第三章 風景庭園と中庭の謎③

 三十分後、二階から降りてきたアイリを見て、サラは思わず手を叩く。


「素敵です、アイリさま!」


 襟元にたっぷりとフリルをあしらった裾の長いドレス姿で、腰の後ろにバッスルでボリュームを出している。花やリボンで飾られたボンネットで頭の後ろを覆い、手には淡褐色の牛革カーフの手袋をはめていた。


 普段の男装を見慣れているだけに、久しぶりに見るドレス姿は鮮烈だった。


「どんな名工と名人といえども、これほど美しく完璧な人形を作ることは出来ないだろう」


 隣に立つウィリアムが、我がことのように胸を張る。その賞賛の言葉に、サラも何度も頷く。


 ただ一人、アイリだけが不機嫌顔。


「僕の趣味ではない! マーサがどうしてもと言うから……」


「仕方ないです。同伴は男同士より、男女の方が自然だ。諦めて下さい」


 尚もぐずるアイリだったが、往生際が悪い、というマーサの一言で押し黙る。ふん、と鼻を鳴らし、パラソルを受け取ると足早に玄関に向かう。ウィリアムとサラも、その後に続く。


 玄関の面した通りには、いつもの貸し馬車ではなく、もっと大きく煌びやかな箱馬車が待っていた。馬も毛づやがよく、ぴかぴかの馬体をしている。さすが伯爵家専用の馬車だ。


 三人乗っても広々とした車両の中でも、アイリは終始不機嫌だった。 



「着いたようだな」


 馬車が止まったのは、リットンの中心部にある大きな邸宅の玄関。


「ようこそお越し下さいました、ペンブルック伯爵」


 サラに続いて降りてきたウィリアムとアイリを、白髪の執事が出迎えた。

 三人が通された大広間には、すでに三十人近い人が集まっていた。ソファに腰を落ち着ける者、歓談に興じる者、煙草をくゆらせる者など思い思いに寛いでいる。誰もが着飾った紳士淑女ばかり。


 それでも、とサラは密かに胸を張る。


「どうした、サラ? 顔がにやけているぞ」


「いえね、リットンでも有数の淑女の皆さんが集まっているじゃないですか。でも、うちのご主人さまが一番綺麗だなと思って、えへっ、えへへへ」


「馬鹿者。そんな当たり前のことで喜ぶな。ほら、主役のお出ましだぞ」


 呆れ気味のアイリに促され、入り口の扉の方を見ると、丁度一人の老紳士が入ってきた。上背はないが、横に大きく、歩き方にも貫禄がある。


「皆さま、今日はようこそ、我が家のガーデンパーティーにお越し下さいました。心よりお礼申し上げます。それでは早速、当家自慢の庭へご案内致します」


 そう言って歩き出した老紳士に続き、大広間の客たちが動き出す。


「それじゃあ、あの紳士がハートフォート公爵ですか?」


「ああ、そうだよ。さあ、僕らも行こう」


 ハートフォート公爵に案内されたのは、通りに面する表庭。とは言っても、通りが見えないほど広く、一面緑の芝生が広がっていた。そこにアフタヌーン・ティーのセッティング。テーブルには白いテーブルクロスが敷かれ、中央にたっぷりと花が飾られている。銀の薬缶と美しい磁器のティーセットが並び、薄く切ったパンにバター、ケーキやビスケットなどのお茶請けが用意されていた。


「さあ、存分にお楽しみ下さい」


 公爵の言葉を合図に、庭の隅に陣取った楽隊が演奏を始める。少し曇ってはいるが、その分日差しは穏やかで、まずまずのガーデンパーティー日和だ。華やかな音楽が流れる中、庭はあっという間に社交の場に姿を変えた。そこここで紳士淑女の笑い声が弾ける。


