第2話 道場破り

「で、そなたは道場破りに来たと申しておるのか?」

 そう聞かれて累は飲んでいたお茶を目の前に置いてから答える。

「確かに道場破りというのが一番近い言葉かと思います」


「しかし道場破りというのは、もっとこう稽古中に突然道場に入って来ては勝負を挑むというものではないのかな?」

「もちろんそういう作法が普通なのかもしれないなとは思います。しかし私の場合少々目的が違いますので……」


「ふむ、兎に角二つのうちどちらかを選べと言うのだな」


「大変不躾な申し出で失礼だとは思いますが、そういう事になります」

「普通道場破りと言えば、その道場で一番強い者との勝負を望まれると思うのだがそうではないわけだ?」

「いえ、それでも構いません。ただしその場合、もし私が勝った場合は指南役として是非この道場で雇っていただきたいのです」


「確かにこの道場で一番強い者に勝ったとなれば、指南役としても相応しいと言える。それは十分理解できる。しかしその、もう一つの選択肢というのが良く分からない」


「最初から話せば長い話になります。とにかく私は自分よりも腕の立つ殿方を探しております。その為にこの道場破りの様な事をしているのです」

「まぁ己を超えるものを探すのは良いとして、どうしてその相手が独身でなければならないのか? しかも長男であっても駄目だというのだな?」


「大変お恥ずかしい話なんですが、これは私の婿探しでもあるのです。父の遺言で私は自分の剣の腕を超えるものとしか婚姻する事が出来ません。そうして私には男兄弟がおりません。ですからできればその方には婿に入っていただきたいのです。そうなると長男では困りますし、既婚者であれば最初からお話にならないわけです」


「それでこうして、手合わせ前に道場主である私と話したいと希望されたわけですな。しかし確かにそれは良かったかもしれない。私は確かに道場主でありここの師範でもあるが、当道場で一番強いかと言えばそういうわけでも無い。寄る年波には勝てず現在この道場で一番強いと言えば沖田菊乃進であろう。奴は若いが実際に切り合えば死ぬのは儂でしょう。そうして独身であるし長男でもない」

 道場主のその言葉を聞いて累の目は輝き始める。


「そうですか、ここにはその様な殿方がいらしゃるのですね。であれば是非ともその方と手合わせをお願いしたい!」

「しかし道場破りを、事前にこんなにも話し合って、さぁやりましょうという意味が一体どこにあるのだろうか? そもそも受けたところで我が道場に何の利も無いとは思われませんか?」


「であれば通常の道場破りの様に、門下生もいる稽古中に再訪しろと言う事でしょうか? 確かにそれであれば門下生が見ている手前、手合わせを断ることができなくなりますからね。しかしその場合私が大差をつけて勝ってしまうと道場にはご迷惑をおかけする事になります。それは私としても大変心苦しい」


「……何かそれだと我が道場の人間では手も足も出ないとおしゃっているようにも聞こえますな」


 そういうと道場主は自分の右傍らに置いた木刀を左手で握った。

 類は慌てることもなく、道場主の方を睨みつけた。と、同時に両の手の平を開き床に向ける。正座をしている右膝は少し浮かせた。

「おやめください。私は既婚者の方と手合わせするつもりはございません。それとも私が勝った場合はこの道場で雇ってもらえると受け取ってよろしいのでしょうか?」


「なるほど、私が木刀で切りかかった場合の未来は今見えた様な気がします。確かにあなたはただものでは無いようだ。この坂本重三郎も、あなたとうちの沖田の勝負が是非とも見たくなってしまった。……道場の方へ案内いたしましょう」


「重三郎という事はご長男ではありませんね。貴殿とはもっと若く独身の時に是非ともお手合わせ願いたかった。好み的にはあり寄りのありです……おっとこれは余計でしたね。失礼いたしました」

 そう言うと類は床に置いた二本の刀を手に持つと立ち上がった。道場主が障子を開けると、外から吹き込んで来た風にその長い黒髪が棚びいた。


 道場に入ると、そこには一人の男が正座をして目を瞑り瞑想をしていた。道場主の坂本重三郎は男に声をかける。他の道場生の姿はそこには無かった。


「沖田よ、この御仁がお前との手合わせを御所望だ」

 そう言葉をかけられて沖田は閉じた両目を開けた。そうして累の方を見る。


「道場破りと聞きましたが、そちらにおられるのはご婦人の様にお見受けいたします。師範は私にこのご婦人と手合わせをせよとおっしゃるのですか?」


「ひと目見てこのご婦人の力量が分からぬお主でもなかろう。男女の別などでその目を曇らせる事の無いよう、この立ち合いはお主の剣術にとっても意味のあるものになるであろう」


 そう言われて沖田は累の立ち姿をまた眺める。その体は決して大きくはない。しかし戦いを前にして、彼女の周りの空気は揺れて見えた。

「分かりました。坂本無限流の名に恥じない様、精一杯務めさせていただきます」

 沖田菊乃進の言葉を聞いても累は黙っている。


 沖田と累は互いに木刀を携え、一礼をしてから道場の中央部に向かい合って構えた。


「残念です。長男ではなく独身で剣の腕も立つ。しかしあなたでは私には勝つことができないでしょう……」

「いかにも私は次男で独身ですが、それが勝負とどの様に関係するというのか?」

「論より証拠。いざ、かかって参られよ」


 累の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、沖田の木刀の剣先が累を襲う。そう、坂本無限流の真髄はこの初動の素早い突き技にある。しかしその剣先は宙を刺しただけで、次の瞬間に累の木刀は沖田の右胴を見事横から捉えていた。そうしてそのまま木刀は振り抜かれる。剣道で言えば突き抜き胴とでも呼ぶべき動きであった。


 木刀で胴を打たれただけの沖田であったが、その衝撃は凄まじく体は床へと沈みこむ。これが真剣であったなら沖田の胴は真っ二つに斬られていた事であろう。


「見事な突きでした。それを避けられるものはそうはいないでしょう。婿としても条件的には申し分ない」

 そう言って累は膝をついている沖田の方を見る。

「……しかしながら貴方の面相がどうにも……どうにも拙者の好み的にはなし寄りのなしでござった。そうなると負けるわけには行きません。そういう時はいつもの数倍の集中力を発揮してしまうのです」


 累はそう言ってから道場主坂本重三郎の方を見て片目をつぶって見せた。


 坂本重三郎は苦笑いをするしかなかった。




 

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