第三章 風景庭園と中庭の謎⑥

 大広間に一歩足を踏み入れると、鼻をつく強烈な香水のにおい。思わずサラは息を止めながら、室内の様子を伺う。そこには十数人の男女が寛いでいる。公爵が招いたのだから、当然といえば当然だが、どの客人も華やかな身なりの紳士淑女ばかりだった。


「みなさん、お待たせいたしました。最後の客人であるガーネット男爵、いまご到着でございます」


 公爵の大々的な紹介を受けたアイリに、客人たちの視線が一斉に集まる。


 一拍間をおいて、嘲笑ちょうしょうのざわめきが起きた。集まっていた視線に好奇の色が混じり、立ち上がって「ああ、あれが」などと露骨に口にする者も。どの客も一様に驚きの表情を浮かべるが、やがて手や扇で隠した口元を歪める。歓待されていないことは一目瞭然。


 サラは自分の顔が、カッと熱くなるのが分かった。それが羞恥しゅうちのためではないことも。


「サラ、落ち着け」


 脇腹の辺りをつつかれ、踏み出しそうになっていた足が止まる。アイリがこちらを見ているのに気づき、思わず赤面してしまう。


「す、すみません」


「ここにいるのは由緒正しき家柄の、誰もが知る大貴族のみなさま方だ。爵位でいえば、侯爵以上の上位貴族ばかり。それに『シーズン』中にも関わらず、リットンを離れられるような暇人ひまじんでもある。そんな連中にとって、僕なんか丁度いい話の種だろうよ。だが、すぐ飽きる。気にするな」


 そう言うと、アイリは何事もなかったかのように大広間へ入っていく。涼しい顔が逆に怖い。慌てて、そのあとに従う。


 奥へと進みながら、サラはアイリが座れる場所を探す。だが、


(す、座れる場所がない……)


 室内は広いが、他の貴族たちが絶妙に席を埋めている。中には長いソファを一人で占拠している者や、椅子の上に荷物を置く者も。その顔はニヤついているから、きっとわざとだ。


 焦るサラを尻目に、アイリはそんな不法占拠者の一人の前で足を止めた。後ろにいるサラからアイリの顔は見えない。だが、不法占拠者の顔が見る間に歪んでいく。


「あ、アイリさま――」


「ガーネット男爵、席ならこちらに」


 アイリを止めようとしたサラの声は、別の声に遮られた。アイリとサラは、同時に振り返る。広間の隅に一人の紳士が立っていた。その手は空いた一脚の椅子を勧めている。


 不法占拠者を一瞥してから、アイリは大人しく紳士の元へ足を向けた。胸を撫で下ろしつつ、サラは紳士に感謝する。


「ジョージ・マイルズです。爵位は、あなたと同じ男爵。お会い出来て光栄です、女男爵バロネスガーネット」


 紳士は端整な顔に、感じのいい笑みを浮かべ、椅子の前でアイリに右手を差し出す。


「アイリーン・ガーネットだ。よろしくマイルズ男爵」


 アイリが差し出された手を握ると、若い紳士はにこりと微笑む。そして自ら椅子を引き、アイリに勧める。


「キミが座っていた椅子なのだろ? 気遣いは無用だ」


「レディーファーストは紳士の基本ですので。それに本音を言うと、長い間座らされ過ぎて、少々尻が痛くなっていたんです」


 悪戯っぽく微笑むと、ぺろりと舌まで出す。毅然きぜんとした紳士の思いもかけぬ行動に、傍で見ていたサラは盛大に噴き出してしまった。慌てて口元を押さえるが、もう遅い。アイリとマイルズの視線に晒され、サラは身を小さくする。


「まったく。うちの使用人が失礼をした。悪気はないんだ。許してやってくれ、マイルズ男爵」


「いやいや、謝罪は無用。先程から見ていたが、実に面白い使用人を連れておられる。ガーネット男爵が羨ましいくらいだ」


「先程から、ですか?」


 失礼とは思いつつ、サラは首を傾げる。するとマイルズの顔に、また悪戯な笑みが浮かぶ。


「ええ、大広間に入って来てから怒ったり、赤くなったり、慌てたり、焦ったり。思っていることが、分りやすく顔と仕草に出る。感情を見せないようにする使用人が多い中、実に面白かった。君は本当にガーネット男爵が好きなのだね」


