第十三話 『寝顔と混乱』

 ......なんだか狭いし暑い。


 ――?! 昨日、私が寝たときには椅子で寝ていたはずのエリノアがなぜか私の横で寝ている。


 いつのまに?!


 エリノアの安心した寝顔を見るとまだ昨日の口付けがついさっきの出来事のように感じられた。


 何か昨日はエリノアにも私にも気の迷いがあったはず。そうでなければ......いや、そうでなければならないのだ。


「んんん......」


 エリノアが起きる前にさっさと部屋を出ていこう。そう思ってベッドを降りると、エリノアに腕を掴まれた。


「兄様ぁ......どこにも行かないで?」


 少し目を開けたエリノアの頬はとろけており、りんごよりも真っ赤に染まっている。


 何かがおかしい。


 そう思ってエリノアの額に手を当ててみると、想像を絶する高温だった。


「エリノア、大丈夫か?」


「兄様...風邪をひいたみたいなの」


 やはりこの時期に椅子でしばらく寝ていたのが祟ったらしい。すぐに従者を...と思ったがここは私の部屋。


 なぜエリノアが私の部屋にいるのか、正確に説明するのが難しい気がする。


 母上なら大丈夫か? 


「エリノア、母上を呼んでくるから待っていてくれるか?」


「嫌...兄様が近くにいて?」


 なぜ私に近くにいて欲しいのだ......まさか本当に?


 いや、やめておこう。


 エリノアが近くにいて欲しいと言っているのだ。ここは側にいるのが兄としての務めか。


「ちょっと冷たいが我慢してくれ」


『アイス・ハンド』


 エリノアの額にそっと手を当てる。


 この能力自体は手刀の威力を上げるための能力なのだが、適度に使えば氷枕の代わりになる。


「んん...気持ちいい......」


 心なしかエリノアの表情が和らいだ気がした。それと同時に溢れ出てきたなまめかしい声が、私の心を刺激する。


 しばらくこうしておくのも悪くないだろう。



 コンコンコンコン


 くっ......この状況で誰だ。


「フェイ! 私の代わりにエリノアの額を適度に冷やしてあげてくれ」


『まったく。精霊使いが荒いなぁ』


 枕元に急に現れた犬の見た目の精霊が、短い足を頑張って伸ばしてエリノアの額に手を置く。


「おーい! ウィリアム、おらんのか?」


 陛下の声?


「すみません! 今開けます」


 扉を開けると、重たそうなマントを羽織った国王陛下と従者が待っていた。できるだけ部屋の中が見えないよう注意しつつ自然に立つ。


「ようやく見つけたぞ。昨日は本当にすまなかった。エリノア姫にも悪いことをした...」


 私と顔を合わせるなり頭を下げる陛下。


「おやめください。私は陛下からの謝罪を求めてはおりませんし、第一陛下に非はございません」


 陛下の酒癖が良くないのは社交に顔を出さない私ですら知っているほど有名だし、ましては罵詈雑言を浴びせられたわけでもないのに謝られるのは変だ。


「違う。いや違わないのだが...酒の席で婚約の話をしては、まるで儂が真面目に話しておらんようではないか。エリノア姫とアイヴァンの婚約も、ウィリアムとアリーシャの婚約も、しっかりと考えて欲しいのだ」


 いや...こっちはお酒入ってないんだからいたって真面目に答えたんだけどなぁ。


「承知しました。エリノアにも伝えておきます」


 こわばった表情が安堵に変わっていく。


「ああ。それで、ウィリアムよ。なぜ部屋の中を見せないのだ?」


 バレていた?!


「ち、散らかっておりますので......見苦しい場所を見せるべきではないかと」


「関係ない。どれ、見せてみよ」


 私より少し背の小さい陛下は上下左右素早い身のこなしで隙間から中を覗こうとする。なんとかして守り通さなければ。これ以上変な誤解を招くのは勘弁――?!


