とある悪女の復讐劇

とびらの@アニメ化決定!

第1話 序

「バフドール伯爵家長女、メリッサ・バフドール! お前との婚約を破棄する!」


 ――と、指を突きつけられて、メリッサは静かに目を閉じた。


 『完全無欠の淑女』とあだ名される伯爵令嬢は、激昂などしなかった。

 代わりに激怒したのが、後ろに仕えた侍女である。


「なんですって? メリッサお嬢様の何が不服でそんなことを――」

「やめて、クルル」

「でもお嬢様……!」


 なおも喚こうとする侍女を下がらせて、メリッサは一度、二度、息を吐いた。そしてゆっくりと瞼を開く。白銀色の睫毛に縁どられた、アメジスト色の瞳が彼を射抜いた。


「……理由をお聞かせください、クリストフ様。わたくしたちの婚約は二年前、両家の取り決めにより結ばれたもの。一方的に破談になどと、よほどでなければ叶いませんよ」

「はっ、理由など、この状況を見てわからないのか?」


 そう言って、彼は隣にいた少女の肩を抱き寄せた。


 彼の名はクリストフ子爵、そして隣にいるのはメリッサの実妹、エリアナ・バフドールだった。

 普通に考えれば、クリストフはメリッサを捨て、エリアナに乗り換えるということだろう。

 しかし貴族同士の婚約。個人の感情で結ぶことも棄(す)てることも出来はしない。

 バフドール伯爵家は由緒正しい名家であるが、近年は散財がたたり、領地経営すらあやしくなっていた。一方クリストフは爵位こそ格下だが一代で巨万の富を築いた大商家だ。経営(いえ)を立て直すためまとまった資金が欲しい伯爵家と、上級貴族とのつながりが欲しい子爵家、両者の利害は一致していた。

 縁談はむしろクリストフから持ち掛けられたのだが……。


 メリッサはしばらく無言で、考える仕草を見せてから、やはり首を振った。


「どういうことでしょう。実妹と言えど、ほかの女性と懇意になられたのならばそうおっしゃってください。正規の手続きを経て婚約解消をしわたくしに謝罪と慰謝料を――」

「なにとぼけて被害者面してるのよ、この悪女!」


 突然、エリアナが叫んだ。メリッサの視線が、ゆっくりと実妹に移動する。

 メリッサ・バフドールの眼差しは、鋭い。色こそエリアナと同じアメジストだが、つかみどころのない怜悧さがある。エリアナは一瞬、気圧されてしまってから、再び声を張った。


「あたしの社交界デビューの日、ドレスを引き裂いたのはお姉様でしょ!」

「……何のこと? わたくしがどうしてそんなことを」

「あたしがダンスパーティーで、クリストフ様のパートナーを務めたのが気に入らなかったのだわ。自分がエスコートされなかったからって、嫉妬して――」

「エリアナ、それは、当然のことですよ」


 メリッサは穏やかな声で、諭すように語った。


「婚約者のある異性に、メインのエスコートを頼んではいけません。あなたはまだ幼く、実の姉妹だから叱られるだけで済んだのです。はしたないと自重しなさい」

「なっ……なんですってぇ」

「相変わらず、イヤミしか言わない女だ。素直に嫉妬をしたと言えば可愛げがあったものを」


 クリストフはクックッと笑った。メリッサの視線が再びクリストフを貫く。今度こそ、鋭い敵意を込めて。


「クリストフ様も。妹はまだ十四歳、分別が付いていない子供です。あなた様のほうから妹をたしなめ、ご自分の立場を表明すべきでした」

「メリッサ……やはりお前は、僕をそんな目で見る」

「……そんな目、とは」

「言葉の通りだ。胸糞の悪いその目つき、僕のことを愚かな成り上がりと侮蔑する、その目!」


 クリストフは懐から、数枚の羊皮紙を取り出し、宙に撒いた。床に落ちたそれをメリッサは拾うことなく、視線だけで読み上げる。


「――調査報告書――ダンスパーティーの朝、エリアナのドレスを引き裂いた犯人は実姉、メリッサ・バフドール……エリアナ宛の手紙に刃物を仕込んだのも、飲み物に毒を入れたのも、メリッサ……?」

「そう、目撃者がいたのだよ。おまえがエリアナを憎み、数々の嫌がらせを実行していたという証言が」

「……この者の名は?」

「匿名の投書だ。それに知っていてもおまえに教えられるものか。さらなる犠牲者が出る」


「それじゃあ実在するって証拠もないじゃありませんか!」


 メリッサの後ろで侍女が叫ぶ。


「メリッサお嬢様は、真にお優しいお方です。エリアナ様を心配してこそ苦言を呈されることはあっても、虐めだなんてありえません。その調査報告書とやらは事実無根です!」

「なんなのその侍女、使用人のくせにうるさいわね。部外者は出ていきなさい!」


 エリアナが怒鳴り、奥歯を鳴らして、メリッサを睨んだ。


「何が事実無根よ。そこに書いてあることは全て事実、あたしが受けてきた痛みだわ」

「……そう。誰かに虐められていたのね、エリアナ。姉として犯人には強い憤りを覚えますわ」

「ふざけないで! あたしに嫌がらせするやつなんて、お姉様以外にいないじゃない!」

「身に覚えが無いと言っているでしょう。クルルの言う通り、きっとそれは誰かの狂言、わたくしに罪をなすりつけようという、不届き者がいただけのこと」


 メリッサは静かに、大きなため息をついた。


「――だけど、そう思われてしまうほど、わたくしは悪い姉だったのね。そしてクリストフ様にも、信用していただけなかったという事実。わたくしは彼の妻にふさわしくないようです」

「お姉様……それでは、クリストフ様との婚約を解消すると……?」


 メリッサはしっかり深く頷いた。

 エリアナは歓声を上げた。

 その横で、クリストフは片方の眉を跳ね上げた。心底意外、といった表情で。


「待て、冤罪だと弁明はしないのか。あるいは恩赦を乞わないのか。このクリストフは無情ではないぞ」

「いいえ、仕方がありません。これはわたくしの自業自得。あまんじて罰をお受けいたしますので」

「だが――それでは伯爵家はどうなる? 伯爵夫妻は事故で亡くなり、おまえは依るあてもないはずだ。この結婚をもって、伯爵家を建て直すつもりだったのだろう?」

「それは当家の次女が務めを果たしてくれるのでしょう?」


 メリッサはこともなげにそう言った。意味を理解し、エリアナは頬を染め、クリストフは青ざめた。


「お、お姉さま、あたしの気持ちに気づいていたの?」

「もちろんよエリアナ、姉妹ですもの。……良かったわね、とは言わないわ。伯爵領存続のため、ふがいない姉に代わってクリストフ様の妻になって頂戴ね」

「は――はい!」


 にっこり、メリッサは初めて満面の笑みを浮かべた。

 スカートを広げ、淑女のお辞儀をしてみせる。


「それでは、わたくしは教会に立ち寄って、婚約の破談と新たなる縁の申請をしてまいります。クリストフ様、そしてエリアナ。どうかふたりで、お幸せに」


「……く……」


 拳を握り締めるクリストフ――これで用が済んだとばかりに、メリッサは簡単に背を向けた。続けて侍女が後を追い、二人は子爵邸をあとにした。


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