第58話 トリック・オブ・ドリーム⑵
連れてこられたのは、こじんまりとした個人経営の店舗。窓は少し昔の色あせたポスターが貼ってある。
「ごめんくださーい」
「あら、佑香ちゃん。今日は何をお求め?」
出迎えてくれたのは、優しそうなおばあさん。どうやら檜山さんはここの常連らしい。
内装は、いかにも個人経営の小売店といった印象で、オレンジ色の淡い照明で照らされていた。
ソーイングセットから生地、被り物や小物まで、幅広く揃えているようだ。
「サングラスを……、どれにします?」
檜山さんが、クルクルとメガネとサングラスの置かれたディスプレイを回転させる。そのディスプレイの半分ほどがサングラスだった。よりどりみどりだな……。
「これかな……」
「普通ですね……」
「こういうのはシンプルなのでいいんだよ」
「おすすめは……これです」
……なんだこの、悪の秘密組織とかヤンキーの親玉とかがかけてそうな三角形のサングラス。
本当におすすめなのか?試してみようか。
俺はサングラスをかけ、無言で檜山さんを見つめた。5秒も経たず、檜山さんは顔を背けて、くすくすと笑いだした。
「やっぱり、バカにしてるじゃないか」
「ご、ごめんなさい……。でも、面白くて……!インパクトは、抜群ですよ……?」
「いや、小島が主役なのに、それより目立っちゃ本末転倒だろ。これにする。値段は……、2000円か。そのくらいなら……」
「はい、2000万円ね」
「えぇ!?」
た、確かに値札に2000とは書いているが、2000円とは書いてない。
もしかしたら……、この一見安そうな伊達メガネも……!500万円!?
「ダメですよ、おばあちゃん。先輩純粋なんですから、真に受けてしまいますよ」
「そうなの?なら悪いことしちゃったわね。2000円よ、2000円」
な、なんだ。俺は取り出そうとしていた2万円を財布に戻し、2000円をトレイに置いた。
「まいど。また来てね。今度は10000分の1の価格で売ってあげるわね」
「はは、どうも……」
それってつまり、定価ってことだよな。俺は苦笑いを浮かべ、サングラスをカバンに入れて店を出た。
日が少し傾き出した、午後三時。小麦色の斜陽が、俺たちを照らす。
「ありがと、檜山さん。このまま解散もいいけど、どうせなら、なんか奢ろうか?」
「え、でも、春宮さんが嫉妬するんじゃないですか?」
「そうかもだけど、お世話になったわけだし……、そのくらいは、させてよ」
「なら……、少しだけ」
少し申し訳なさそうに笑う檜山さん。そして、檜山さんが向かった先は、自販機だった。
「喫茶店のコーヒーくらいは奢るのに」
「いえいえ!そんなの申し訳ないです!それに、この缶コーヒー好きなんです。私」
「そっか。なら、俺も缶コーヒーにするかな」
檜山さんは、コーヒーのブラックを、俺はアメリカンを選んだ。なんか、少し負けた気分。
俺と檜山さんは、ぺたりと公園のベンチに座る。ひんやりとした空気が、俺たちを包んだ。缶コーヒーの暖かさだけが、俺たちを温める。
「もう、すっかり冬ですね」
「そうだな、なんか秋って、すごく短い気がする」
「最近は9月下旬まで暑いままだし、11月が近づくとすぐに寒くなります」
「確かに。もう白い息ができる」
コーヒーで温められた口内から、真っ白な息をはーっと吐き出す。
それに対抗するように、檜山さんもはーっと、白い息を出した。「本当ですね」と、檜山さんが笑う。
だが、少しして、檜山さんがとても真剣そうな表情で、「少しいいですか……」と話しかけてきた。
「いい、けど……」
「……あの、先輩。私、先輩に謝らないといけないことがあるんです」
「謝らないといけないこと?」
……何か、俺は彼女にされただろうか。感謝こそすれ、謝られることは無いはずだが。
「はい。私、ずっと嘘をついてました。私の兄は、家でもあの調子です。高校デビューに失敗したのも、私以外の人への明るい態度が羨ましいなんて言うのも、全部嘘なんです」
「……そうか、良かった。なら、檜山のことで困ったことは無いんだな」
「はい、普段からあの調子なので、少し賑やかって感じです……。だから、『学校では少し話すの控えて』って言ったんですけど。だって、お家の中だけで、おなかいっぱいですから……」
「はは、それはちょっと檜山のやつも傷つくかもな……。まぁ、あいつの性格なら、仕方ないか」
「はい……、それと……」
「まだ何か隠してること、ある?」
こくり、と檜山さんが頷く。そりゃそうか。
檜山さんと俺なんて、つい2ヶ月前に知り合ったばかりだ。お互い、知らないことも多いだろう。
「……すみません。あとひとつ。あの告白のことです」
「……あぁ、あの」
「あれね、私の作戦だったんです。私ね、春宮先輩と不知火先輩が、なんかいいなって思ったんです。それで、貴方の思いを確かめたんです。私の告白を断ったのなら、きっとそれは春宮さんのことが好きだってこと、私と付き合ったら、修学旅行までに振って、春宮さんとしろはちゃんに慰めてもらおうなんて、考えてました……。本当に、ごめんなさい!」
