第一話 『伝説と麦畑』

 中央会議で配られた紙を眺める。


 召喚された聖女の特徴は若く小柄な女性で蒼緑色の澄んだ瞳、ブロンドの長い髪。彼女がひとたび祈れば土より芽が育ち、人々の病はたちまち消え去った。


 国を救ってくれた彼女に人々は感謝し、王は彼女に爵位を与えたのだ。


 だが伝説には続きがある。聖女の力を支配した王は彼女の力で不滅の騎士団を作り、世界を蹂躙して服従させたのだ。結局、聖女は自らの招いた悲劇を悲しみ自殺してしまう。


 幼き頃、寝る前に母上が読み聞かせてくれた『聖女伝説』が現実になるとも思えない。


 ただ、挿絵として描かれていた聖女の姿は私の初恋でもあった。このような女性が聖女としてではなく、普通のの女性として現れてくれれば嬉しいのに...と思った回数は数え切れない。


「ウィリアム様。辺境伯領が見えて参りました」


 クリフの声で我に返り、故郷のことを思う。


 私の故郷、ヴェトレール辺境伯領。私の父まで13代に渡って治めて来たこの地も、前王の治世で発生した権力争いで荒廃しきっていた。


 石畳の道で馬車が揺れる。


 畑や果樹園は荒れ、町は廃れ、住民たちの心すら病がむしばみ私の幼い頃とは一変してしまった。


 我々貴族の飽くなき権力への追求に晒されて変わり果てた故郷を見るたびに自責の念にかられる。


 たとえ自己満足であっても、早く領民たちに元の暮らしを取り戻す手伝いをしたいのだ。


「ウィリアム様! 外をご覧ください! 草木が生い茂っております」


 さっきまでただ窓の外を眺めていたクリフが驚きと喜びに満ちた声で外を見るよう促す。


 窓の外を見て私は言葉を失った。


 出立した時には地面や枯れ草の茶色が目立っていた畑には、春の温かな陽の光を浴びる青々とした小麦が生い茂っている。


 それだけではない。


 農道を子供たちが駆け回り、大人は忙しそうに牛を引いているのだ。幼い頃に私が眺めた景色と同じ、失われた日常が戻ってきていた。


「どうなっている...クリフ! 近くの農村に寄るのだ。とにかく事情を聞こう」


 辺境伯邸まで続く主街道をそれ、今年の収穫量は皆無だろうと報告していた農村ピネルノへと急いだ。


 村に着くと子ども大人関係なく馬車に近寄るので、先駆けの騎士たちが意味をなしていない。なんとか馬車からステップを引き出してもらい、クリフと共に降りる。


「この村の村長はどこだ。畑が相当実っているようだが、何故かを聞きたい」


 村人たちに呼びかけると、彼らは神の使いが来たとか奇跡が起きたとか、耳を疑うことばかりをそれぞれ言うだけで埒が明かない。


 すると奥から邪魔じゃ邪魔じゃと言いながらご老人が若い従者を引き連れて私の前に跪いた。


「私が村長でございます。辺境伯様よくぞお越しくださいました」


 村長の言葉を聞いてようやく村人たちが静まり引き下がる。


「先月まで芽も出ぬ状況だったのでごぜえますが、つい2週間ほど前にいきなり現れた女性が畑の前で祈ると、急に麦が育ちまして...」




 意味がわからなかった。いや分かりたくなかった。


 聖女召喚の儀が失敗したのを私はこの目で見た。この国のどこかに聖女が居るというのも、クロウリーが保身のために国王陛下に言った嘘だと思っていた。


 しかし、聖女の出現以外でこの村のことを説明するのは不可能だとも考えられてしまった。


 苦しむ農民を救う慈悲深さ、農村の広大な畑全域にマナを与えることができるその力。それが備わっているのはただひとり......聖女だけだ。


「では、その女性は村のどこに居る?」



 私の中でやるべきことは決まった。聖女を見つけ出し、国王陛下から生涯をかけて隠し通す。


 伝説の二の舞には絶対にさせない。


「それが...その女性に不作に困っている村は他にも山ほどあると話すと、彼女は急いで他の村へと行ってしまわれたのです」


 呆気に取られた。


 しかし、そのように言われれば聖女が黙っているはずもない。慈悲深い聖女が別の村へ行くのは必然的だろう。


「わかった。では、どちらの方角へ行ったのかだけでも教えてくれるか?」


 確率は二分の一。聖女が一本道の主街道で隣の伯爵領へと向かっていたのなら隠し通すことはできないだろう。だがもし...辺境伯邸の方角へ進んでいるのなら可能性はある。


「彼女には辺境伯領の地図と馬をお礼で差し上げたので、領内の他の村を巡っていることかと」


 となれば聖女は辺境伯領のどこかにいる!

