Calling me,Kiss me

秋月真鳥

本編

1.アリスターには二つの隠し事がある

 誰もが隠している顔がある。

 アリスター・ソウルには隠し事が二つある。


 そのうちの一つが性に関することだ。


 この世界には生物学的な性別の他に、DomドムSubサブという第二の性ダイナミクスがある。

 Subを支配したいDomと、Domに支配されたいSub。

 DomはSubを躾けたい、守りたい、世話をしたいなどという欲求を持っており、SubはDomに躾けられたい、褒められたい、尽くしたいなどという欲求を持っている。


「次の検体、早く回してくれよな」


 苛立ちを含んだ声に、同僚がびくりと震えてアリスターに検体の入ったケースを渡す。ため息を一つ、震える同僚にひと睨み、アリスターは検体の検査を始める。


「オーラ出てるよな……」

「絶対にDomだよな」


 ひそひそと同僚たちが囁くのをアリスターは完全に無視した。

 仕事の遅い無能な輩と関わることはない。ここは仕事場であり、仲良しの友達を作る場所ではないのだ。


 DomはSubを支配しないでいると調子を崩すし、SubはDomに管理されないと体調を保持できない。

 全人類の三割ほどが第二の性を持つと言われているが、運よく相性のいいパートナーと出会えるのはその何割か。

 Domは威嚇と呼ばれるオーラを出して、他のDomを牽制したり、自分のSubに言うことを聞かせたりするのだが、アリスターの不機嫌はその威嚇に似ているということでDom扱いされている。


 第二の性は非常にプライベートなことで軽々しく明かしはしないのだが、Domと思われているのはアリスターにとっては好都合なので特に否定はしていなかった。


 警察組織の中に位置する科学捜査班の一員がSubだなんて言えるはずがない。


 アリスターが自分の第二の性を知ったのは十六歳のときだった。

 ほとんどのひとたちが、高校ハイスクールで検査を受ける。

 自分は第二の性など関係ないと思っていただけに、結果がSubだったときにはショックも受けた。


 SubはDomに支配されることで幸福感を得る。支配されて守られていると感じると、特殊な状態になり、それがものすごくいのだとか、そんな話も聞いたことはある。

 性教育の場面で第二の性はきちんと取り扱われているし、その衝動が酷くなりすぎないように抑制剤も開発されている現代では、それほど生きにくいわけではないが、それでも抑えきれない衝動を抱えることがある。


 検査の終わった検体の結果を共有のデータにアップロードすると、アリスターはくらりと眩暈を覚えた。

 視界が真っ白になりそうになる中、足早にロッカールームに駆け込んで、ロッカーの鍵を開ける。ロッカーにいつも入れている抑制剤を手に取って、ペットボトルの水で喉の奥に押し込むと、アリスターは息を整える。


 これも全てDomの衝動を抑えるためにやっているとしか思われない。


 アリスター・ソウルがSubだなんてことを職場の誰も知らないのだ。


 自分がSubだと分かって、困惑していたが、抑制剤の処方にまでたどり着けなかった時期、どうしても我慢ができなくてアリスターは同じ学校でDomということを公表していた男子生徒に縋ったことがある。

 結果として、アリスターは抱かれそうになって、その男子生徒から逃げてしまった。


 DomとSubの行為プレイのときには、あらかじめセーフワードを決めておく。そのセーフワードをSubが口にしたら、それ以上Domは行為を進められない。セーフワードを口にして、男子生徒から逃げたアリスターは自分の性嗜好に気付かされた。


