【No.028】どんな人でもすぐに口説き落とす雨崎さんvs恋に溺れない藤澤さん
【メインCP:男17.
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たまに立ち寄る美術館に、お気に入りのその絵画は展示されている。多くの人の目にはとまらないその絵を、長い時間をかけて眺めている人がいた。透け感のあるワンピースを身に纏い、すらりとして姿勢の良い立ち姿は、人の少ないこの場所では特に目を引いた。
この絵をこんなに眺める人も珍しい。そう思いながら彼女の斜め後方に立つ。いつも正面から見ている絵だが、違う角度から見ると別の表情が現れて面白い。
「あ、ごめんなさい。邪魔でしたね」
後ろに立つあたしに気付き、彼女が移動しようとした。
「いいえ、大丈夫よ。気にしないでゆっくり見ていてちょうだい」
あたしの声を聞き彼女は少し驚いたようで、頭を下げた。
「綺麗な方だからてっきり女性かと」
「ふふ、こんな喋り方だしね。口癖のようなものだから直すこともできなくて。ずっとそのまま」
彼女は笑みで返し、そしてまた絵画に目を戻した。
「……この絵、お好きなの?」
同好の士との出会いかと浮かれてまた話しかけたあたしに、煩そうな表情を見せることもなく、少し考えてから彼女は頷いた。
「そうね、好きなのだと思う。どこかで見たことがあるような気もするの。それに、甘くていい匂いを感じない? 何かしら」
「匂い? ……へえ、そんなこともあるのね」
この絵の匂いを感じ取れる人間がいるのか。彼女の顔をちらりと見て、この先、口にできるかもしれない味を想像する。内心で舌舐めずりした。
「ここであなたと出会ったのも運命ってやつかしら。嬉しいわ」
「運命? 何の話?」
彼女は不思議そうな顔をしたが、あたしは喜びを隠しきれないというように、にっこりと微笑んだ。
「この絵はね、あたしが描いたの。自分でもとっても気に入っているわ」
「……君が描いた? まだ20代くらいよね?」
首を傾げ、彼女はもう一度絵に目を向ける。
「1974年……50年前の作品のようだけど。とてもそんな年齢には見えないわ。ずいぶん若々しいのね?」
「……あんまり驚かないのね」
「驚いてるわ。こんなに若くて綺麗な男性に『運命だ』『嬉しい』なんて言われるなんて思わないじゃない!」
「驚くのってそこ?」
苦笑してもう一度女性を見る。凛としていて聡明そうに見えたけど、少し変わっているかもしれない。ちょっとだけお付き合いして、頂けるものを頂いて。サヨナラするのにちょうどいいか。
「貴女も魅力的よ。若い男に言い寄られて喜ぶほど、相手に困っているようには見えないけれど?」
「そうね、困ってはいない。でも誰でもいいというわけでもないの」
「ということは、あたしは貴女のお眼鏡にかなったと受け取っていいのかしら?」
彼女は再び絵に目を向け、深く息を吸い込んで目を瞑る。
「ああ、いい匂い。甘くて爽やかで。ずっと感じていたいほど芳しくて」
そしてゆっくりと目を開け、彼女はあたしをまっすぐに見つめて言った。
「君からも、同じ匂いがする」
うっすらと微笑み放たれたその言葉に、臓腑を掴み取られ呼吸を止められでもしたかのようだった。すぐに言葉を返すことができない。
「君が描いたというあの絵。そう特別な絵には見えない。でも惹かれて仕方がない。……あれには何が込められているの?」
今まで誰からも受けたことのないその問いは、ほんの少しの期待と得体の知れない恐怖を感じさせた。あたしはようやく息を整えて言葉を発する。
「……あの絵には、あたしの血を混ぜたの。ほんの少しだけ」
「……血」
「あの頃、少しばかりむしゃくしゃしていた。あたしも何かを変えてやりたかった。それで絵に、この血を混ぜたら何かが起こらないかって」
話は見えないであろうに、なぜか彼女は納得したように大きく頷いた。
「人でないモノの苦悩ということね」
「え」
取り戻したはずのあたしの呼吸は再び止まりそうになったけれど、何とか声を絞り出す。
「人でないって……なんでそんなことが」
言いかけたあたしの言葉を、彼女は継いで言った。
「わかるわ。私も同じだから」
彼女の表情は先程までと変わらないはずなのに、不思議な程に妖しく艶めき、満面の笑みをたたえている。
「君の正体は正確にはわからないし、同じというのは少し違うのかもしれない。人でないという意味では、同じと言っていいと思うけれど」
艷やかさを増した彼女の声が、頭の中に滲むように染み込んで疼かせる。
「人でない……」
「君のように、私のように。この世界には人間だけじゃない、様々なモノがいる。そんなに驚くことではないでしょう?」
そう。その通りだ。あたしはその時まで見たこともなかったバケモノに、こんな身体にされてしまった。
「君も私も、手にできなくて手にしないようにしているものがある。でもそれを求め続けてもいる」
艶然と一笑し、彼女は語り続ける。
「君みたいな素敵な人に口説かれるのは嬉しかったわ。でも全然本気じゃなかったでしょう?」
ぎくりとして、だけどあたしは彼女から目をそらさずに、そして軽く息をついた。
「……本気じゃないとは言わないけれど。ただ長く一緒にいられるとも思えない。それはこの身体のせい。深く関わるべきではないわ」
「私も同じよ。大切なものはあるけれど、一定以上の感情を持てない。いえ、持たないようにしているのかもしれない。それすら自分ではよくわからない。だから」
寂しそうに呟いた。その次の瞬間。
「手にできるのに手にしようとしない私達。一緒に過ごしたら、どちらが先にそれを得てしまうのか。競ってみない?」
口端をあげ、挑戦的な眼差しを向けてそう言い放つ。
「……おかしなことを言い出すのね」
「手にできれば僥倖。できなければ今まで通りというだけ。でも今の私は、理解できなかった感情を手にしてみたいと思っている。そして君が放つ匂いが、それを教えてくれるんじゃないかという気がしている。どうかしら?」
きらきらと瞳を輝かせてそんなふうに迫られて。断ることができる
「……わかった。その勝負受けて立つわ。でもできれば、勝つよりもドローに持ち込みたいところだけれど」
「ふふ、気が合うわね。私もそう思ってる」
耳元に口を寄せて囁いた彼女のその声は、あたしの脳の奥をまた疼かせた。
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【本文の文字数:2,485字】
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