、びっくりしちゃった。瀬戸君、疲れてない? 大丈夫?」


 黙ってしまった僕を見て、姫宮は僕が質問の意味を理解していないと考えたのか、心配そうな表情を浮かべると、再度僕に尋ねてきた。


 僕は姫宮の言葉を聞いて、僕の様子を見て、気持ちを察して声を掛けないでいてくれた事や今も僕の状態を心配してくれている事に感謝の気持ちを抱いた。


「心配してくれてありがとう。今までは姫宮さんから、『図書室に行こう』って、言ってくれていたから、今度は僕から誘ってみようと思ったんだ」


 姫宮が心配してくれた気持ちに応える為に、僕は姫宮の目を真っ直ぐ見つめながら自分の気持ちを伝えた。


 その気持ちが伝わったのか、姫宮は真剣な様子で僕の話を聞いてくれた。

 僕の話を最後まで聞くと、「ありがとう。瀬戸君が声を掛けてくれた時、とても嬉しい気持ちになったよ」と、言うと姫宮は僕に優しく微笑んでくれた。


 僕は姫宮の笑顔を見ながら、勇気を出して声を掛けて良かった、と思い、嬉しい気持ちになった。


「よし、じゃあ、今日も当番を頑張ろう!」


 そんな事を考えながら図書室の前まで来ると、姫宮は明るい口調でそう言った。


 僕はそんな楽しそうな表情の姫宮を見ながら、今日の当番の時間も楽しみにしている自分がいる事に気が付いたのだった。


 図書室に入ると山岡さんがカウンターで作業をしていた。


「こんにちは」


 僕と姫宮が揃って声を掛けると僕達の存在に気が付いた山岡さんはゆっくりと顔を上げた。


「ああ、瀬戸君、姫宮さん、今日もありがとうね」


 そう言いながら僕と姫宮を見ると、山岡さんは、「あらっ」と、驚いた声を上げると、僕の顔を見ながら、「ふふっ」と言って、微笑んだ。


 僕の顔に何かついているのだろうか、と山岡さんの行動を不思議に思っていると、山岡さんは嬉しそうに口を開いた。


「瀬戸君がそんな楽しそうな顔で図書室に来てくれたのが初めてだったから、つい驚いてしまったわ。姫宮さんとの当番が楽しみになるくらい仲良くなれたのね。良かったわ」


 嬉しそうに話す山岡さんを見て、なんだか他の人が居る場所で母親に褒められている気分になり、無性に恥ずかしくなった僕はつい、「そんな事はないです」と、それこそ子どもみたいに強がって山岡さんに反論をした。


「あらあら、私の息子の学生時代にそっくりだわ」


 山岡さんはそう言って僕の言葉をまったく気にしていない様子で微笑むと、カウンターの上の広げていた書類をまとめ始めた。

 そうして、「後は若いお二人で。よろしく頼むわね」と言うと、山岡さんはまとめた書類を持つと立ち上がった。


 その言葉から何かを勘違いしていると思った僕は声を掛けようとして口を開きかけたが、それよりも先に山岡さんは書庫に入って行ってしまった。


 自由な山岡さんの行動に驚き、呆れながら閉まった書庫の扉を見つめていると、隣から、クスッと笑う声が聞こえてきた。


 隣を見ると、姫宮が笑みを浮かべながらこちらを見ていた。


「本当にお母さんと息子みたいなやり取りだったね」


 姫宮の言葉に恥ずかしくなった僕は、「そんな事無いよ」と、素っ気無く答えた。


 そうして、ニヤニヤした顔で、「本当かなー」と言う姫宮を見て、このままこの話題を続けていると、姫宮に弄り倒されてしまう。


 そう思った僕は、軽く咳払いを一回すると、「そろそろ利用者が来るかもしれないから、準備をし始めようか」と、話題を変えるために口早に姫宮に告げた。


 姫宮はまだ僕の事を弄り足りないと思ったのか、その言葉を聞いて不満そうな顔をしていたが、渋々といった様子で、「はーい」と言うと、準備をし始めた。


 準備をし終えると、そのタイミングで図書室の扉が開き、数人の利用者が中に入って来た。


 前回の当番の時より図書室を訪れる人数が多く、僕と姫宮はしばらく貸し出し作業をしたりして、忙しく動き回った。


 やがて新たに訪れる利用者の波が止まり、図書室の中に居た利用者も全員居なくなると、姫宮が椅子の背もたれに寄りかかるとフッーと息を吐いた。


「疲れた〜 なんかこの前より図書室に来る人の数が多かったよね」


「そうだね、今日は金曜日だから土日に本を読もうと思って借りに来ているのかもしれないね」


「成程」と、納得したように頷く姫宮を見ながら、今このタイミングなら良いかもしれない、と考えると、僕はふと以前から疑問に思っていた事を姫宮に聞いてみようという気持ちになった。


