辺境伯は自領で静かに過ごしたい!

四条奏

プロローグ 『聖女召喚の儀』

 カーテンが部屋を外界から遮断し、壁に取り付けられた蝋燭ろうそくが薄暗く王の間を照らしている。


 大広間の中央には今まで見たことのないほど巨大で複雑な魔法陣が描かれ、ほのかな紫色の光を出している。


 この儀式を執り行うのはこの国が誇る最強の魔導士たち。役者はすべて揃っているようだ。


 ハプロフ王国の状況を一番考えていらっしゃる国王陛下が聖女召喚にこだわる気持ちはわかるが、所詮はただの伝説。今から行われる『聖女召喚の儀』には国中の高級貴族が観衆として集められたが、侯爵はおろか伯爵でさえ集まりが悪い。


 貴族たちが世間話をしていると、魔導士たちが聖書の一部を斉唱しはじめる。それと同時に静まる貴族たち。


 魔法陣に変化が始まる。

 紫色の光は次第に強さを増し、魔法陣から豆粒から拳大の青白いオーブが出てきているのだ。


 王の間にいる全員が固唾を呑む。


 放出された青白いオーブは魔法陣の中心に集まり大きな光の塊となっていく。


 貴族がひとり、またひとりと声を上げ王の間全体にざわめきが広がる。ただの伝説が現実へと変わる歴史的瞬間に立ち会っているかもしれないのだ。


 召喚される聖女の姿を少しでも見ようと貴族が魔法陣の近くへと押し寄せる。ひと一人分にもなりそうな光の塊に、会場にいるすべての人の目が釘付けになる。


 その時だった。


 魔法陣の中心に浮かぶ光の塊が急に収縮したかと思えば、結晶のように割れて消え去ってしまったのだ。途端に魔法陣から光は消え、蝋燭の光だけが静まり返った王の間を照らす。


 一瞬全員が静まり返った。


 やはり失敗か。


 そして誰かがそう呟いた。いや、誰もがそう言い出した。伝説はただの伝説だったと証明されただけ。貴族たちの興味が一気に散らばる。


 ふと国王陛下を見上げてみると、退屈そうな顔のままそっと玉座から立ち上がり王の間を出ていく。その後ろを先ほどまで儀式を行っていた魔導士たちが弁明のためか慌てて追っていた。


 そんな中。ただひとり用済みの魔法陣の前に突っ立っている青髪の男がいた。


 ハイウェニスト・クロウリー。陛下に聖女伝説を夢見させた張本人。


 彼はこの状況で笑っているように見えた。


 つくづく不思議な人だと思うが、私がここにいても仕方ないので王の間を出ていくとしようか。



「ヴェトレール辺境伯第一令息のウィリアム様でいらっしゃいますよね? 宰相様...ヴェトレール辺境伯はご息災ですか?」


 急に話しかけられたので振り返ると、肉付きのよい方がいた。特に存じ上げないがどうやら父上の知り合いらしい。


「もしかして私のことをお忘れですか? 辺境伯の学友、ヨートル伯爵家の現当主クォールでございます。辺境伯様はどうお過ごしで?」


 知る由もなかった。父上は多方面に顔が広いため私が知らない友人も多いのだろう。そしてこの方は父が爵位を私に譲ったのを知らないらしい。


「申し訳ありません。父は先月私に家督を譲り今は母と隠居生活を送っています」


 わかりやすいよう簡潔に話したのだが、ヨートル伯爵はバツの悪い顔をしていた。


「では、今はウィリアム様が辺境伯のお仕事をされているのですね。何かお困り事があれば何なりと私をお頼りください! それでは!」


 伯爵殿は逃げるように去ってしまった。少々言葉が堅かったか? やはり外様貴族と話すは得意ではないらしい。


 きらびやかな宮殿を出ると臣下のクリフと帰りの馬車が待っていた。


「ウィリアム様。お待ちしておりました」


 久々の王宮はやはり息が詰まった。

 だが、これでしばらく王都へ来るのとはなくなるな。佩剣はいけんをクリフに渡し、少し硬い馬車の背もたれに身を預けた。



「ウィリアム様、本日の宿泊地に到着します。下車の準備をしてください」


 クリフの声で目が覚めると、馬車は王都から南東に下った宿場町メルムの町中を走っていた。窓の外では日が暮れているのに町人や旅人が忙しなく行き交っている。


 しばらく町人たちを眺めていると、一際大きな城門が見えてきた。


 今日泊まるのは昔から父上と仲のいいロケッテ侯爵邸。門を通り抜けると見える大きな玄関の前で侯爵ご本人が出迎えをしてくださる。


 馬車が停まるとクリフが先に降りてステップを出し、私に降りるよう合図を出した。


「ご無沙汰しておりますウィリアム様、クリフ殿。辺境伯邸に比べれば貧相な館でございますが、我が家のようにおくつろぎください」


 そう言って手を出す侯爵閣下。手を握ると幼い頃は耐えられなかった鈍い痛みが走る。


 侯爵閣下の過度な謙遜とやけに強い握手は昔から変わらない。そして私はそこに少し安心感も感じている。


「お出迎えありがとうございます。お言葉に甘えたいのですが先に父上に伝書を送ります」


 父上は聖女召喚の儀が成功することをとても心配されていた。不安が長続きするのは老化を早めると町医者が言っていたので、一刻も早く知らせたい。



 結局私は日が変わる直前まで王の間で起きたことをできるだけ詳細に書き綴り、眠たい目を擦るクリフに伝書鳩を出してもらいそのままの勢いで寝た。


 今日から辺境伯領へ着くまであと2週間はかかるだろう。帰ればまた動乱で荒れた領地の復興に追われる日々が始まる。ただ、宮廷貴族の自慢話を聞かされるよりはよっぽどマシであるのも事実だ。