 恥ずかしさの上に、また別の恥ずかしさが重なり、サラは顔から火が出そうになる。


「申し訳ない」


「申し訳ありません」


 アイリとサラ、二人の謝罪の言葉が重なる。それがまたマイルズを喜ばす。

 大広間に入ってから初めて接する柔らかな雰囲気に、サラは心のこわばりがほぐれるのを感じていた。


「それでは、のちほど」


 従者が呼びに来たので、マイルズ男爵はその場を離れていった。他の貴族にでも呼ばれたのだろうか。去り際、どこか名残惜しそうな顔がサラには印象的だった。


「いい人でしたね。アイリさまはご存じだったんですか、マイルズ様のこと?」


 マイルズが譲ってくれた椅子に座ったアイリは、ゆっくりと頷く。


「ああ、噂程度に。彼もそれなりに有名だからね」


「どういった方なんですか?」


「元々は貧しい農村の出身らしいんだが、職を求めてリットンに出て来たらしい。その後、金融業界で成功を収め、今の地位を築くことになる。成功してからは慈善活動にも積極的で、その功績が認められ、去年男爵位を叙位じょいされた。まあ、そんな所だ」


「へっ、叙位された? それって貴族になったってことですよね。平民が貴族になれるんですか?」


 生まれる前から階級社会を刷り込まれてきたサラにとって、それは青天霹靂せいてんのへきれきだった。


「なれないことはない。ただし、叙位されるのは五爵のうち、最も低い男爵位のみ。それも一代限り、当の本人が死んだら返上しなくてはいけない」


「それでも凄いじゃないですか!」


「ああ。控え目に言って、大したものだ」


 思いがけない言葉に、サラは思わず目を丸くする。


「珍しい! アイリさまが素直に他人を褒めるなんて!」


 そんなに驚くな、とたしなめつつも、アイリは頬を掻きながら目を逸らす。


「まあ、かなりまれな例だからね。社会や王室に多大な貢献をしたと認められた上、推薦してくれる有力な大貴族がいなくては無理だ。彼の場合も、慈善事業をとおして知り合ったハートフォート公爵の推薦があればこそだ」


「なるほど。じゃあ、公爵には頭が上がらないってわけですね」


「そうなるかな。だが、いくら公爵が認めたとしても、他の貴族連中はどうかな? 古いだけが自慢の貴族が、ぽっと出の新米貴族なんて到底認めたがらないだろう。貴族になったはいいが、案外、彼も後悔しているのかもしれない」


 マイルズを案じるようなアイリの言葉――いささか荒っぽくはあるが――に、サラは確信する。そして、ふむふむ、と意味ありげな頷きを繰り返す。


 そんな使用人に、主は怖い顔で詰め寄る。


「おい、何を考えていたんだ? 言ってみろ!」


「運命ですよ、アイリさま! これはもう運命です! ハンサムでお金持ち、爵位も同じ男爵同士で家格問題なし。おまけにお互い貴族社会では鼻つまみ者という共通点まである。もう運命としか思えません! あっ、でも、アイリさまにはウィリアムさまがいらっしゃいますね。どうしよう、これでは泥沼の三角関係になってしまう!」


「なるか! 何が運命だ! それに主人を鼻つまみ者扱いするな!」


 アイリは手を伸ばし、サラの頬をつねり上げる。


「いたたたっ! 痛いです、アイリさま!」


「痛くしてるんだから当り前だ! 大体、そんなにあいつのことが気に入ったんなら、サラが狙えばいいだろ! キミだって年頃の娘なんだならな」


「いやだなあ、アイリさま。恋愛はするより、他人のを冷やかすのが楽しいじゃないですか」


「この大馬鹿者!!」


 渾身の力をその手にめ、アイリはサラの頬を捻り上げた。

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