第十一話 『りんご飴と妹』

「――王国のさらなる繁栄を願い、開式の言葉とさせていただきます」


 うおおおおおおおおおおおおお!!!!


 父上の開式の辞が終わるのと同時に沸き立つ観衆。


 農賀祭の開式の辞は開催地の領主が行うのが通例なのだが、私は爵位を譲られて日が浅いため父上が代わりに舞台へと立った。


 若い頃は第一近衛騎士団団長を、先王の治世末期には第二宰相を務めていた父上の人気は貴族界でも指折りである。


 いつか私も父上のように......とは思うが、私には父上ほどの才はない。


「さすがはウィリアムのお父様だな」


 私の肩を二度叩いてきたのは現第一近衛騎士団副団長のカイ・フロンタル公爵。満面の笑みで話しかけてくださる。


「父は私の誇りであり目標です。私には遠く及びませんが」


「ウィリアムならあっという間にお父様を越えれるよ!」


 この方に何度心を救われたことか、感謝しても仕切れないな。


「ありがとうございます」



 やはり貴族が集まる場にいると、大勢の見知らぬ者に話しかけられて面倒だ。


 早くアリスと合流したい。


 足早で馬留めへと向かうとアリスが私の愛馬リンガを撫でていた。


 リンガがあれほど懐いている光景は初めて見たかもしれない。これは聖女の力なのか、それともアリスが動物に好かれやすいのだろうか。


「ウィリアム様! リンガさん、すっごくいい子で待っていましたよ」


 アリスの笑顔を見ると癒される。


「ありがとうアリス。いこうか」



 少し肌寒くなってきた昼過ぎ、お祭り騒ぎで賑わうトリノ。ここまで賑わっているトリノを見るのは生まれて初めてだ。


「皆さん、いい顔してますね」


「本当に。こうして民衆を楽しませることができたのも、アリスのおかげだよ」


 馬に乗っているのでアリスの顔を見ることはできない。でも、声色でアリスが安心しているような、嬉しいような感情は伝わってくる。


 目的地もなく街中をぶらぶらできるのは新鮮で、もし私が貴族でなかったならこのような生活を送っていたのかもとか思った。


 そうすればもっと自由な暮らしを......。


「ウィリアム様に拾っていただけなかったら、きっと私は何もできませんでした。だからこれはウィリアム様のおかげです」


 アリスが私の耳元で囁く。


「うわ!!」


 耳にアリスの生温かい息がかかって変に手綱を持つ手に力が入ったせいか、リンガが少し暴れて危うく落馬するところだった。


 情けない声を上げたせいで周りにいた民衆が笑っている。


「だ、大丈夫ですか?」


「ああ。少し寒さで震えてしまっただけだよ」


 原因はアリスなのだがな......。



 今日は市場以外の場所でも数えきれないほど多くの出店が並んでいる。にも関わらずどこの店も客が列を成しているのだから、農賀祭の凄さを感じた。


 ただ、そんな中で貴族というのはなんともいびつな存在で、長蛇の列を前に店主の方から優先して商品を買えるのだ。


 その時の民衆の顔と言ったら......あの顔を無視して商品を購入できるほどの度胸は私にないらしい。


 そういうわけで、アリスと私は今珍しい飴を売っている出店の列に並んでいる。


 愛馬のリンガは列に並べないため、馬車に持って私を探しにきていたクリフへ少々強引に預けてみた。リンガもクリフもすまない。


「あの格好、貴族じゃない?」

「並ぶとかできるんだ...」

「意外だね」


 列に並んでいるだけで他の客から珍しがられるのだから、なんとも変な気持ちだ。


 しばらく並んでいるとようやく私とアリスの番がまわってきた。


「これは! 辺境伯様、来ていただき光栄です! 何を注文されますか?」


 人あたりの良さそうな中年の店主がハキハキとした声で問いかけてくる。


「ええと、りんご飴? というのを2つ頼むよ」


「まいどあり! ......がとうございます。すみません馴れ馴れしくて。銀貨4枚になります」


「構わんよ。これでちょうどかな」


 飴2つで銀貨4枚か。普通なら絶対買わない自信があるが、私の隣でアリスが目を輝かせている以上そうもいかない。


「こちら商品で〜す」



 想像の数倍原型をとどめたりんごだった。端的に言えば一つのりんごに持つための棒を刺して飴でまわりを上塗りしている。


