第7話 果し合い

 累は斎藤の道場から二時間をかけて緒方の屋敷まで戻った。両国まで帰り着く頃にはもちろん日はとっぷりと暮れていた。お絹さんが用意してくれていた夕食を頂いていると、緒方一刀斎が現れた。

「緒方先生、斎藤先生のところで働かせていただけることになりました」

「おお、そうかそうか……つまり斎藤と勝負して勝ったという事だな。斎藤でも勝てないとなると、いよいよもって婿探しは難しくなりそうだな。いや、まぁそれはいいとして夕刻位に若者が果たし状を持ってきたぞ」


 そう言って緒方は白紙を追って束ねられた書状を累に渡した。そこには確かに果たし状と書いてある。

「まだ江戸に着いてから昨日の今日だというのに、色々とせわしないのう。一体どこでどうすればそんな話になるのやら」

「本日斎藤先生の道場に行く際に、旗本奴とかいう輩とひと悶着ありまして、勝負ならいつでも受けると言ってしまったんです。まさか本当に挑んで来るとは思いませんでしたが」

「ああ、あの連中には幕府も頭を抱えているからのう。しかしいかに果し合いであっても立会人がいないと、相手を斬り殺せば面倒な事になるだろう。精々腕一本を取るぐらいにしておかんといかんぞ」

「本日斎藤道場にも道場破りが参りましたが、斎藤先生の戦わずして勝つ強さは素晴らしい物でした。私もそのように致したいと思います」

「ふむ、どのような相手であっても心の持ちようでは鍛錬になるからのう。では、これで儂は失礼するとしよう」


 そういって緒方は座敷から出て行った。残された累は食事を続けながらも書状を広げて読んでみる。差出人は赤柄組組長、水野十郎となっている。聞いたことのない名だ。どうせ徒党を組むような輩の頭だから、大した腕でもないのだろうとは思ったが、この平和な時代に果たし状を送ってよこすなど、男としてはなかなかのものを感じなくもないので、呼ばれた通り翌日夕刻の上野には出向いてやるかと思ったところでみそ汁を啜った。


 翌日から累は早速天流剣術道場に勤めに出た。屋敷からは二里の距離であるが、速足で進めば半刻と少しほどで行きついた。道場は午前の部と午後の部の二つに分けて門下生に剣術を教えている。それぞれの稽古は一刻から一刻半ぐらいである。なので夕刻になる前に一日の稽古は終わる。江戸の町は農家とは違って人々は一日に二刻(約四時間)程度しか働かない。

 

 天流道場は午前も午後も大そう賑わっていた。累は何人かの門下生に聞いてみたが、師範の斎藤が道場破りにも負け知らずだと近所では評判らしい。門下生の中にはそれなりに見どころのありそうなものも何人かいて、これは育て方いかんではかなりの腕になるのではないかと、よこしまな事も考えてしまった。


 天流道場での初日の指導を終えた後、累はすぐに上野に向かった。両国の屋敷よりは上野の方が少しだけ近い。果し合いの時間には十分間に合うだろうと思いながらも足は無意識のうちに早まり、いささか早く着きすぎてしまった。よく考えれば上野に行くのはこれが初めてなので、果し合いを前にしていささか不謹慎ではあるが、観光気分で歩いてみた。

 上野と言えば観光名所は不忍池(しのばずのいけ)である。池の回りをぐるりと回る。中には鯉にエサをやっている人間もいるが、だから何なのだという感じだ。寛永寺をはじめ寺社仏閣も多いが、それほど熱心な信仰心を持ち合わせていない累にはピンとこない。しかしながら観光客目当ての露店はたくさんあるので、それを見て回るのは祭りの様で楽しかった。古河藩の領内では、祭りでもない限りはこのような賑わいを見る事は無かった。


 指定の場所はそういった所とは少し離れていて、人影もまばらな場所だった。果たし状にはなんと簡単な絵地図も書いてあったので、累は初めて来た上野であるのに迷うことなく辿り着く事が出来た。絵地図入りの果たし状というのも心配りが効いているなと変な所に感心した。


 地図で示された、そのやや開けたところに累が到着すると、既にそこには簡易な椅子に腰かけて一人の男が座っていた。他にも数人の男がいて、中には先日町娘に絡んでいたものもいる。累の姿を確認すると座っている男は声をかけてきた。


「なるほど、これは面妖な……確かに聞いた通りの美女であるのに男装をしておるな。うむ、面白い」

 臆面もなく美女と言われて累は怯んだ。昨日町娘に絡んでいた輩どもは、彼女も言っていた通りそれほど悪い男たちではないのかもしれない。


「おほめ頂きありがとうございます。最初に一つお聞きしますが、私が貴方と果し合いをすべき意味というのはどうお考えなのでしょうか? ごく普通にお互いの武を競い合うという事で宜しいんでしょうか?」


「……そういえばまだ自己紹介をしていなかったな。我が名は水野十郎、赤柄組の組長をしている。昨日組の物から男装の物凄い器量よしがいると聞いてな。しかもなかなかに腕が立ちそうだと聞いた。一目見て分かった、お主ただものではないな」