 私は感謝の言葉と収穫見込み量の訂正指示を従者に任せ、急いで次の村へと出発した。



 その後リバやノーム、ピスシアなど主街道近くの農村すべてに寄って来たが、どの村も青々と輝く収穫直前の麦があるだけだった。


「ウィリアム様...農村はまだ数十箇所ございます。今日はこの辺で辞めて辺境伯邸へ帰るべきではないでしょうか」


 もうしばらくすれば日が落ちる。一日中聖女の探索に付き合わせたクリフはじめ従者たちはすでに疲れきっていた。


「あとひと村だけ付き合ってくれ。それで見つからなければ残りはまた後日探そう」


 かく言う私も疲れていることに変わりはない。

 捜索を後回しにするにしても数は少ない方が良い。そのくらいの感覚でしかなかった。


 主街道から枝道へと馬車が入る。案外、土を押し固めた枝道の方が石畳の主街道より馬車の揺れが少ない。


 農村までもう少しのところで、畑がまだ茶色一色であることに気がついた。聖女を我々が追い越したのか、はたまた聖女が見落としたのか。


 どのみち、いつか聖女がこの村に来るのならしばらくここに滞在してもいいかもしれない。


 考えつつ外を眺めていた。


 ―――畑の様子がおかしい。夕陽で赤茶色に染まった土の上に薄緑色のもやができている。


「クリフ!馬車を止めてくれ!」


 私の声にぶるぶるっと震えて起きたクリフが馬車の運転手に止めるよう指示を出す。車列が止まるのとほぼ同時に私は馬車を飛び降りた。


 畑の中で這いずり、薄緑色のもやをじっと見る。

 しばらくすると土の中から次々と芽が出てすくすくと成長していく。


 間違いない。この村に今、“聖女”がいる。


 茫然とこの異常現象に見入っている従者たちを尻目に、私は従者の乗っていた馬にまたがり村へと急いだ。


 村に入ると大きな人だかりができている。馬を降り、村人をかき分けてその中心部へ少しずつ近づいた。


 視界の中心に、女性の姿が映る。


 美しい淡い青緑色の長い髪。蒼緑色の澄んだ瞳。庶民の着るような白いワンピースに身を包んだ彼女こそが聖女なのだろうか。


 村民たちと親しく話しているその姿についつい見惚れてしまう。不意に目が合うと、彼女はにこやかな笑顔を私へと向けた。


 確かに伝説の聖女とは容姿が多少異なる。しかしその溢れ出る慈悲のオーラと誰にでも寄り添う姿勢、間違いなく私の考える聖女像と合致していた。


 ......この方が、聖女なのか。


 聖女様の目の前へと行き、私はひざまずいた。


「取り込み中すまない。私は辺境伯のウィリアム・ヴェトレールと申します。我らが聖女様、村を救っていただき感謝しても仕切れない。ご恩に報いるため辺境伯邸へ来ていただきたい」


 言いながらそっと手を差し出す。


 聖女様は目を丸くしてしばらく黙った後、私の手を両手でゆっくり下ろさせた。


「私は恩を売るために村を救ったのではありません。ですが、辺境伯様の申し出を無碍むげにすることもできませんね」


 聖女様も膝をつき、私と目線を合わせて微笑みかけてくる。


 私とそう歳も変わらないはずなのに、母親のような安心感...これが聖女様が聖女たる所以なのだろうか。


「ウィリアム様! ようやく追いつきました...えっと、そちらの美しい村民は?」


 騎士たちとともに村人を押し退けて現れたクリフは、顔こそ私の方を向いているが視線は聖女様に釘付けだった。


 わかりやすい男だな。私は小さく咳払いをしてクリフの視線をこちらへ向ける。


「この方こそ件の聖女様だ。これより辺境伯邸にお連れするぞ」


 言った途端、クリフはもはや私など居ぬかのように聖女様をじっくりと見てこの方が.......と固まってしまった。



 すっかり日が落ちてしまったため、クリフの運転で辺境伯邸へと急いで帰っている。


 辺境伯邸は小高い丘の上にあり、麓には辺境伯領で一番栄えている領都トリノがある。当然この街も争いで甚大な被害を出したのだが、相変わらず夜でも人々で溢れかえっていた。