 男性が好きなのだが、抱かれる方ではなくて、抱く方がアリスターの望みだった。


「俺を抱くつもりだったわけ? 抱かれたいDomなんているわけがないでしょ」


 逃げるアリスターの背中に浴びせかけられた言葉に、アリスターは世界というものを知った。

 DomはSubを抱くのが当然。

 SubはDomに抱かれるもの。


 性別が違えば全く違うのかもしれないが、アリスターはあくまでも男性にしか性的な興奮を覚えないタイプだった。

 最初の失敗を踏まえて、アリスターはDomに近付かないようになった。


「ストーカー事件なんだけど、現場に行けるひと、いる?」


 ロッカールームを出たところで同僚の警察官が声を掛けていて、アリスターはちょうど検体の検査の仕事も終わったところだったので緩く手を挙げた。


「今、空いてる」

「頼むよ、ソウル」

「分かった。すぐに出られるようにする」


 ストーカー事件で科学捜査班を必要とするということは、被害者がストーカーと接触したのだろうか。どんな被害者か知らないが、気の毒なことにと思っていると、連れてこられたのはエントランスにコンシェルジュのいるようなビルの最上階の部屋だった。


「被害者のリシャール・モンタニエさん」

「初めまして、リシャール・モンタニエです」


 頭を下げてアリスターに挨拶しているのは、一流モデルとして有名な黒髪に青い目のものすごい美形だった。

 アリスターは彼を知っている。


 アリスターのもう一つの隠し事。

 それは、一流モデルのリシャール・モンタニエの大ファンだということだった。


「科学捜査班のアリスター・ソウルです。このマンションなら警備は万全なのではないですか?」


 うわー!

 リシャールが普通に喋って、会話してるー!

 心の中では絶叫しつつも、表情金は全く動かさずに淡々と問いかける。

 ソファに座ったリシャールは憔悴している様子だった。長身なので組んだ足がものすごく長くて驚いてしまう。


 彼の出ている番組は全部録画しているし、ポスターも手に入れている。グッズも出たらすぐに予約して買っているアリスター。

 仕事に私情を交えてはいけないと分かってはいるが、その整った顔をつい見つめてしまう。


「元マネージャーだった女性がストーカーになってしまって……それで、家の場所も入り方も全部知られているんです」

「どういう状況だったか教えてもらえますか?」

「帰ってきたら部屋の鍵が開いていて、嫌な予感がしつつ、警察に連絡してドアを開けたら、ベッドに全裸の元マネージャーがいました」

「それは……」


 元マネージャーは警察に捕まっているようだが、部屋の中に何か仕掛けられていないかを調べてほしいというのと、警察としての手続きとして部屋を調べなければいけないというのでアリスターともう一人の同僚がここに送り込まれてきたのだ。


 それにしても帰ったら全裸の元マネージャーがベッドにいるだなんて、恐怖だっただろう。

 アリスターはリシャールのことをよく知っているが、リシャールは繊細なモデルなのだ。乳児のときにおむつのモデルとしてデビューして、そのまま子ども服から成長するに伴って大人の服のモデルに切り替わったが、年はアリスターと同じ二十八歳。同じ年だからこそ、アリスターはリシャールに強く惹かれたという過去があった。自分の性に悩んでも、リシャールを見ていれば切り替えることができた。


「僕の第二の性がDomで、元マネージャーがSubだったのがいけなかったのかもしれません。マネージャーだったときにも、何度もプレイに誘われて、断っていたのですが、マネージャーを辞めさせられてからも付きまとってきて……」


 リシャールはDomであることを公表していない。

 第二の性に関することはデリケートな問題なので公表しないことがほとんどなのだ。マネージャーという地位を利用して第二の性を知り、迫ったという元マネージャーにアリスターは怒りがわいてくるが、それと同時にリシャールがDomだということを聞いて、ほんの少し期待している自分に嫌悪感を抱く。


 リシャールも誰かSubを抱きたいと思うごく普通のDomなのではないだろうか。

 それならば、アリスターとは性嗜好が一致しない。


「ご迷惑をおかけします」


 礼儀正しく頭を下げたリシャールに、この顔を生で見られるのはこれくらいなのでじっと見つめてしまったアリスターは、ふいに眩暈に襲われた。

 言葉も丁寧で礼儀正しいリシャールが今回のことで内心苛立っていてもおかしくはない。


 不機嫌なオーラに当てられて、アリスターは抑制剤を飲んだばかりだというのにその場に倒れてしまった。

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