 うん、やはりこの者たちはそう悪い連中でも無さそうだなと累は思った。器量よしと言われれば気分もいい。ここに来るまでは片腕でも切り落としてやろうと思っていたが、ちょっとそれは気の毒かもしれないと思い始めていた。


「そこでだ、俺がこの勝負に勝ったら俺の女にならないか?」

 普通はドン引きしそうなセリフだが、自分がしているのも正に同じ様な事であるのでそれを批判する資格は無いだろうと思った。しかし気になるところがある。


「水野殿はお若く見えますし、このように徒党を組んで悪さをしているのであれば当然独身だとは思いますが、ご長男でいらっしゃいますか?」

 まずはそこを確認する必要がある。前髪を長く伸ばし髷を結ってもいなので、その面相ははっきりとは分からないが、見えている部分から推測するにこれはなかなか悪くないのではと思った。


「中々に辛らつな物言いだな。いかにも拙者は長男だが、それが何かあるのかな?」

 長男と聞いて累は軽くため息をついた。

「で、あれば負けるわけにはいかないという事になりますね」

「良くは分からんが、これを使うがいい」

 そう言って水野は累に木刀を投げてよこした。


「果し合いというには、真剣でやり合おうという事ではないのかな?」

 累の質問に水野は答える。

「切ってしまっては、交際することが出来なくなるではないか」

 なるほど確かにその通りだと累も思った。また、木刀であれば片腕を切り落とす必要もなくなる。

「了解した。それでは参りましょうか」

 そう言って累は左腰に刺した二本の刀を外して、近くの木の根元に立てかけると、木刀を持って水野の方へと向かう。


 お互いに礼をしたあと、両者は一旦正眼の構えで相対するが、水野の方はすぐにそこから木刀を頭上に構え直した。

「ほう、上段ですか?」

「晴眼の構えは地味すぎる。こちらの方がかっこいいだろう」


 あ、こいつただの馬鹿だったかと累が思った矢先、水野の木刀が累に振り下ろされる。累はそれを後ろに下がって躱したが、下がり際に残った前髪は木刀にかすった。

『速い!!』

 累は心の中でつぶやいた。


 水野は空を切った自分の太刀筋を気にする風でもなく、二の太刀三の太刀と累に続けざまに打ちこんでくる。昨日見た斎藤の様にそれを体捌きだけで躱すつもりであったが、間に合いそうにない。仕方がないので全て木刀を使って受けていく。五の太刀を受けたところで、今度は相手の面に対して木刀を振り下ろした。水野はそれを木刀で受けるでもなく、後ろに下がって躱すのでもなく、累の方に更に踏み込んきた。


 水野の体はそのまま前に進んで、累の顔面のすぐ横を通り過ぎた。横目でそれを見た累は水野の顔立ちが非常に整ったものであることに驚いた。水野はそのまま累の後ろへ回り込むと、今度は上段ではなく晴眼に構えた。累も振り返って晴眼に構える。


「申し訳ありませんな、少々なめておりました。ここからは本気でお相手致します」

 累はそういうと大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。瞳の色が赤く染まっていく……。


 そうなるとそこからは一方的であった。水野の攻撃はその全てがことごとく躱されて、逆に累の打ち込みは全て水野に命中した。滅多打ちである。

「早く参ったをしないと、本気で打ち込む事になりますよ」

 累はそう忠告したが水野は聞き入れない。


「益々気に入った。是が非でもお前を俺の女にしたくなった。なーに死んだら死んだでその時はその時よ」

 滅多打ちにされている男とは思えないセリフが水野の口からは飛び出した。


 そうして水野はまた性懲りもなく累に打ち込んできた。しかし累はそれを躱さずに受けてみた。力を失った水野の木刀は累の左肩に打ち下ろされたが、そこには彼女にダメージを与える程の力は無かった。そのまま水野は累に寄り掛かる形で崩れ落ちた。仲間がそれを助けに駆け寄ってくる。


「他にも向かってきたいものがいるなら、いくらでも相手をしてやるぞ!」

 累はそう叫んだが、向かってくるものはいなかった。そうして逆にこんなことを言ってきた。

「あんたすげーな。うちの大将はここいらじゃ負け知らずの腕っぷしだ。それがやられたっていうんだから、俺らが束になってかかってもどうにかできるもんではないだろう。しかもいい女だからな。ほれぼれしたよ」

 あからさまに褒めちぎられて累も悪い気はしない。


「水野殿には、せいぜい精進してまたいつでも挑戦して来いとお伝え下され」

 そう言い残して、水野の介抱に集まった若者の一人に木刀を預けるとそそくさと自分の刀を回収して、両国への帰路についた。


 しかしその胸は酷く高鳴っていた。果し合いの余韻ではない。最後にもたれかかってきた水野の感触が体に残っていたからだ。そのような感情は今まで抱いたことが無かった。


『畜生!長男か!!』

累は心の中でそう叫んでいた。

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