第三章 風景庭園と中庭の謎⑤

「なに、ハートフォート公爵から招待状が届いただと!?」


 珍しくアイリが驚きの声を上げたのは、夕食を終え、アフターティーを楽しんでいた時。食器を下げ終えたサラも、アイリの横に控えていた。


「はい。今度は確かにうち宛ての招待状だ」


 マーサが一通の招待状を差し出す。ウィリアム伯爵を使って参加した、あのガーデンパーティーから二週間が経とうとしている。


 招待状を受け取るや、その場で封を破り、アイリは書面を目を走らせた。その顔がみるみる曇っていく。


「何かありましたか?」


「公爵からガーデンパーティーへのご招待だ。一週間後、ただし今度は所領のカントリーハウスで開催するらしい」


 アイリはサラに向け、ひらひらと招待状を振って見せる。


「つまりカントリーハウスまで来いってことですか?」


「そう言うことになるね」


「公爵の所領って、どこなんですか?」


「北西部にあるアップルシャルロット。リットンからだと汽車を使っても半日近くかかるぞ」


 アイリのうんざりした顔を見て、サラはその道のりの長さを実感した。


「だけど、なぜ急に虫けら以下のうちに招待状なんて……」


 横から差し挟まれたマーサの疑問はもっともだ。それはそれとして、自分の仕える家を進んで虫けら扱いするのは、出来ればやめて欲しい。悲しくなる。


「原因は、どうやらサラのようだ」


「えっ、あたし!?」


 突然出された自分の名前に、サラは肩をびくつかせる。心当たりはない、と思うのだが。


「この前のガーデンパーティーで公爵の庭を褒めちぎっていただろ。それにあの青い花もどきも。それで気をよくされたらしい。わざわざ侍女同伴のこと、と注意書きされている。余程、サラのことが気に入ったらしい」


「あたしはそんなつもりで言ったのでは……」


「天然太鼓持ち」


「えっ?」


 ぼそっと差し挟まれた小声の主を見れば、マーサが素知らぬ顔で横を向く。


「それで、どうするんですかアイリさま?」


「どうもこうもあるまい。相手はエルウィン貴族界の大御所、こちらは虫けら以下の小者。答えは決まっているさ」


 一週間後、アイリとサラはアップルシャルロット行きの汽車に乗っていた。



「まだ、なのか?」


 トップハットを持ち上げながら、男装姿のアイリはややうんざりした顔で御者に声を掛ける。


「もう少しでさあ、旦那」


 御者が笑顔で返し、アイリは不満気に押し黙る。


 もう三度目の、同じやり取り。ただサラには、アイリの気持ちが分からないでもない。朝の暗いうちにリットンを発し、汽車に揺られること五時間、到着した駅からさらに馬車で一時間。ようやく大きな門が見えてきた。ハートフォート公爵邸の入口と思しきその門を通り抜けてから、もう随分と経っている。いまだ館らしきものは姿を現さない。日はもう中天に届こうとしている。


