17.クレイムできなければプロポーズを

 帰りの飛行機もファーストクラスだった。

 飛行機のWi-Fiも使い放題だったが、何よりも快適だったのはシートを平らに倒せることだった。掛け布団だけでなくて薄い敷布団も用意されていて、職業上どこでも寝られるようにはなっていたが、エコノミー席よりもやはり眠りやすいことには変わりなかった。

 スマートフォンの画面を開いて、リシャールと撮った写真を眺める。最初はリシャールだけを撮るつもりだったが、リシャールはそれでは許してくれずにツーショット写真を撮ることになった。


 仕事場ではDomだと恐れられていて、表情を崩したことがないアリスターが、写真の中ではリシャールにデレデレとしているのが一目で分かってしまう。

 この写真が外部に出たらリシャールに迷惑をかけてしまうし、アリスターもこのことは内緒にしておきたかったので写真は全部パスワードでロックのかかるファイルに仕舞っておいた。


 それにしても二週間のフランス滞在はアリスターにとって最高の時間を過ごせた。


 憧れだったリシャールのコレクションのランウェイを歩く姿をリハーサルとはいえ生で見ることができたし、リシャールと過ごした時間も濃厚だった。


 リシャールのスケジュールがあるので無理はさせられなかったが、それでも二回もリシャールを抱けた。一回目は完全にリシャールの主導だったけれど、二回目はアリスターにも主導権を渡してくれた。

 他の男にも抱かれていたのであろうリシャールの体は受け入れることに慣れていたので、それは胸の奥が焦げるような嫉妬を覚えたが、単純に気持ちよくてアリスターはリシャールに溺れた。


 写真まで撮って最高の二週間だった。これで帰国してから別れを告げられても、アリスターはリシャールの思い出を抱き締めてこれから先の一生は生きていけるかもしれないなんて思っていた。


 できれば捨てられたくないし、関係は解消したくない。


 リシャールとプレイをするようになってからアリスターは抑制剤を全く使わなくていいくらい安定していたし、倒れるようなことも、調子を崩すようなこともなかった。

 どんな優しいプレイの後でも、リシャールはアリスターを膝の上に抱き締めて、たっぷりとアフターケアという名目で甘やかしてくれたので、アリスターはリシャールに満たされて帰国することができた。


 帰国して仕事に戻ってからの一週間、リシャールがいないと分かっていても、アリスターはたっぷりとプレイをして発散できていたので調子を崩すようなことはなかった。


「ソウル、最近機嫌がいいんだな。いいひとでもできたのか?」


 職場に出ると同僚のエリオットがそんなことを言って来る。エリオットを含め、ラボの職員は全員アリスターのことをDomだと勘違いしているはずだった。

 ラボの職員の中にもDomやSubはいるはずなのだが、第二の性ダイナミクスを明らかにしている者はいない。こういうプライベートなことは聞いてはいけないし、わざわざ明かすこともないというのがこの社会での常識だった。


 Domと思われているアリスターに「いいひと」ができたとすれば、プレイをするSubだと思われているのだろう。


「長期休暇で休んだからだよ」

「フランスに行ったんだって? 観光はしたのか?」

「いや、ストライキとデモで観光はできなかったけど、充実した日々だったよ」


 普段は怖がって話しかけてこないエリオットが親し気に話しかけてくるくらい、アリスターの機嫌がよく見えたのだろう。確かエリオットはDomでもSubでもないNomalだった気がする。

 自分の第二の性がばれないように、アリスターは相手の第二の性が何か非常に気を付けていた。


「クレイムって言うんだっけ? その、プロポーズみたいなの」

「それが何か?」

「い、いや、二週間も休んだから、みんなが新婚旅行だって騒いでて……。こういうのソウルは嫌いだよな。すまない」


 下世話なことを聞いたと謝るエリオットに、アリスターは苦笑する。

 これまでならここで笑うだけの余裕がなく冷たく無視していたのに、今日はそういう気分にはならなかった。リシャールとの二週間が満たされすぎていてアリスターの心に余裕があったからかもしれない。


