第十四話 『舞踏会は夢の中』
扉を開けっぱなしにしていたのが運の尽きだった。
ケーメル公爵令嬢、エミリ様にエリノアまで。いつから見ていたのかはわからないが、ほぼすべてを見られたと考えていいだろう。
どんな言葉で蔑まれるのだろうか。
なんと弁明すれば良いのだろうか。
「ウィリアムと熱いキッスをしていいのは私だけなの!」
走りだすケーメル公爵令嬢。
「ナタリア様! 抜け駆けはダメです!!」
それに続くエミリ様。
「ふふふ。お熱いことですね」
不敵な笑みを浮かべるエリノア。
私はいったいどうなってしまうのだろう。
結論から言うとおふたりの興味は私ではなく、アリスに向いている。そのためアリスが質問攻めにあって、ようやくひと段落したところにホリーがお茶を淹れてくれた。
にしてもホリーはいつの間に来ていたんだ?
「さっきは聞けなかったのですが、どうしてアリスさんはこんな山城にひとりでおられるのですか?」
エミリ様の質問に一瞬場が凍りつく。
あのケーメル公爵令嬢ですら触れなかったことを、何となくで流れかけていたことを掘り返してきたのだ。
教えていいのだろうか? おふたりは確かに人柄がよく信用できる。しかしその裏には公爵がいる訳で、何かの弾みに話してしまう可能性も十分にある。
危険な橋は渡らないに限る。ここははぐらかすしか道はあるまい。
私が話そうとしたところで、エリノアが遮るように口を開いた。
「あのね、アリスちゃんはそれはそれは怖い魔女なの。強力な魔女は国に狩られてしまうから、こうしてお城に幽閉しているのよ」
エリノア......それは無理がある気が。
「だから私にゾッコンだったウィリアムがうつつを抜かしてキッスしようとしてしまうのね」
「アリスさんはみ、淫らな魔女さんで...ウィリアム様はそんなアリスさんに心を奪われて......」
「私、エリノアちゃんにそう思われていたの?」
思わぬところでダメージをくらっている
変な方向への誤解が広がってしまった気がするが、とりあえずアリスが聖女であることがバレる心配はいらないらしい。
それに―――
「そういえば爆乳って、ナタリア様は私がウィリアム様を体で釣ったと思っていたんですか!」
「ええそうよ。だって
「お、大きさだけがすべてじゃないって......私はそう思います」
「アリスちゃんはこの慎ましやかさがいいのですよ。この慎ましやかさが」
こうしてアリスやエリノアが楽しそうに話しているのなら、私も幸せだ。
迷惑でなければ、これからもエミリ様とケーメル公爵令嬢様にはアリスやエリノアの相手をしてあげてほしい。
「ねえ、ねえウィリアム! 聞いているの?」
「すまない。何の話だ?」
「そ、その......ウィリアム様は胸について、大きいのと小さいの、どちらが好みですか?」
キラキラとした視線を向けてくる三人とやれやれといった表情のエリノア。
というか待ってくれ、これは私の好みを言わないと終わらない系のやつじゃないか?
いったい何の罰ゲームだ......。
「わ、私は別にそういったものの大きさを重視していない」
「うわ、ウィリアムってむっつりなのね」
「「むっつりって?」」
共鳴するアリスとエミリ様を前に、私はただ俯くことしかできないのであった。
*
ノンストップで話は続き、すでに日が傾き始めている。日程的に辺境伯邸ではもうそろそろ舞踏会が始まる頃か。
ここにいることはクリフすら知らない訳で、主催者の私と公爵令嬢が二人もいない。さぞかし面倒なことになっているのは容易に想像がついた。
「そろそろ本題に入りたいのだけど、今日の舞踏会は誰がウィリアムと踊るのかしら」
静まり返る一堂。いや、そもそも今から行っても舞踏会の始まりには間に合わないのだが。
「ここは公平にじゃんけんで決めるのはどうでしょうか」
様子を伺いつつ口を開いたエミリ様。にしてもじゃんけんか......騎士団学校時代にやったのが最後な気がする。懐かしいな。
「へぇ。魅力では私に勝てないから神に任せるって言うことかしら? まあ神に選ばせても、私がウィリアムと踊ることは確定なのですけど」
ナタリア様は高らかに笑う。
そして、テーブルの上に三人が手を出した。
「エリノアちゃんはいいの?」
「ええ。私は兄妹ですから兄様と踊る権利がないわ」
アリスの心配を気にする様子もなくそっけなく断るエリノア。そんなエリノアを気にしないかのようにジャンケンが始まる。
「「「最初はグー。じゃんけんポイ!!!」」」
「......嘘、でしょ?」
「ダメでした〜」
「やりました! ウィリアム様!!」
神が微笑んだのはアリスだった。
ナタリア様は自分の出した手を見て固まっているし、エミリ様はそこまで気にしていないような素振りをしている。
エリノアは......あれ? どこに行った?