 どのような文化に触れればりんごを丸ごと飴でコーティングしようと考えつくのだろうか。


 ......考えても仕方がないか。


 店の前から人の少ない方へとはけてから、アリスにりんご飴を渡す。


「これ、案外重たいから気をつけて」


 ......ぺろっ。


 私の差し出したりんご飴を、アリスは受け取らずにそのまま一度舐めた。


 でも変なのは、りんご飴を舐めたアリスの顔がりんごくらい真っ赤に染まっているという事実だろう。


「あ、アリス...どうしたのだ?」


 俯いたまま反応のないアリスに、私はどうするべきかわからなかった。


 しばらくの沈黙の後、アリスは私がそのまま差し出していたりんご飴をようやく受け取る。


「その......小さい頃本で読んだことがあって、試してみたら思いの外恥ずかしくて」


 か、可愛い。


 自分でもわからないうちに笑ってしまっていた。


「笑わないでください! もう......ウィリアム様ならわかってくれると思ったのに!」


 頬を膨らませているアリスも可愛い。


「すまないすまない。アリスは本当に可愛いなと思って――?!」


 口を手で塞いだ時には遅かった。


 今まで心の中にとどめていた“可愛い”という感情を、まさか面と向かって言ってしまうとは。


 せっかくこちらをみていたアリスも、また俯いてしまった。



「......もう一回言ってください」


「アリス、今なんて」


「もう一回言ってください!!!」


 私の目を見て、顔が紅潮しきったアリスは食い気味にそう叫んだ。


 もう、隠す必要はないのだな。


「アリスは本当に可愛いよ。屈託のない笑顔も、普段の何気ない仕草も、寝ている時でも、怒ってる時でも。今まで伝えていなかっただけで、私はずっとアリスのことを可愛いと思っていたよ」


 本心を曝け出すのはこれで二回目だ。まあ、一度目はアリスが覚えていないそうだが。


 アリスの頬を涙が伝う。


「ごめんなさい...私とっても嬉しくて......」


 一連の騒動で私とアリスの周りに民衆が集まってきていた。涙を流すアリスを見られたくはない。


 近くにクリフが連れてきた馬車があるはず。


 私はアリスの手を取り、輪の中心を抜け出した。



 泣き止んだアリスと馬車に乗って農賀祭の出店転々としていたら、あっという間に夕暮れとなってしまった。


 このままアリスと過ごしたかった......のだが、農賀祭一日目の夜は国王陛下も出席する盛大な社交パーティーがあるためそうもいかない。


 無論、アリスを同伴させることもできないだろう。


 というわけで私はクリフにアリスを預けて、辺境伯邸の大広間へとやってきた。



「ウィリアム兄様、遅いですよ」


「すまないハンス。とりあえず警備隊の報告だけ聞かせてくれ」


 やれやれといった表情のハンスが、手に持っていた紙に目を落とす。


「国境警備隊からの異常発見の報告はなし。農賀祭の警備隊についても、酔っ払い同士の喧嘩やひったくり程度の報告で重大事案の発生はなし。警備体制についてもおおむね順調です」


「ありがとう。私は陛下と外国の使節に挨拶をしてくるよ」


 普段は空虚なまでに広いこの部屋も、今は公爵から男爵まで多数の貴族がいて、それぞれの話に花を咲かせていた。



「国王陛下、お楽しみいただけてますでしょうか?」


 大広間の壇上、王室の皆様の列席する中央に陛下は座っている。近くに来たからわかったが、陛下からは相当なお酒の匂いがした。


「おおウィリアム。儂は満足しておるぞ〜。でもな、お前の妹のエリノア! あやつはけしからんな」


 陛下は酔いがまわってかかなり饒舌じょうぜつになっている。隣に座られている王妃様も、苦笑いで私と陛下を見ていた。


「エリノアがどうかしましたか?」


「あいつは! 我が愚息アイヴァンと結婚しろと言ったらそれはできないとほざきよった...ヒッグ......お前はどうだ、アリーシャと結婚する気はないか?」


 まあエリノアは自由人だから断るのも無理もない。それより、今陛下は第二王女アリーシャ様との婚約の話を私に?


 どう断れば穏便に済むか......。


「陛下、ウィリアム卿がお困りですよ。それにウィリアム卿には一緒に農賀祭をまわるほど親身にされている女性がいるのですから」


 王妃様、何処でその情報を?!