 その間、並木道を通り、渓流を眺め、また幾つかの門を潜った。流れていく景色はどれも美しい。屋根のない馬車で良かったと、サラは心から思う。


「よくまあ、見飽きないものだね」


「もちろんです。ここは変化に富んでいて、どれ一つ同じ景色がありません」


 馬車から身を乗り出すようにして景色を眺めるサラ。落っこちるなよ、とアイリはその姿に苦笑する。


 やがて行く先に大きな橋のようなものが見えてきた。


「湖だ!」


 サラは立ち上がって叫ぶ。太陽の光を浴び、湖面がキラキラと輝いている。どうやら橋はこの湖を渡るための物らしい。


 馬車が橋に差し掛かった時、湖の向こう側に、壮麗な建物が姿を現した。背後に緑深い森を配し、手前に橋と湖を抱いてそびえ立つその姿は、まるで一枚の絵画のよう。


 ハートフォート公爵のカントリーハウスだ。


「おおっ!」


「これは、確かに見事だな」


 サラは驚嘆の声を上げ、アイリですら感嘆のため息を漏らした。


「凄いです。まるでお城のようですね、アイリさま」


「カントリーハウスは大地主たる貴族が、自分の権勢を誇示するために建てる邸宅だ。当然訪れる者に強烈な印象を与えるよう、さまざまな工夫がなされている」


「どうでさあ、魂消たまげたもんでしょ」


 それまで黙っていた御者が、振り返って話しかけてきた。


「ええ、本当に凄いです。あちらに見えてきたのがハートフォート公爵の邸宅ですか?」


「はい、あれが公爵さまのお屋敷です」


 サラの問いかけに、御者は愛想のいい笑みで答える。よく日に焼けた顔がほころぶと、白い歯が覗いた。


「御者さんは、この辺りの方なんですか」


「そうさ。生まれも育ちもここいらだ」


「そうですか。こんな雄大な景色が見れていいですね」


 何気ないサラの言葉に、御者の顔がはっきりと曇る。てっきり喜ぶとばかり思っていたサラは、予想外の反応に首を傾げた。


「ここは景色のいい所だよ、昔から」


 絞り出すように言うと、御者は前を向いてしまった。


「どうかしたのかい? 急に黙ったりして」


「あっ、いえ、何でもないです」


 アイリに指摘され、サラは戸惑に固まった顔を、慌てて両手で擦る。


 馬車はスピード落とすことなく、公爵邸へと進んでいった。



「いやいや、遠いところをよくぞお越し下さった。感謝しますぞ、ガーネット男爵」


 玄関ホールに通されるや、広い空間に大きな声が響く。満面の笑みを浮かべ、ハートフォート公爵自らが出迎えに出て来た。思いもかけぬ歓迎ぶりに、アイリも目を丸くする。


「公爵自らのお出迎えとは恐縮。こちらこそ、わざわざご招待頂き、ありがとうございます」


 心の中では一インチも思っていないだろう言葉と共に、アイリは慇懃いんぎんに頭を下げる。それにならうサラを見つけ、公爵の目が輝く。


「おお、この間の侍女だね。よく来てくれた、よく来てくれた。固い挨拶など抜きにして、楽にしなさい」


「はっ、はい、ありがとうございます」


 近づいて来るなり、バシバシと肩を叩かれた。


 公爵は先に立ち二人を中へと誘う。玄関ホールの天井は高く、床と壁は中世を思わせる装飾が施されていた。やや重苦しい装飾に圧倒されていると、前を行く公爵が振り返るなり、二人に身を寄せてくる。


「ところで、我が家の庭は楽しんで頂けましたかな?」


 ひそめた声で問い掛けられ、アイリとサラは顔を見合わせる。


「庭というのは? これから見せて頂けるということだろうか?」


 アイリが戸惑うのも無理はない。何しろ二人はまだ屋敷についたばかりで、庭など見ていないのだから。


 だが、その反応を待っていたとばかりに、公爵の顔がほころぶ。


「いやいや、もう見て頂いたはずです。この屋敷に来る道すがらに」


 あっ、とサラは声を上げる。アイリも意味が分かったらしく、渋面を作っていた。


「お気づきになられましたかな? 入り口の門をくぐってから、この屋敷に至るまでが我が家の表庭。まあ、他の家の庭より、少々広いかもしれんがね」


 公爵は声を上げて笑う。


「やられたね。きっと毎回やってるんだぜ、この爺さん。それで客が驚くのを楽しんでる。悪い趣味だ」


「得意満面って顔ですもんね。いや、壮大な庭自慢です」


 高笑いする公爵に聞こえないよう、小声でのやり取り。アイリは悔しがり、サラですら呆れる。


「この庭は、わしの生き甲斐のようなものでして。屋敷を買い取ってから、約十年、理想の庭を造るために私財を投じてきました。その甲斐あって、ようやく理想とする姿に近づいてきたのです」


 笑い終えると、今度は庭についての講釈を始めた。公爵の話を聞きながら、二人は奥へと進む。

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