勢いよく、檜山さんが頭を下げる。まさか、告白まで……。
「でも、これだけは本当です!私は、貴方のことが好きなんです!5月のあの日から!」
「5月……、あぁ、あの」
あれは5月上旬のこと。その日は、週一の焼きそばパンが購買に並ぶ日である。
そうともなると、やはり教室の近い3年、並びに体育帰りの学生を中心に、学生たちが購買部にごった返す。
俺も、その焼きそばパン戦争の参加者にして、辛うじて栄光を掴むことが出来た勝利者なのだが。
「ふぅ……」
何とか確保……。春宮は、俺の作った弁当を、今頃相浦たちと話しながらつついているだろう。
というのも、彼女が「焼きそばパン食べたーい」と言い出したのだ。
唐突な発言に、俺は「正気か?あの猛獣共の中に身を投じるのか?」と、少し大袈裟な返しをしたのだが、「士郎くんが取ってきてくれるんでしょ?私、女の子だよ?」と、さも当然のように返してくる。
まぁたしかに、これを女子に勝ち取れなんて言うのは、無理難題だろうな……。あいつも、足はある方だろうが、何せ華奢だからな、体格が。
「ん?」
いきり立つ男子たちを遠巻きに、一人の少女が見つめている。「あ、あぁ……」と、次々売れていくパンを惜しむように、口にする。
そんな少女の視線が、俺の手の焼きそばパンに向いた。そして、じーっと見つめた後、じゅるりとヨダレを啜った。
「あの、これいる?」
「いえ、お気になさら……」
ぐーっと、喧騒がすぐそこで起こっているのにも関わらず、聞こえるほどの大ボリュームのお腹の音が、鳴り響いた。
「ほら、どうぞ」
「いいんですか?」
「いいのいいの。俺、上に弁当あるし」
「そう、ですか……。なら、有難く、頂きますね」
少女が、ニコリと笑う。その少女こそが、檜山さんだったんだ。
ちなみに、その後佳奈にポカポカと殴られ、1週間後の焼きそばパンを確約させられた。
「名前も、何も知らない貴方に、恋をしていました」
「そっか……」
俺が気がついていないのに、彼女はずっと俺のことを覚えていて、ずっと待ってたんだ。
それで……、檜山のことで困っているなんて嘘をついてまで理由をつけて、俺に近づいてきてくれた。
なのに、俺は焼きそばパンのことなんて忘れて、相浦や佳奈に夢中になっていた……。それで、どれだけ檜山さんが傷付いたか……。
「ごめん、檜山さん」
「謝るのは私ですよ……。二人を試すようなことして、ごめんなさい……」
二人の間に、沈黙が立ち込めた。それを破ったのは、檜山さんだった。
「あの。先輩。気にしないでください。ちょっと妬いちゃいますけど、私も、春宮先輩のこと、好きですから。体育祭とか、文化祭の時、誰よりもちっちゃな体で、誰よりも一生懸命だったのが、春宮先輩でした」
「……うん」
「そんな彼女に、成りたかったんです。夢中で頑張る彼女が、多分、羨ましかったんだと思います」
「……俺も、そうだよ。あいつは、一生懸命で、それが出来る力がある。夢中になることが出来ても、それを成し遂げられる力なんて、誰でも持ってるわけじゃない。俺は、それが欲しいんだ」
「先輩……、一緒ですね」
「あぁ、一緒だよ」
困った様に、檜山さんが笑う。そりゃ、上手くいかなくて落ち込むこともある。周りに成功者がいると、尚更だ。
そんな時、本当に必要なのは引っ張りあげる指導者などではなく、「辛いよな」と言い、支え合える仲間なのだ。
「はぁ、なんだ、先輩も一緒なんだ!なーんかスッキリした!私、先輩がどっか遠くへ行ってる気がしました」
「どこにも行かないし、どこか行っても辛いなら助けるよ。可愛い妹の友達だし、俺のことを好きになってくれた人だしな」
「ふふ、よろしくお願いしますね!」
今度の笑顔は、眩いほどの笑顔だ。無邪気とも、計算されたとも取れる、綺麗な笑み。彼女が元気になったのなら、よかった。
それから俺は、檜山さんの家の近くまで同行し、見送ることにした。最近何かと物騒だからな。攫われてしまうかもしれない。
「では、ここまでで」
「おう、またな」
「はい、また……、あ、ひとつ忘れてました!」
帰ろうと早足になっていた檜山さんが、くるりと回転して笑顔を向ける。
「おふたりとも、とってもお似合いですよー!」
そう叫ぶと、檜山さんは家に帰ってゆく。…ん?おふたりとも?
「バレてた……」
「着いてきてたのな」
言い方に違和感があったが、まさかの佳奈が後ろから追尾してきていたようだった。全く気が付かなかったな。
「デパートの帰りに見かけて、浮気っぽかったからつい……」
「浮気なんてするはずないだろ」
「本当に?今紗霧さんが告白してきても?」
「今日のご飯はビーフシチューだぞー」
「おー!ビーフ!」
キラキラと目を輝かせる佳奈。もう浮気の可能性など、気にしていないらしい。
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