【No.071】この次はお仕事抜きで

【メインCP:男26. 土谷つちや 駿一しゅんいち、女33. 霧島きりしま 春乃はるの

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 部下の担当していたコンサルティング案件に中止キャンセルの申し入れがあったと聞き、春乃はるのは取るもの取りあえず客先にアポを入れた。

 自社こちらに粗相があった訳でもなさそうだが、折角納品したHPも、効果を上げ始めていたSEO施策も、先方はもう不要と言っているという。個人経営の飲食店のこと、今になって予算の問題が再浮上してきたのかもしれない。決裁権の範囲で値引きべんきょうできるものならそれもやぶさかではないし、それに――。

 本件はご破算になっても、今後も何かの形でが続く可能性はあるかもしれない。ならば上席の自分が早々にフォローに赴くことで、先方の心証を少しでも良好に繋ぎ止めておくのは重要なことだ。――という結論を数秒で導いた結果のことであった。



「開店前の早い時間にご足労頂きすみません。コーヒーはお嫌いではないですか?」


 長身に小麦色の肌が印象的なその喫茶店の店主――土谷つちや駿一しゅんいちは、柔らかな物腰で春乃に尋ねながら、早速グラスの用意をしているのだった。

 どうかお構いなく、と条件反射で返した直後に、いや飲食業相手なら逆に口を付けない方が失礼か、と春乃は思い直す。「どうぞ」と出された水出しのアイスコーヒーは実際に美味しそうだったので、春乃は客先用の笑顔を崩さないまま早速ストローを刺し喉をうるおした。

 美味しいです、と素直な感想を述べると、土谷は「そうでしょう」と破顔一笑する。


「前のオーナーのこだわりのブレンドなんです。元は私自身も客で通っていたんですが、色々あって引き継がせてもらいまして」

「ええ、伺っております。素敵なご経緯ですね」


 このご時世、事業継続に足る利益が上がっていても、経営者の加齢や死去で畳まざるを得ない個人事業は多い。土谷のような承継者を得られたことは前のオーナーにとっても僥倖だっただろう。この店を愛する常連客にとっても、か。

 店の内装を見回してそんなことを思いつつ、どう話を切り出そうか考えていると、土谷の方から「それでね」と穏やかに口火を切ってきた。


「御社のサービスや、担当の方の対応に何か不満があったとかではないんです。実際、綺麗なホームページやインスタを作って頂いたことで、今まで来られなかった層のお客さんも随分増えました。昔からの常連さんを相手に細々とやっていた去年までを思うと、それはもう夢のようでね」


 恐縮です、という春乃の相槌に続いて、土谷は思い出したように笑って。


「夢といえば、色んなお客さんが来てくれるようになったお陰で、こないだは変な夢まで見ましたよ。ウチの地下に魔法の学校があって、魔法少女を目指す少年少女が足繁く通ってくるんです」


 五十路の男性が床に指を向けて漫画のようなことを言うので、春乃は思わず「なんですか、それ」と小さく吹き出してしまった。 


「魔法なのに男子も居るんですか?」

「あれ、どうだったかな。まあ、夢の話ですからね。私はそこの司令官らしいですよ」

「お似合いかと思います」


 業務用か本心か自分でも分からないコメントを春乃が述べると、土谷はにこやかに笑い、自ら脱線させた話をふわりと本題に戻してくる。


「でもね、ウチは常連さんに落ち着いて来て頂ける居場所であれたら、それで良かったんですよ」

「……ええ」


 彼の目を見れば、その言いたいことは春乃にも察せられた。


「弊社のご提案で、却ってお店にご負担をお掛けしてしまいましたか」

「いやいや、それが悪かったとかではありませんよ。私も若い頃には営業マンもやりましたからね、相手の利益になると信じて熱心に売り込んでくれる営業の方の気持ちは理解しているつもりです。実際、それで売上は上がったのですから、感謝こそあれ、迷惑なんてことはありません」


 こちらがフォローされているようで萎縮する春乃だったが、しかし土谷の言葉に嫌味はなく、むしろ一言一言から彼の人柄の良さが伝わってくるようだった。


「しかし、まあ、霧島さんには釈迦に説法でしょうが……企業組織ならば利益の拡大を目指すのは当たり前です。でも、ウチのような個人経営の小さなお店は、必ずしもそうではないんですよ。今いるお客さんが離れない、店が潰れない程度で、のんびり経営を維持していければいい……。そういう生き方もあるってことです」


 春乃は「わかります」と頷く。誰が悪いわけでもなく、この案件はただお互いにとってのミスマッチだったということだ。


「そういうわけで、申し訳ないんですが、ここでお仕舞いとご連絡をさせて頂いた次第で。勿論、ここまでお世話になった分の費用はお支払いしますので、ご安心ください」

「恐れ入ります」


 コンサル業などやっている以上は当然こういうこともある。むしろ、ここまで丁寧に気遣って話してくれるクライアントなど滅多にいないので、春乃は心底感服してしまっていた。


「ガツガツ行くのが常に正解ではない、ということですね。社内にもしっかり共有させて頂きます」


 そこで土谷はまた穏やかに笑った。どこに笑う箇所があっただろうか、と思うと、「霧島さんみたいな方がガツガツなんて言葉を使うのが、ちょっと面白くて」という。


「いや失礼。でも、そうです、がっつくばかりが人生じゃないってことですよ」


 何かを確認するような彼の言葉には、春乃より二十年以上も長く生きてきた人生の重みが感じられた。

 彼の背負っているのであろう過去を今少し聴いてみたくなったが、あまり長居をしている時間もない。

 勧められるがままに残りのコーヒーを飲み干し、お詫びとお礼を述べて立ち上がりながら、春乃はなぜか自分から「あの、土谷さん」と声を掛けていた。


「今度、お仕事抜きでまた伺ってもいいですか。この水出しコーヒー、また飲みたくなりました」

「ええ、それは勿論。ウチは喫茶店ですから。……霧島さんがまた来て下さるなら、それが一番の収穫だったかもしれませんね」

「え?」


 目をしばたかせる春乃の前で、彼ははっとなって口元を押さえている。「いや……」と彼が発言を取り消しかける前に、春乃は間髪入れず笑顔を作った。


「そう思って頂けるように善処します」


 カランという鐘の音に送られて、春乃は店を後にする。

 次にここを訪れる時のことを思うと、一層仕事を頑張れる気がした。



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【本文の文字数:2,500字】

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