何も言わずに出て行くのは自由人がすぎるとも思うのだが、昔から何度言っても変わらないしエリノアはそれでいいとも思う。
しかしまあ、私とペアで踊るためだけにここまで一喜一憂されると嬉しいを佑に通り越して恥ずかしいものだな。
「皆様、ホールの準備ができましたので降りてきてくださいな」
いきなり消えたと思ったらいきなり現れたエリノアに呼ばれる。用意周到というか気がきくというか、いったい母上からどんな教育を施されたらそうなるのだろう。
「あら、舞踏会は辺境伯邸であるのではなくて?」
「ええ。しかし途中参加ではマナーに欠けますし、何よりウィリアム兄様が......」
そう言って少し暗い表情で私を見るエリノア。まさか私と陛下の会話を聞いていたのか?
......無駄なことは考えず、ここはエリノアの配慮に感謝しよう。
*
山中とはいっても貴族が長期間住むことを前提として建てられているこの城には、外観の無骨さからは到底想像できないような大ホールが存在している。
使わないのだから整備しなくていいと思っていたこの場所が、まさか役立つとは夢にも思っていなかった。
広い空間の中心には蝋燭の明かりを受けて黒く光る鍵盤楽器ピアノが置いてある。
ハプロフ王国の舞踏会ではこのピアノを中心に男女のペアが回りながら曲に合わせて踊るのが伝統で、息の合う男女で踊ることによって曲に釣られて観に来た神様に護国豊穣を祈るのだとか。
だが、ピアノの演奏など誰ができるのだ?
私やエリノアはその手の教育はされていない。それにいくら三大公爵家のご令嬢でも、ピアノを習っているとは考えにくい......。
「私がお弾きしますので、皆様は踊りを楽しんでください」
ホリー?!
いやいや待ってくれ。子爵家の出であるホリーがどうしてピアノを......裁縫や料理など器用だとは常々思っていたが、まさかここまでとは。
ピアノの前に座ったホリーの表情が変わる。
いつもはふわふわしたような雰囲気の彼女が、この瞬間は宮廷舞踏会で演奏をする奏者と遜色のないオーラが出ている。
彼女の細長い指から繰り出される音色は優雅そのもので、しばらく誰の声も出ることなく演奏を聴き入っていた。
「アリス姫、私と踊っていただけますか?」
「はい! 喜んで」
今だけは、この貴族的なわかりきったことの確認という風習ですらよく感じてしまう。
頬を赤らめたアリスの手をそっと握り、体を寄せ合った。緊張してか関節が強張っているアリス。
「力を抜いて、私にすべて任せていいよ」
「は、はい」
どこかぎこちない動きだが、脱力してくれたおかげでこちらが動きやすくなる。
幼い頃、あの優しい父上が私を怒鳴ってまでペアダンスのいろはを叩き込んでくれたのがようやく役にたった。
溢れ出す多幸感は今まで感じたことのない世界へと私を誘う。
農村を巡り馬車に揺られる日常も捨てがたいが、このような刺激的な非日常も悪くない。
*
二曲連続で踊り、アリスも疲れた様子だったので一時中断した。
皆から向けられる視線で我に帰り、少々気恥ずかしい。
「あらあら。アリスさんはもうお疲れのようね? 貴女のパートナー、借りてもいいかしら」
飲み物をアリスに差し出すナタリア様。
あ、これ多分ダメなやつ!