「クレイムは、できないんだ」


 ぽつりと零してから、アリスターは苦く微笑む。

 クレイムはDomから申し込むもので、最終的な決定権は受けるSubの方にあるのだが、Subからは申し込めない。

 リシャールのことをこれだけ想っていて、溺れてもいるのに、申し込む権利もない自分に苦い思いを胸に抱いていると、エリオットは何か誤解をしているようだ。


「そうか。そうなんだな。それなら、プロポーズでいいじゃないか」

「プロポーズ……」

「相手との第二の性ダイナミクスが合わなくても、プロポーズして結婚すれば関係ないんだろ?」


 SubはDomを求めてしまうし、DomもSubを求めてしまう。

 お互いにお互いでしか満たされないはずなのに、エリオットはそれをよく理解していなくて、アリスターの相手がSubではないようなので、普通にプロポーズして結婚してしまえばいいと言っているのだ。

 その考えはアリスターにはなかった。


 Domが首輪を贈って、契約書を作ってお互いにサインして、役所に提出するクレイムがリシャールとの最終形態で、Subであるアリスターの方からプロポーズしていいだなんて考えたこともなかったのだ。


「プロポーズすればいいのか」

「そうだよ。愛し合ってるなら、第二の性なんて関係ない」

「そうか……いいことを聞いた」


 捨てられるかもしれない。いつか関係を切られるかもしれないと思いながらプレイを続けるよりも、アリスターの気持ちを伝えて玉砕した方がいい。

 指輪を用意して、リシャールにプロポーズするのならば、Subのアリスターからしても全く問題はないはずなのだ。


 普通にプロポーズするという考えが頭の中になかったので、アリスターはエリオットに素直に感謝した。エリオットにしてみればプロポーズして結婚するなんてことはごく当たり前なのだろうが、Subのアリスターにしてみればクレイムしか頭になかった。


 プロポーズしてみてダメだったならそれはそれで仕方がない。


 アリスターはリシャールが戻る前に指輪の準備をしようと思っていた。


 仕事帰りに宝飾店に行ってみると、様々なデザインの指輪がある。指輪を選ぼうとしてアリスターは店員に聞かれて気付いた。


「サイズはいくつですか?」

「サイズ!?」


 アリスターはリシャールの指輪のサイズを知らない。

 困っていると店員がゆっくりと聞いてくれる。


「どれくらいの身長の方とか分かりますか?」

「身長は百九十センチを超えるくらいで、体格はがっしりしている感じ、ですかね」

「それなら、少し大きめのものを買っておくといいですよ。プロポーズのときに指にはまらないと気まずいですからね」

「でも大きすぎたらどうすればいいですか?」

「そしたら、『あなたのサイズを教えてください』って言って、この店に持ってきてくれれば、サイズを調整します」


 なるほど。

 普通のプロポーズのときにこんな風なことが行われているわけだ。

 店員のアドバイス通りにアリスターは少し大きめの指輪を買うことにした。サイズは後で調整してくれるというので、デザインを選ぶだけだ。


 リシャールの指に合って、邪魔にならないもの。


「紫の石が付いているものはありますか?」

「パープルサファイアとヴァイオレットサファイアがありますが」

「どう違うんですか?」

「どちらも紫ですが、パープルは赤みがかった紫です。ヴァイオレットは青みがかった紫です」


 店員に教えてもらってパープルサファイアとヴァイオレットサファイアを見せてもらうと、ヴァイオレットサファイアはリシャールが興奮したときに変わる目の色とそっくりだった。


「ヴァイオレットサファイアでデザインはシンプルなもので」

「太めの平型のリングにヴァイオレットサファイアがはめ込まれているようなものはどうでしょう?」

「それでお願いします」


 アリスターが選ぶと、店員が聞いてくる。


「お客様の分はどうされますか?」


 そういえば結婚の指輪とはお揃いのものを二人で付けるのだった気がする。アリスターはリシャールの分を買うことしか頭になかったが、アリスターの分はどうすればいいのだろう。

 迷っていると店員が助け舟を出してくれる。


「お客様の中には、サイズを直しに来られた時に、お相手の分を買われる方もいます」


 リシャールの指輪のサイズを直しに来たときに、リシャールにアリスターの指輪を選んでもらう。それは非常に嬉しいことのように思えた。


「それでお願いします」

「それでは、そのように致しますね」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってアリスターは注文をして店を出た。


 リシャールが帰ってくるまでまだもう少し時間がある。

 その間に指輪はできあがると言われているので、後はそれを楽しみにしていればいいだけだ。


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