 一日でも早く町を復興させ、領民の暮らしを元通りにしなければならない。それが私の使命であると思っている。


 まあ、今は使命など置いておいて目の前の食事に集中することとしよう。


「お口に合いますかな?」


 侯爵閣下は私を気遣ってか、朝早くから焼き色のしっかりとついたステーキをはじめとする豪華な食事を用意してくださった。


 実に半日ぶりの食事......一気に頬張りたいところだが、私より15歳も若い侯爵令息が私を見つめている以上そうもいかない。


「このような美味しいステーキ、久々にいただきました」


 閣下の満足そうな表情を見つつ、ステーキを少しずつ切り分けて口へ運ぶ。


 和やかな雰囲気の中で繰り広げられるとりとめのない話。ただ、侯爵令息のご学友事情には王都に近いからこその辺境伯領との違いを感じ、少々羨ましく感じてしまった。


「ご主人様、王宮から急ぎの手紙が届いております」


 少し年老いた執事が会話を切り、慣れた手つきで手紙を開けて侯爵閣下に差し出す。


 どれどれと手紙を広げる閣下。何度か首を傾げ、おもむろに口を開く。


「どうやら、陛下が国中の高級貴族に召集をかけて中央会議を行うようです」


 そうですか...とスープを飲みながら相槌を打ったところで気がついた。


 また、王都に戻らなければいけないのだと。



 昨日はカーテンが閉められ、中央に魔法陣があったはずの王の間はすっかりいつもの小綺麗な長机がある会議場へと戻っていた。


 そして昨日はいなかった公爵に他の辺境伯まで集まっている。どういったカラクリなのかはわからないが、考えつつ席に着いたところで聖歌隊の演奏が始まった。


 貴族たちの視線が一点に集まり国王陛下と共に参議の面々が入場する。貴族の注目はその最後尾にいた青髪の魔導士に持っていかれた。


 ハイウェニスト・クロウリー。


 背中に嫌な汗を感じた。確かに彼は魔導書研究所の所長であり公爵の地位も持っている。しかし彼が中央会議に現れたことはもちろん陛下の横にいたことは一度もない。


 貴族たちもなぜ今更と彼の初出席に愚痴をこぼしているようだ。


「静粛に。只今より、ハプロフ王国国家中央会議を開会する。国王陛下よりみなさまにお知らせがございます。謹んでお聞きください」


 宰相様が引き下がると陛下が玉座をゆっくりと立ち上がり、皆の注目を集める。陛下の顔には昨日見た退屈ではなく、何かを達成したかのような自信が見て取れる。


「この度、我が王国の優秀な魔導士によって聖女召喚の儀は成功した」


 ......ハッタリか?


 陛下の発言に拍手をするのは国王派閥でも一部の者だけ。他大半の貴族は首を傾げている。


 昨日の儀式で魔法陣の中に聖女が現れることはなかったのだ。そのはずなのに、儀式が成功したなどと陛下が言う意味は誰も理解できない。


 ふと誰かが手を上げる。宰相様が発言を許すと席を立ち、小さく咳払いをした。


「昨日の儀式には我が愚息を出席させていただいたのですが、儀式は失敗したと言っておりました。何故我々に嘘をつかれるのです」


 さっきまで拍手を送っていた貴族たちは不快な表情を浮かべ、陛下の発言を疑問視していた貴族は“嘘”と断言したのに不安な顔をしていた。


 陛下はうんうんと頷く。


「さよう。しかし我が王国の誇る大魔導士クロウリー卿が、我が王国のどこかに聖女が出現したと言っておるのだ」


 唖然とする貴族たち。そんなわけはないと誰もが思っている中話は続く。


「今日皆を集めたのは他でもない。国内のどこかにいる聖女を見つけ出し、我の前へ連れてきて欲しいのだ。当然連れてきた者には褒美をやろう」


 そこでとある紙が配られる。簡素な書面には聖女を国王に捧げた際の褒美と伝説に基づく聖女の身体的または能力的特徴が書かれていた。


 聖女を見事に見つけ出し、国王陛下へ差し出した者には陛下の第一王女サーシャ様との婚約、さらには第二宰相の身分を与える。


 王女との婚約。それすなわち普通の貴族が王侯公爵となる唯一の方法である。王侯公爵となれば少なくとも三代の繁栄は確実だ。


 国王陛下が政権を握り国内の動乱が収まってから今日まで、貴族の地位はほぼ固定され成り上がりなど不可能に近い。


 私は聖女探索などなどくだらんと思う。しかし、大半の貴族にとってこの博打は自身の名声を武功以外で世に知らしめるチャンスだ。


 侯爵や伯爵の者どもの熱気は凄まじかった。閉廷と同時に駆け出し、我先にと自分の領地へと帰って行く。


 こうして、国家全体を巻き込んだ聖女探索が始まるのであった。

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