 ピタ!!!


 陛下の動きが止まる。


 どうやら私は気がつかないうちに、だんだんと前に進んでいたのだ。


「ほうほう。そうかそうか。いやいや構わんのだよ。若いとは羨ましいものよ......その女をそのままめかけとしてしまえばよい。アリーシャを妻とし、その女も別で愛せばよいだけだぞ」


 ハッハッハ!


「それに、今日の舞踏会は期待しておる。あまり儂をがっかりさせんでくれよ」


 陛下はそのままどこかへと去っていく。


 妾...妻の他に愛人を持つことは貴族では多いとは言うが、そんなのはおかしい。


 いや待て、そもそもエリノアは妹だろ。何を考えなくていいことを考えていたんだ。


 それに今夜の舞踏会も......きっと陛下は私とアリーシャ姫が一緒に踊ることを期待している。


 このまますべて、陛下の思惑通りに進んでいいのだろうか? 


 そんなのは嫌だ。


 私の行動は私が決める。それが私なりの信念なのだから!


 部屋の中に戻ると、エリノアが上半身を起こして膝に乗ったフェイを撫でていた。


「エリノア、騒がしくしてすまない。体調はもう大丈夫なのか?」


「まだボーっとしますが、兄様が冷やしてくださったおかげで少し良くなりました」


 後半はフェイが冷やしててくれたんだけどな...まああいつは撫でられればなんでもいいみたいなところがあるし、いいのか。


「今日は自室で休んで、体調を良くしてくれ」


「......ここじゃダメですか?」


 え、ん? なんで......。でもまあいいのか。別に部屋を貸すくらいたいしたことがない......んだよな? 私たちは兄妹だろう。


「構わないよ。食事はホリーに持って来させるから、必要な物があれば彼女に言ってくれ」


「ありがとうございます。兄様は...舞踏会の準備ですか?」


「ああ。今日は面倒な日になりそうだよ」



 農賀祭二日目。この日は一日中社交パーティーが開かれるだけでなく、夜には舞踏会まであるある意味最も面倒な日だ。


 これは貴族に限った話ではなく、集まった民衆も一日広場で歌い踊り楽しむんだとか。


 他意はないが、私は特段踊るのが下手というわけではない。むしろ社交ダンスは上手い方だと自負している。


 私にとって面倒なのは、一緒に踊る相手を選ばなければいけないことだろう。


 去年はノーフォール公爵令嬢、一昨年はセルベント辺境伯令嬢、さらに前は――


 私が16歳を過ぎてからは相手に身内を選ぶことができなくなり、農賀祭二日目はやけに多くの貴族やそのご令嬢と話す羽目になった。


 ......せめて踊るのなら相手はアリスがいいな。


 そんなことに思いを巡らせていると、あっという間に会場へと着いてしまった。


 会場内は貴族で賑わっている。


 隅には昨日からお酒を飲み続けていたのであろう貴族がくたばっていたり、短時間で数名の貴婦人に話しかける輩がいたりととても優雅な場という気はしない。



「おお! ウィリアム殿ではないか。先日はどうもありがとう。これからは良きパートナーとして、支え合っていこうではないか!」


 調子良く私に話しかけてきたのはハイエル公爵閣下。先日、我が家がハイエル公爵家の正式な後ろ盾となったためか私への態度が柔らかくなった。


「ハイエル卿、お越しいただき感謝しかございません。文字通り辺境の地ですが、お楽しみいただければ幸いです」


 正直に言えばこの方は好きではない。


 あえて交渉の場では言わなかったが、自らの娘を政治に利用するようなお方に尊敬の念など到底抱けない。


「ああそうだ、本日の舞踏会でのお相手にエミリは如何かな? 我らの結束感を皆に盛大にアピールしようではないか! ガッハッハ」


 ......嫌いだ。


「お気持ちは嬉しいですがミリア様のご意志を私は尊重したいですので」


