第二十六話 『結婚』

 リボルスでの生活にも慣れてきた頃、陛下から相談おはなしがあると言われてロハイロ宮殿の一室へとやってきた。


 今日は隣にアリスはいない。式に向けてハイエル公爵夫人とご令嬢のエミリ様から当日の作法について教えていただいているのだとか。


 エミリ様がいるので特に心配はしていない。


 むしろ最初から私の心配は陛下の無茶振りおはなしであった。


「儂としてはな、やはり英雄であるウィリアムの地位は辺境伯ではいかんと思うのだ。せめて第二宰相、いやこの際言えば我が養子となって欲しいのだ」


 嬉々として話す陛下。しかし、私には第二宰相の身分も陛下の養子となり王族入りすることもどちらもいらない。望んでいない。


「陛下のお考えは嬉しいですが、私には身に余る身分ですので」


 それに魂胆は透けて見えている。どちらの身分も陛下の命令ひとつで領地が決められてしまうのだ。私が辺境伯であることが、アリスを王国の中心から離す砦であるのだから。


「そうか。では、聖女殿に我が養子となっていただくのはどうかな? さすれば箔が付いては起きないと思うが」


 この言い方、私が断ると分かっていてなぜそのような提案をしたのだろう。


 ......しかしアリスの地位か。確かに王族の養子ともなれば聖女であることを無闇やたらと教えて回る必要もなくなる。


 それに辺境伯家へ降るのだから――陛下の仰る通り――陛下からの命令で領知替えが起こる心配もない。


 いや待て。そんなに大切なことをなぜ陛下は私だけにするのだ? 私のことはまだしも、アリスのことはアリスが決めるのがいいに決まっている。


「申し訳ありません。アリスを呼んでも構いませんか? アリスの意見が聞きた――」


「お人好しが過ぎるのはお前の悪い癖だ。まさかすべて自分の思い通りにしようとは考えていまいな? どちらかを選べ。この場でだ。お前か、聖女殿か。どちらが王族に入る?」


 不敵に微笑む陛下に、私は何も言い返せなかった。アリスを私の判断で売ることだけはできない。しかし私が養子になるのは......