「……姫宮さんが図書委員に立候補した時から思っていたんだけど、どうして図書委員会に入ろうと思ったの?」


 突然の質問に驚いたのか、姫宮は少しポカンとした後に、「ああ」と言って納得した様に頷いた。


「そういえば、言っていなかったね」


 姫宮はそう言って少し恥ずかしそうな表情になると静かに口を開いた。


「まぁ、大した理由ではないんだけど、私が、『キミユメ』にハマった時に、他のライトノベルも読みたいなと思ったんだ」


 姫宮はそこまで言うと表情を曇らせた。


「でも、ライトノベルって巻数が多いシリーズも沢山あるでしょ? そんなに沢山買えないからどうしようかなって思っていたの」


 確かにライトノベルには長く続いているシリーズが多いし、刊行されるスピードも一般小説と比べると早いので、既に巻数が多い作品を今から追い掛けるとなるとハードルが高く感じるだろう。


「でも、ある時に本を借りようと思って図書室に行った時にライトノベルが本棚に置いてあるのをたまたま見つけたんだ。それで、ここで借りればお金を掛けずに読む事が出来ると思って、それからはちょくちょく借りて読む様になったんだ」


 僕は今の話を聞いて姫宮がライトノベルを好きになって図書室で借りて読むようになったのは理解出来た。

 しかし、それならば別に図書委員にならなくても良かったのではないのだろうか。


 僕がその様な事を考えていると、姫宮が言いづらそうにしているのが目に入った。

 突然どうしたのだろうか、と僕が不思議に思っていると、姫宮はゆっくりと口を開いた。


「……それで、図書委員になりたかった理由なんだけど、その、あまり良くないとは思っているのだけど、図書委員になったら図書室に並べる本について少しはお願いというか、リクエストが出来るかなと思ったんだ」


 そう言うと姫宮はばつが悪そうに頬を掻きながら苦笑いをした。


「その気持ちはとてもよく分かるよ。実はそう思って、僕はこっそりと山岡さんにリクエストをしているんだ。だから、ここに置いてあるライトノベルは僕のリクエストのした作品も多く置いてあるんだ」


 僕の言葉に姫宮は驚いた表情を浮かべて、「そうなんだ」と呟いた。


「うん、そうなんだ。山岡さんは生徒が読みたい本を図書室に置きたいって考えの人だから姫宮さんも沢山でなければリクエストをしても大丈夫だと思うよ」


「ありがとう。そうしたら、その内、山岡さんにリクエストをしてみようかな」


 姫宮は僕の言葉にそう返すと笑みを浮かべた。


「それが良いと思うよ」


 僕の言葉に頷くと姫宮は口を開いた。


「さっき、瀬戸君が言っていたけど、瀬戸君のリクエストのお陰で図書室に置かれているライトノベルの種類が増えたって事だよね。瀬戸君に感謝をしなくちゃ」


「僕はただ自分が読みたい物を山岡さんに頼んでいるだけだから、そんなに大した事はしていないよ」


 僕からしたら自分の願望を叶えて貰っただけなので、それを褒めると恥ずかしい気持ちになってしまう。

 僕はその気持ちを振り払う様に両手を振りながら言うと、姫宮は僕の言葉に笑みを浮かべた。


「それなら、私と瀬戸君の好みが似ているって事だよね。そう考えるとなんだか嬉しいね!」


 僕は好みが一緒だと言われた事で、姫宮に親近感が湧き、それを嬉しく思った。


 しかし、僕はそう言って無邪気に笑う姫宮を眩しく感じて、なんとく視線を姫宮から逸らした。

 そうして、自分の鞄が視界に入った時、僕は姫宮に貸す為に持って来たライトノベルが中に入っている事を思い出した。


 僕は話題を変える為に鞄から袋に入ったライトノベルを取り出すと、姫宮の前に差し出した。


「そ、そういえば、これ、この前言っていた本だよ」


「わぁ、持って来てくれたんだ! 楽しみにしていたんだ。瀬戸君、ありがとう!」


 目を輝かせながら持って来た本を見ている姫宮を僕が微笑みながら見ていると、姫宮が「あっ」と、声を上げた。


「そういえば、私達、まだ連絡先を交換していなかったよね。瀬戸君、交換しよう?」


 姫宮はそう言うと、自身のスマートフォンを僕に見せてきた。

 僕は突然の事に戸惑いを覚えながらもスマートフォンを操作して姫宮と連絡先を交換した。


「これで、何か気になるライトノベルを見つけたらいつでも瀬戸君に聞く事が出来るね!」


 そう言って笑う姫宮を見て、嬉しくなって、「僕も何かお勧めの作品があったら教えるね」という言葉が自然と口から出た。


 自分の口からその様な言葉が出るとは思わなかったが、姫宮となら良い友人関係を築けるかもしれない。

 僕はそう思うと、自然と自分の口角が上がっている事に気が付くのであった。

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