 私と向かい合うように座っている聖女様は初めて見るらしい夜の街を楽しそうに眺めている。


 同じ窓から同じ景色を見ているはずなのに、きっと聖女様と私では見えている世界が違うのだろう。


「ウィリアム様! あの建物にみんな集まってるようだけど、何があるの?」


「あれは酒場ですね。近くに鉱山があるのでそこの労働者が一晩中騒いでいるようです」


「じゃああれは? 小さなお店がたくさん並んでるところ!」


「あれは中央市場ですね。辺境伯領の各地から届いた野菜や果物、最近は雑貨類も売っていると聞いています」


 聖女様は目に入るものほぼすべてに疑問を持たれる。そんな彼女の目はキラキラと輝いていて表情も美しい。この時間がいつまでも続けばよいのに。


 ふと聖女様がこちらを見た。


 至近距離で目が合う。


 今、私と聖女様は密室空間でふたりきり。さっきまで感じられなかった聖女様のほのかに甘い匂いが急に香りだした。


 自然と彼女を抱き寄せてしまう。サラサラな髪の下に、華奢な体とは対照的な骨の硬さを感じる。


 瞳を閉じる聖女様。


 もう後には戻れない。覚悟を決め、顔を近づける。


「辺境伯様! も、もうすぐ辺境伯邸へお着きしまする!」


 視界の隅でクリフが慌てて小窓を閉めた。


 ......私は何をしていたのやら。


 聖女様は顔を真っ赤にして俯いている。ここで言葉をかけられないのが、私のダメなところだろう。


 石畳の道を走る馬車の騒がしい走行音だけが車内に響き、黙っているこっちまで恥ずかしくなってきた。



 実に1ヶ月ぶりの我が家へと着く。ニヤニヤとしているクリフがステップを出してくれたので私が先に降り、聖女様へ手を差し出す。


「聖女様、足元にご注意ください」


 まだ顔の紅潮がとれない様子の聖女様のひんやりとした手が私の手を握り、一段一段着実に馬車を降りてきた。


 玄関の扉を開けるとメインホールに複数の従者たちが待ち構えている。その真ん中にピンクのドレスに身を包んだ私の妹、エリトアの姿があった。


「兄上、長い旅路お疲れ様でございます。それで、そちらのお方はどなたですか?」


 聖女様をまじまじと見ているエリトア。私が話そうとすると、先に聖女様が口を開いた。


「私はアリスと申します。ウィリアム様に村から連れて来ていただきました」


 聖女様のお名前、アリスと言うんだな。いや待て、今の言い方には語弊が.........。


「アリス様、はじめまして私ウィリアム兄様の妹のエリトアといいます。ずいぶんと親しい間柄のようで...兄をよろしくお願いします」


 エリノアが優しく聖女様に微笑みかける。


「エリノア、この方は聖女様だ。決して私の婚約者などではないぞ」


 不敵な笑みを浮かべるエリノア。


「兄上が聖女と称すほどに惚れ込まれたお方ですか、ぜひ私とも仲良くしてくださいな」


 ......こりゃダメなやつだ。エリノアは満足げに笑っているし聖女様は顔を真っ赤にして黙っている。


 おまけにクリフは私の顔を見ながらニヤニヤしている。クリフ、お前とは後でゆっくり話そうと思うよ。


「エリノア、彼女にドレスを貸してあげてくれ。部屋も隣を使うように頼む」


 聖女様を父上に合わせる以上身なりを整えていただかなければならない。そのためにはこの勘違い妹の協力が必要だった。


「かしこまりました。アリス様、私の部屋へ案内しますわ」


 聖女様のえ? と言う不安に満ちた声を気にすることなくエリノアは聖女様の手を取り、二階へと消えていった。


「さあクリフ君...お話があるから私たちも行こうか」


「......聖女様の時のようにお手柔らかにお願いします」


 クリフへの“お話”は、長くなりそうだ。

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