 陛下は二手三手先を読んでくる。ここで私が何を言おうが、どちらかは王族に入れておくつもりなのだろう。


 コンコンコンコン


「誰だ? 入ってみよ」


「お久しゅうございます国王陛下。我が愚息を探しておりましたら、陛下とお話をしていると聞きましたので」


 入ってきたのは白髪を蓄え黒のスーツを着た父上だった。


「おおアルフレッド。久しいな」


「ええ陛下。にしても、我が息子と新婦をわたくしもおらぬ所で養子にしようとは。ずいぶんと考えが回るようですな」


 父上......聞いておられたのか。陛下の表情が一瞬で青ざめる。笑顔は崩していないが、眉に力が入っていた。


「ぬ、盗み聞きとはお主も悪趣味だな」


「ご冗談を。私が陛下の教育係であった時、見えぬ場所には常に警戒せよと散々教えたではありませんか」


 ますます険しくなる陛下の表情。


「やはり行き過ぎたはかりほとは上手くいかないな。ウィリアム、話はなしだ。お前の気を乱してすまんな」


 陛下は両手をひらひらさせすべてをなかったことにしてしまった。父上はさすがに弁が立つ。来てくださらなかったら......考えたくもないな。





 陛下からの無茶振りはあの一件で終わり、王都の復興が完了するとの連絡を受けて王族・公爵をはじめ延べ数千人の行列がリボルスから王都へと移動した。


 実際に王都に着いた時には戦場であった面影は道路に入ったヒビくらいしかなく、建物も人通りもほとんどが元通りに戻っている。


 王都に着いてからは準備の連続。着いた日から5日間もあったのに、私もアリスも王宮と聖堂を行ったり来たりするだけでこの日を迎えてしまった。


 大聖堂の鐘が鳴る。


 王宮から少し離れた場所にあるシャリエアトル大聖堂の一室が、私の控え室となっていた。


 遂にこの日を迎えたのだな。


 王都の新聞には一面に私とアリスの結婚が伝えられ、王宮前広場だけでなくシャリエアトル大聖堂の周辺まで観衆で溢れかえっているのだそうだ。


「ウィリアム様。入場の時間が迫ってます」


 そんな中でもクリフはいつものクリフで助かる。


「なあクリフ。私は格好いいか?」


 ため息をつき、髪をぽりぽりと掻くクリフ。


「前にも言いましたが、聞く相手を間違えてます。......まあ、人前に出しても誇らしいくらいには格好ついてますよそりゃ」


「ふふっありがとうクリフ」


 思えばクリフにもお世話になりっぱなしだ。平時も戦時も、クリフの完璧な政務のおかげで私は一つのことに集中することができた。


 天井から差し込む旭光はステンドグラスそ通り鮮やかな色彩を床へ映し出し、王宮とはまた異なる白を基調とした厳かな装飾が施された大聖堂の廊下を歩く。


 祭壇のある中央広間の入り口。幾多もの彫刻が施された金属製の扉の前に立つ。


 少し待つと、反対側の通路からドレス姿のアリスが私の前に現れた。晴れやかな青の生地に金糸や銀糸の刺繍、宝石などで彩られたドレス。首元にはアクアマリンが輝いている。


「アリス綺麗だね」


 声をかけると、アリスは頬を赤らめて俯いてしまった。


「ウィリアム様こそ......素敵ですよ」


 あぁ...可愛い。


 しばらく天を仰いでいると、従者から腕を組むように言われてしまった。ふたりしてあわあわと腕を組むと、おかしかったのかみんな笑っている。


 扉が開き、音楽隊による演奏が始まる。


 祭壇まで敷かれた赤いカーペットに足を踏み出すと左右の長椅子に座っている貴族の方々から盛大な拍手が送られた。


 アリスと歩幅を合わせ一歩一歩踏みしめる。


 1年前の私に、来年結婚するなんて伝えたらなんて言うだろうか。しかも相手がこんなに可愛い聖女様だと言えばそれはそれは狼狽することだろう。


 それくらい私はアリスと出逢って変わった。


 祭壇の前へと着き、集まってくれた皆さまへ深々とお辞儀をする。拍手はおさまり音楽隊の演奏が終わる。


「神は我々に多くの試練を与える。しかし同時に汝らを出逢わす祝福をも与える。その深い思し召しに従い、汝らが幸せでいることこそが神への祈りであり感謝である。神への誓いの印を交わし、この場にいるすべての者へ知らしめよ」