 王妃様の一言で、陛下が目を大きく見開いて私へと詰め寄ってきた。


「聞いておらんぞウィリアム! そうならそうと早く紹介するのだ! さあ、連れて来い」


「彼女は国王陛下に合わせるほどの身分にございませんので......」


 アリスのことを卑下するのはとても心苦しい。しかしこうするしか方法はない。


 怪訝な顔で私の目を見る国王陛下。


「ウィリアムよ。世の中において一番大切なのは“均衡”なのだ。それは国家間でも夫婦間でも変わらない。均衡の取れていない関係は主従関係に過ぎないのだよ。つまり、お前と地位の釣り合わない相手と結ばれるべきではない」


 陛下の仰っていることはきっと正しいのだろう。


「では、陛下は私が第二王女様の婿に相応しいと言うのですね」


「ああ。お前ほどできた男はそう居ない」


 陛下と私を交互に見やる王妃様。


「私はそうは思いません。私のような若輩者にアリーシャ姫は高嶺の花。もっと適任な方が公爵家にでもおりましょう」


「陛下。ウィリアム卿もこう言っておられますし、アリーシャの意志も大切にすべきです」


 王妃様のアシストで陛下は黙り込んでしまわれた。私はお二方に一瞥いちべつし、壇上を後にする。





 あれから誰とも話すことなく、いったん自室へと戻ってきた。


 椅子にでも座って落ち着こう......?


 私の椅子に誰かが座っている。入り口に背もたれを向けているため、誰かはわからない。


 扉の音にも一切反応しないあたり、寝ているのか?


 ゆっくりと近づいていくと、窓から差し込む月明かりに薄く照らされたエリノアが寝息を立てて寝ていた。


 なんだか懐かしいな。アリスが来る前まではたまにエリノアと一緒に寝ていたこともあったし......つい数ヶ月前がやけに昔に感じられた。


「エリノア、こんなところで寝ては風邪をひくよ。せめてベッドで寝なさい」


 エリノアの肩をさすってみるが、全然起きる気配がない。


 にしても、エリノアはなぜかたくなに婚約話を受け入れないのだろう。アイヴァン王子との婚約生だって、陛下もお酒が入っていたとはいえ別にその場で断る必要もなかっただろうに。


 ......まあ、私が言えた義理ではないか。


 エリノアにもきっと意中の相手がいるのだろう。ずっと前から...案外私に近しい方かもしれないな。


「んんん......ウィリアム...様?」


「私か? 兄なら目の前にいるよ」


 ほとんど夢の中であろうエリノアが、私の名前を呼ぶ。


「ウィリアム...様......好き...大好き」


「エリノア...?」


 これも懐かしいな。エリノアは昔私に向かって格好いいだとか好きだとか言ってくれていた。


 きっと、小さい頃の夢を見ているのだろう。恥ずかしいが、エリノアの思い出になっているのなら兄としても嬉しい限りだ。


 エリノアも今年17歳になるのだな...感慨深――ッ!


 ゆっくりと私に向かって伸びてきたエリノアの両腕が、私の首をそっと抱え込む。


「ウィリアム...様、アリスちゃんには...渡さないんだから」


 私が抵抗する間も深く考える間もなくエリノアの柔らかい唇が私のと重なった。




 何秒くらい口付けをしていたのだろう。


 安心してしまったのか、エリノアはそのままの体勢でまた眠りについてしまった。


 少しずつ動いてエリノアの腕の中から抜け出し、状況を整理しようとするが......全然頭が回らない。


 胸の鼓動が早くなって止まらないのだ。


 月明かりにほのかに照らされたエリノアの顔は、以前よりずっと大人びている。いつもの見慣れたはずのドレスが着崩れて肩が見えてしまっているのも、きっとエリノアの妖艶さを増強していた。


 ダメだダメだダメだ!


 エリノアと私は兄妹。きっと寝ぼけていたエリノアが意中の相手と勘違いしただけに違いない。


 ではなぜ私の名前を......? そうだ! 好きな方と私が同名の可能性があるではないか。エリノアにはたいそう悪いことをした―――。



『......アリスちゃんには、渡さないんだから』



 この一言さえなければ、私の頭がここまでかき乱されることはなかったはずだ。


 兄と妹という関係はそれ以上でもそれ以下でもない。一緒に育ってきたからこそ成立する、絶対に破ってはいけない信頼関係があるのだ。


 ......邪推はやめた。


 エリノアにはブランケットをかけておこう。明日、どうせ変な姿勢で寝たから寝違えたと笑いながら言ってくれるはずだ。


 アリスは......もう寝たかな。


 私も寝よう。寝て、すべて忘れてしまおう。

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