「アリス、待て! 飲んじゃダメだ......ぁ」
アリスは差し出された飲み物を受け取り、私の声に驚きながらも飲んでしまった。
「アリスさん、どうかしら?」
ナタリア様...アリスがお酒に弱いことを知っててこんな悪行を。
アリスは顔から肩まで真っ赤にさせて、目が蕩けてしまっている。
「えっと......アリスにはわかららいのれぇ...ウィリアムさまがいいよっていうならいいれふよぉ」
か、かわいい。
あの日馬車の中で見たアリスと同じ、呂律がまわらず一人称が名前になるアリス......破壊力が素晴らしすぎる。
皆、恍惚とした表情でアリスをしばらく見ていた。
「さ、さあウィリアム。私と踊るのかしら?」
「ちょっと待ってください!」
口を挟んできたのは顔を真っ赤にしたエミリ様。
「ナタリア様、抜け駆けはダメです! そもそもは私が最初にウィリアム様と踊る約束をしようとしていたのですから、私が先に―――」
「公爵令嬢がふたりもして兄様...男性を取り合いなんてはしたないですわ。そ・も・そ・も! 私が準備をお願いしたのですから私が先に踊る権利があるに決まっております」
エリノアが饒舌に......まさかこいつ、最初からこの展開を狙っていたのか?!
そして相変わらず、もう私の意見は誰にも響かないらしい。アリス曰く決定権は私にあるらしいのだがなぁ。
しばらくの間空中戦が繰り広げられ、三人とも一歩も引かない状況が続いた。
「皆様、少し喉を休めてはいかがですか? レモネードをお作りしましたので。どうぞ」
ホリーが仲裁に入るように皆にグラスを渡す。
さすがはホリー。みんなのことを考えて......いや、前言撤回しないといけないかもしれない。
公爵令嬢コンビのグラスの中身がエリノアの持っているそれより薄い色をしていた。
まるで、混ぜ物でもしているかのように。
違和感に気がつくことなく飲み干したふたりに異変が起こるのに、そこまでの時間は掛からなかった。
ゴンッ!
「あれぇ......体にちからが入りませんし急に眠たくなってぇ」
テーブルに突っ伏したエミリ様はそのまますやすやと寝息を立て始める。
「あ、貴女! レモネードに混ぜ物をしたわね......私を酔わせてどうするつもりよ!」
ナタリア様は口こそ達者なままだがピンと差した指はエリノアを向いておらず、目も閉じかかっていた。
エリノア、まさかここまで計画通......り?
「ほりぃ......エリノアのにはおしゃけ入れないでっていったはずじゃにゃい...」
「すみません。苦心したのですが酔っているエリノア姫を見たいという願望には敵わず。顔が真っ赤な綺麗な姫が四人も...ふふふ......あっすみません涎が」
え、え。
かなり闇が深い事件が起きている。ホリー、いったい心の底に何を隠していると言うのだ。
「あ! ウィリアム様はアリス姫をベッドへお運びいただいて、就寝してもらって大丈夫です。アリス姫を譲る代わりこの御三方は私の方でいただ......寝かしつけますので」
今までに見たことのないホリーの獣のような目に、私は従うしかなかった。
*
「アリス、ベッドに着いたよ。首を傷つけるといけないからネックレスを外そう?」
反応なし。完全に寝ている。
月明かりだけで照らされているアリスの首筋へ手を回すと、私の手が冷たかったのか首を窄めてしまった。
鎖骨の硬さと肌のきめ細かさが私の脳を揺さぶる。
アリスはお酒を飲めば記憶が残らない......今アリスに何かしても、バレないのではないか?
そんな邪な気持ちを抑え、なんとかネックレスを外した。
無邪気な笑顔も、年相応の恥じらいも、そして美しい笑顔も。何度見ても私はアリスに同じ感情を抱いている。
“好きだ”
農賀祭が終わったら、婚約を申し込もう。
アリスのきっと......受け入れてくれると信じている。アリスと結ばれるためなら、私はどんな困難に遭遇してもそのすべてを乗り越えられる。
さあ、明日も早い。
各国の要人が集まる、農賀祭を開催する最大の理由。
『世界会議』が始まるのだから。
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