 神父様は口を閉じ、私に指輪を差し出す。私はアリスの手を取りその細い指へそっとはめた。今度は私の指にアリスが指輪をつけてくれる。


「今、神への誓いはたてられた。汝らのこれからに幸多からんことを祈念し、閉式とする」


 私とアリスは神父様に礼をし、音楽隊の演奏に合わせて大聖堂の外へと向かった。大聖堂の外には用意された馬車のすぐ目の前まで観衆が押し寄せている。


 一礼して、すぐに馬車へと乗り込んだ。王都の広い道路を埋め尽くすほどの大観衆。皆から見たら、私は一辺境伯ではないのかもしれないな。





 結婚式とは何も教会での儀式で終わるものではない。馬車が向かった先は王宮であり、王宮ではすでにパーティーの準備がなされていた。


 続々と会場へ来る貴族。彼らを出迎えるのも新郎新婦の務めなのだとか。


 粛々と進められた結婚式とは全く違う、誰もが和気藹々と話し酒を酌み交わす。私たちの席には代わる代わるに公爵家や他の辺境伯家の方々が挨拶に来られた。


 ケーメル公爵主催のパーティーに参加した時には人の数に圧倒されていたアリスも、かなり流暢に貴婦人方と話していた。


「ウィリアム様にアリスちゃん......ご結婚おめでとうございます。......まさかアリスちゃんが怖い魔女さんじゃなくて聖女様だったなんて!」


 エミリ様は瞳も鼻も真っ赤にしていらっしゃる。話しながら何度も溢れる涙を拭い、笑顔を作ろうとしていた。


「エミリ様きていただきありがとうございます。ハンカチ、こちらをお使いください」


「い、いけません! もう泣かないでしゅので......どうか私のことはお気になさらず!」


「いいですから。どうぞ使ってください」


 ハンカチを渡しエミリ様を宥めて横を見ると、アリスが頬を膨らませて私のことをじっと見つめている。


「アリス? お、怒っているのか?」


「別に...そんなんじゃないです。ただ、ウィリアム様は誰にでも優しいんだな〜って」


 プイッと顔を背けるアリス。


「あわわわすすすすみません! 私が泣き虫なばっかりに」


「え、エミリちゃんは何も悪くないよ!」


 アリスは焦った様子でエミリ様に取り繕う。それも面白くて、結局3人で笑うことができた。そこからは馴れ初めを話したり、他愛もない話が続いた。



「取り込み中失礼するよ。我が娘、ナタリアが見当たらないのだが知らないか? さっき皆さんに挨拶をしに行くと言ったのだが一向に戻ってこなくてな」


 かなり焦った様子のケーメル公爵。ナタリア様は見ていない。あのお体だと人混みで見えないし探すのも一苦労なのだろう。


「よければお手伝いしましょうか? アリス、構わないかい」


「......いいですけど」


 やっぱり少しアリスは不満げだ。しかし、もしもの事が考えられる身分なのだからそうも言ってはいられない。


「いえいえ。お主役なのですから気にせず」


「こういう時はお互い様、ですよ!」


 ようやくいつもの調子に戻られたエミリ様の一言で、ケーメル公爵はかなり申し訳なさそうに皆で探すのを認めてくれた。



 とは言っても、ナタリア様がいそうな場所に心当たりは・・・・・・1つあるな。


 会場から少し離れた王宮の中庭。ナタリア様が昔話で言っていたどうやら思い出の場所だ。


 アリスと一緒に見に行くと、暗い庭の中央にあるガゼボに人影が2つ見えた。柱のせいで誰かまではわからない。ゆっくり近づいて聞き耳を立ててみる。


「本当に、わたくしのことは忘れてしまわれたの?」


「......何度も言うように、俺は貴女ほど美しい女性を知らないな」


 聞こえてきたのはナタリア様と兄上の声だった。そうか。ナタリア様の思い出に残っていた私そっくりの方とは兄上のことだったのか。


「知らなくても構いません。長く時が経ってしまいましたもの。ですからまた一から、貴方を惚れさせて差し上げます」


「俺と関わるのは......ナタリアにもよくない」


「やっぱり覚えて下さってたのですね。それでも私は、ウェルム様と一緒にいたいのです。約束......したではないですか」


「それもそうだな。ナタリア、遅くなってすまない」


「いいのです。その分幸せにしてくださいね?」


「もちろんだ。それとウィリアム、そこにいるのなら出てきなさい」


 木陰に隠れていたのだが、兄上は私たちを感知していた。指摘と同時にびっくりしたのかアリスがバランスを崩して私が支える。


「あはははは......バレていましたか」


 溜め息混じり兄様とナタリア様が笑っていた。


「ナタリア様。ケーメル公爵閣下が心配しておられましたよ」


「ありがとう。...ウィリアムには、いろいろと迷惑をかけたわね。ごめんなさい。アリスちゃん、お幸せにね」


「はい! ナタリア様こそ、お幸せに!」





 つつがなくパーティーは終わり今日は宿場町メルムで泊まることとなった。ロケッテ公爵閣下の車列と私たちの車列がつながり、街道を駆け抜けて数時間。眠りについた宿場町へと到着した。


「まさかウィリアム様がこれほど早くに素敵な方をめとられるとは思いもしませんでしたよ」


「私も幾多の偶然が重なりました」


「若いとは良いことだ。ああそうだ、本日は狭い侯爵邸ではございますがおふたりにピッタリなお部屋をご用意いたしてます。我が家のようにお寛ぎください」


 満面の笑みを浮かべた侯爵閣下が案内してくださった部屋は、中央に大きなダブルベッドがある普通のお部屋だった。


 どうやら私が心配しすぎだったようだ。


 そっと胸を撫で下ろした私とは対照的に、アリスはベッドの前で立ち尽くしている。


「アリス、どうかしたのか?」


「ひゃいっ?! なんでもありみゃせん!」


 噛みまくり。


「明日からは帰路に着く。今日は遅いし早く寝よ―――」


 意を決したようにこちらを振り返ったアリスは、私の口をその柔らかな唇で塞いでしまった。


 顔を両手でホールドされて動けない。


 いや、動く必要もないか。


 私はそっとアリスを抱いて、時間を忘れてそれはそれは長くて甘い時間を過ごした。

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