壊れた青春

松山みきら

第1話




 先輩は僕にとって大切な恋人だった。

 何も知らなければ。

 いや、知っても知らなくても、既に破綻していたんだ。

 全て最初から。




「じゃあ、また明日ね。達也たつや

「うん。気をつけて帰ってね」


 肌寒い秋の日の駅前、僕らはいつも通りの言葉を交わした。

 小柄な僕とそれほど背が変わらない先輩、森川もりかわ

 彼女は少し首をかしげてはにかむと、

 手を小さく振って駅へ歩いていった。

 そして僕はその姿が駅舎の中に消えるまで見送るのだ。

 僕たちの日常。ずっと続くものと思っていた青春。


 でも、この日。

 僕の日常にバグが入り込んだ。

 それは僅かな隙間から現れる小さな虫のように、

 静止したまま人混みの中から僕を見つめていた。


「あれは……」


 目が覚めるようなショートの金髪、僕よりも背が高い女子高生。

 彼女は僕を見つめながらニヤリと笑ってみせた。


「は、花村はなむらに見られた!」


 花村はなむらゆかり。同じクラスの女子生徒だ。

 成績も良くて運動もそつなくこなし、

 顔立ちもスタイルも良い――が、様々な噂が絶えない生徒だ。

 彼女に目をつけられたらとことんイジメ抜かれるとか、

 仲間に万引きをさせるとか、身体を売っているとか……。


 とにかく、そんな噂が絶えない生徒に、

 僕と森川先輩が一緒にいるところを見られてしまった。

 どうしようと狼狽えていると、

 怪しい笑みを浮かべる花村に誰かが声をかけるのが見えた。

 紺色のスーツを着た仕事帰りの疲れた中年男性だった。

 男性に声を掛けられると、花村は明るく笑って男性の腕を取り、腕を組んだ。

 花村は中年男性と一緒に雑踏の中に消えて行った。


「ま、まさか」


 僕は噂が本当だったのかとしばらくそこに立ち尽くした。

 いや、もしかしたらお父さんかもしれない。

 あるいは親戚のおじさんとか。


「とにかく帰ろう……」


 明日、花村に何を言われるか分からないけど、

 何も見なかったことにしよう。それがいい。




 帰宅すると兄が先に帰っていた。

 どうやらアルバイトが休みらしく、

 スマホを片手にソファーで横になっていた。


「おい達也、この間お前が買ったゲーム、友達に貸したからな」

「えっ!? ちょっと待ってよ、まだ僕もやってないのに」

「うるせーな。別にいいだろ」


 兄はソファーにあったクッションを僕に投げつけてきた。

 僕の兄、宇賀うがまさはいつもこうだった。

 僕の物を勝手に奪っては失くす、誰かに渡す、そして返ってこなくなる。

 僕は昔から彼に泣かされて育ったために彼に歯向かうことができない。

 身体も僕より大きく、力も強いから勝てるわけがなかった。


「この前の借り物だって、兄貴が壊したんじゃないか。弁償したのは僕なんだよ」

「うるせーっつってんだよ!」


 兄は勢いよく立ち上がると僕の身体を蹴り飛ばした。

 小さな僕は簡単に吹っ飛んでフローリングの上に倒れた。


「俺に口ごたえするんじゃねーよ、チビオタクが」

「…………」


 これも、僕の日常だ。

 森川先輩だけが、唯一の僕のよりどころなんだ。


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