 エミリ様を自分の持ち物か何かと勘違いしているのではないか。


 私の言葉に、ハイエル卿は驚いたような顔をしていた。


「ウィリアム殿は優しいですなぁ。ではエミリを呼んできますので、あとはふたりで決めてください」


 最初からそう言ってくれれば何も思わなかったのに......。



 しばらく経って、エミリ様がお見えになる。


 前回会った時よりもいっそう綺麗な水色のドレス姿は一目惚れしない方が難しいだろう。私も一瞬目を逸らしてしまった。


「ウィリアム様、父がご迷惑をおかけしませんでしたか?」


 私の顔を心配そうな瞳で覗き込むエミリ様。相変わらず優しいお方だな。


「いえ。素敵な申し出でしたが私と閣下だけで決めてはいけないと思いまして」


「私は......ウィリアム様さえよければ喜んでお受けいたしますのに」


 私の言葉にエミリ様は頬を赤らめ、髪の毛をくるくると指で回している。



「では、今日の舞踏会ではぜ―――」


「ちょっとお待ちなさい!!!!!!!!」


 いつの間にか私とエミリ様の前に立っていたのは、燃えているような眩く美しい赤のドレスを着た......少女?


 青く澄んだ瞳に真っ直ぐと伸びるブロンドの髪、まるで『聖女伝説』の挿絵から飛び出してきた聖女様のような方だった。


 しかし幼い。よくて13歳、下手すれば9歳と言われても納得してしまいそうな見た目だ。


「(ご両親と逸れてしまわれたのでしょうか?)」


「(かもしれない......探してあげよう)」


 少女に聞こえないようにエミリ様とヒソヒソと話す。少女はこちらを訝しげな表情で見ていた。きっと親と逸れて心細いのを隠そうとしているのだろう。


「聞こえてるわよ! 私は迷子なんかじゃないんだから! ......もう......お父様に言いつけるわよ!」


 今にも泣き出しそうな声色の少女。


「だ、大丈夫ですよ! すぐにお父様を見つけ出しますから」


 エミリ様は目線を少女に合わせて宥めている。


 着ているドレスや身につけている小物からしてそこらへんの子爵の子どもではなさそう。伯爵、下手すれば侯爵級の高位の方の娘様かもしれない。


「え...本当に私のこと知らないのぉ......? 私はナタリア・ケーメル。わ、私のことを知らないだなんて不敬なんだからぁ......」


 瞳いっぱいに涙をため込んだ少女がケーメル公爵のご令嬢? しかし、公爵閣下の話では私と同い年だと聞いた気が......。


 エミリ様も少し疑ってかかっているようだ。


 少しの沈黙の間に涙を拭ききった自称ケーメル公爵令嬢は、エミリ様を指差す。


 その姿から、さっきのあどけなさはさっぱりと消えていた。


「貴女ね! エミリ・ハイエル。私からウィリアムを奪い取ろうと頑張っているみたいだけど、そうはいかないんだから!!」


 当の本人エミリ様は顔を真っ赤に染めていた。奪い取るも何も、私は誰のものでもないと思うのだが。


「う、奪い取るだなんて! あなたはウィリアム様のなんだというのですか」


「そ・れ・は・ね! 私とウィリアムの間には幼い頃に交わしたキッスと婚約の約束があるのよ!」


 ゑ?


 ソンナノ記憶ニナイノデスガ?????


 私を見つめるふたりの圧に、どう返答すればいいのかわからない。


「ウィリアム様......婚約者はいないってあの時」


「ウィリアム、覚えてないなんて酷いわ!」


 え、本当にわからない場合はどうしたらいいんだろうか。


「どうしようもないウィリアムね。あれは、今から何年も前のこと―――」


 目を閉じ、天を仰ぐように上を向いたケーメル公爵令嬢は私とエミリ様などいないかのように自身の幼い頃の話をし出した。


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