24.リシャールの黒歴史

 大人げないことをしてしまったという自覚がリシャールにもあった。

 アリスターのスマートフォンの壁紙を見た瞬間、リシャールに走ったのはものすごい羞恥だった。


 あれは確か五年前、リシャールが二十三歳のころだ。

 Domを抱くなんて考えられないとか、コマンドが優しいのにDom性が強すぎて怖いとか、生ぬるいコマンドで満足ができないとか、悪し様に言われてリシャールはプレイするSubもいない期間が長くて、相当に欲求不満だった。

 撮影現場にSubがいないのをいいことに、自分勝手にグレアを放出して、不機嫌もそのまま、欲求不満もそのままに、仄暗いメイクに合わせて目を伏せて、僅かに舌を見せて淫靡な雰囲気を出して撮影に臨んでしまった。

 あれは黒歴史としか言いようがない。


 リシャール・モンタニエがこんなにもエロティックなのかと評価を得て、事務所が有料で壁紙を売りだしたら他の壁紙を抜いて断トツで売り上げ一位になった写真だったが、リシャールは両手で顔を覆って、その場で悶えて転がり回りたいほど恥ずかしい作品だった。


 一応、一流のモデルとしてどんな作品にも全力で臨んでいるし、裸に近いような格好でも恥ずかしいと思わないのだが、この写真だけはリシャールにとって黒歴史で何とかして世界からなくしてしまいたいものだった。


 それをアリスターがスマートフォンの壁紙にしていた。

 耐えられるはずがない。

 前にオーダーメイドのスーツを着てツーショット写真を撮ったときに、ちらりと見えた壁紙に嫌な予感はしていたのだが、案の定リシャールの黒歴史の写真で、リシャールはアリスターからスマートフォンを取り上げて壁紙を強制的に取り換えていた。


 穏やかに微笑むリシャールの膝の上に抱き上げられて恥ずかしそうにしているアリスターとのツーショット。

 これはリシャールも気に入っていて、秘密のパスワードでロックされたフォルダに入れて大事に取っている写真だった。


 ツーショット写真についてはアリスターも大事に思ってくれているのだろう、普通の写真のフォルダにはなかったからパスワードでロックされたフォルダに入れて管理しているのだろう。


 自分のスマートフォンから共有メモで写真を送り、それを壁紙にしてリシャールは一旦落ち着いた。


 その後でコマンドを使ってアリスターに行ってきますのキスをさせたのは大人げなかったかもしれないが、アリスターに自分だけを見てもらいたいというリシャールの僅かに表れた稚気のようなものだった。

 小さいころからモデルの仕事をしているし、大人相手に仕事をしていて、子ども時代などないに等しかったが、アリスターにはつい稚気を出してしまうし、甘えてしまう。

 同じ年だというのにアリスターが落ち着いていて格好いいのがいけないのだ。


 買い物から帰ってきたアリスターは買ってきたものを冷蔵庫に入れてリシャールに問いかけた。


「そういえば、リシャールはもうすぐ誕生日だろう? 何か欲しいものとか、してほしいこととかあるか?」


 アリスターはリシャールのファンで、誕生石も知っていた。リシャールの誕生日もしっかりと把握しているのだろう。

 当のリシャールの方が誕生日を忘れつつあった。


「誕生日……祝ったことがないからなぁ。ファンに祝われる日ではあるんだけど、僕自身で何かしたことはないな」

「それならなおさら何かさせてくれよ。何が欲しい? あまり高いものは無理かもしれないけど、できるだけ準備する」

「アリスターが欲しいな」

「それじゃ誕生日お祝いにならないよ。俺はもうリシャールのものだし」


 そう言われてもリシャールに欲しいものなどない。欲しいものは自分で買ってしまうし、元々物欲が強い方でもない。


「アリスターがテーラーで誂えたあのスーツを着てくれて、僕の作ったご飯を食べて、僕を抱いてほしい」


 素直な欲望を口にすればアリスターが微妙な顔をしている。それではいけないのだろうか。リシャールにとっては最高の誕生日の過ごし方なのだが。


「誕生日まで料理を作らせたくない。でも、外食は嫌なんだよな?」

「外食は好きじゃないんだ。自分で食事制限できないし、何が入っているか分からないから」


 まだ自分で料理を作っていなかった時期に、リシャールは撮影現場で配られたサンドイッチとペットボトルのミネラルウォーターで昼食にしようとして異変に気付いたことがあった。ペットボトルのミネラルウォーターに開けられた形跡があったのだ。

 飲まずにそれを分析に出したら、意識を失わせるような薬が入っていたことが分かった。


「あれ以来、外では開いてないボトルの水か、自分で持ってきたものしか口にしないようにしてる」


 苦い思い出を口にすると、アリスターの表情が変わった。


「カロリー計算ができるようになるから、俺が料理を作ってもいいか?」

「アリスターが作ってくれるの?」

「リシャールばかりに作らせて悪いと思ってた。勉強するから、俺に料理を教えてくれ。俺は細かい作業は得意だし、料理も覚えればできると思う」


 警察の科学捜査班のラボの職員であるアリスターは現場に落ちている髪の毛一本でも、被害者の爪の中に残っている本当に微量の物からでも証拠を突き止める。その器用さをもってすれば確かに料理など簡単なのかもしれない。


 他人は誰も信頼していないようなリシャールだが、アリスターならば全幅の信頼を置いて頼むことができる。


「今日から一緒に料理を作ろう。アリスターはお酒は飲めるの?」

「一応、アルコールパッチテストで飲めるという結果は出てる」

「そういうのじゃなくて、楽しんで飲めるの?」

「それは分からない。自分から好んで飲んだことはないんだ」


 アリスターの物言いにリシャールは何か引っかかりを覚える。


「アリスター、好きな食べ物は?」

「特にない」

「嫌いな食べ物は?」

「特にない」

「僕の作った料理は?」

「美味しくて好きだ」


 好き嫌いがないとアリスターは言っていたが、もしかしてアリスターは食事に拘らないタイプだったのかもしれない。そうすると料理を作るのも難しいかもしれないと思い出すリシャールに、アリスターが言う。


「リシャールに会うまで何を食べても味がよく分からなかった。食べないと死ぬから食べてただけだ。リシャールと会って、リシャールの料理を食べて、食事ってこんなに楽しかったんだと思った。リシャールと一緒だったら、フランスで食べたクロワッサンサンドも特別に美味しかった」

「アリスター……」

「死ぬのが怖いから生きてただけの俺に、リシャールは生きる喜びを教えてくれた。リシャールとならば一緒に生きていたいと思う。リシャールと過ごす時間はものすごく楽しい。俺の人生にはリシャールが必要なんだ」

「僕もだよ。僕の人生にはアリスターが必要だよ」


 抱き締めるとアリスターがリシャールの胸に顔を埋める。うっすらと汗をかいていたので引きはがそうとしても、アリスターが幸せそうな顔をしているのでできない。


「アリスター、僕、汗臭いから……」

「リシャールはいい匂いだ」

「いや、そんなこと……」

「リシャールの汗の匂いも俺は好きだけど」


 そんなことを言われてしまうと無理やりに引きはがすわけにもいかなくなる。


「夕飯の支度をしよう。一緒に作ってくれるんでしょう?」


 リシャールが問いかけると、アリスターはやっとリシャールの胸から顔を外してくれた。


「リシャールは大豆で作られてるパンを食べてるから、糖質制限してるよな?」

「よく分かるね。糖質は少なめで、タンパク質多めの食事が多いかな。アリスターに出してるパスタも小麦粉じゃなくて豆で作られてるものだよ」

「そうだったのか。気付かなかった」


 独特の匂いがあるので気付いていたかと思えば、アリスターは本当に食事にこだわりがないタイプだったらしい。


「フランスでクロワッサンサンドを買って食べたけど、あれはアリスターがそばにいてくれてるからできたんだよ。僕が薬を盛られても、アリスターは僕を助けてくれるでしょう?」

「俺は警察の科学捜査班のラボの職員だし、医者だし……リシャールの恋人だからな」

「愛してる、アリスター」


 アリスターはリシャールがいないと食事の味が分からなくて楽しくもない。リシャールはアリスターがいれば安心して外でも食事ができる。


 お互いにお互いがいないとだめになっているのを自覚しつつ、それだからこそ結婚したのだとリシャールはアリスターの肩を抱いてキッチンに行った。

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