 紅茶とお菓子を貰いに行っていたサラが戻ると、腕を組んだアイリが一人待っていた。


「あれ、ウィリアムさまは?」


「あっちだ」


 アイリが顎で指した方を見ると、ウィリアムが大勢の貴族に囲まれていた。


「腐っても公爵家の跡取り息子だからね、お近づきになりたい者は多いさ」


「アイリさまは行かないんですか?」


 ティーカップを渡すと、アイリは手袋のままそれを受け取る。


「群れるのは趣味じゃない。もっとも連中も、僕なんかお呼びではないだろうがね。ところでサラ、この庭をどう思う? 感想を聞かせてくれ」


「素晴らしい庭だと思います」


 間髪入れずに答える。


「本当かい? 芝生が植わっているだけで、どこが良いのか僕には分からないな」


「そうですねえ。まず良いところは、庭を広く見せる工夫がされています。この間のシムネル公爵の庭と比べると、土地でいったら遥かにこちらが小さい。それでも、一見するとシムネル邸に負けないほど、広く感じるはずです」


「確かに、広く感じるね。なぜだろう? 遮蔽物しゃへいぶつが少ないからだろうか?」


「その通りです。シムネル邸の庭は壁や柵、生垣などで細かく区画分けされていましたが、この庭にはそれが一切ありません。遮るものがないから、狭い土地でも、より広く開放的に感じられるんです」


 あらためてに見渡してみると、庭の中に壁や柵のようなものは見られない。唯一大通り側にだけ、目隠し代わりと思われる蔓バラの生け垣が設置されていた。


「そして何より素晴らしいのが、この芝生です」


 サラはしゃがみ込むと、おもむろに芝生に顔をつけ、頬ずりする。芝は柔らかく、さわさわと心地よく頬を撫でる。このまま寝転がったら熟睡間違いなしの触り心地だ。


「芝生なんてどこにでもあるだろ?」


「とんでもない! 見て下さい、このカーペットのように目が詰まった完璧な芝生を! 汚れや色むらのない、まるでビロードのように艶やかな芝草、テーブルのように平らな草地。ここまでの芝生を育てるのは、並大抵のことでありません!」


「分かった、分かった。この庭も、芝生も、どれだけ素晴らしいか、サラのお陰でよく分かったよ。だから、少し落ち着いてくれ」


 熱弁を振るうサラを、アイリは困り顔でなだめる。


 その時、背後から拍手が起きた。振り返ると小太りの老紳士が、ニコニコと笑いながら近づいてくる。


「これは、ハートフォート公爵」


 ガーデンパーティーの主催者で、この庭園の持ち主でもあるハートフォート公爵その人だった。


「後ろで聞かせてもらっていましたよ。いや素晴らしい慧眼けいがんと知識をお持ちだ。なによりわしの庭を褒めてくれてありがとう」


「あっ、はい、いえ、どうも」


 大貴族さまから褒められ、なんと言っていいか分からずサラは焦るばかり。


「この見所のある使用人は、お嬢さんの侍女ですかな? 失礼だが、お名前は……」


「アイリーンです。アイリーン・ガーネット。お久しぶりですね、公爵。モンテスキュー大聖堂にお越し頂いた時以来でしょうか」


 にやりと笑うアイリを見て、公爵の顔が一瞬で驚きに変わる。よくよくアイリの顔を眺めてから、ぽんぽんと公爵は自分の頭を叩く。


「あの時の花嫁さんか。こりゃ、驚いた。確か男爵家を継承されたんでしたな」


「おかげ様で」


 どうやら公爵も『モンテスキューの悪夢』に参列していたらしい。


「時に男爵、本日はこのささやかなパーティーにお招きしておりましたかな?」


「いいえ。ですが、公爵さまご自慢の庭が見られると聞いて、友人にせがんで連れて来てもらいました」


「そうですか、そうですか。何分にも狭い庭ですから、どうしても招ける客にも限りがあります。泣く泣く男爵に招待状を送るのを諦めたのですが、そうまでして来て頂けるとは嬉しい限りですな」


「心にもないことを」


「う~ん、何かおっしゃいましたかな?」


「いえ、何も」


 アイリとハートフォート公爵のやり取りを、サラはすぐ隣でハラハラしながら見守っていた。二人とも笑顔なのが、余計に怖い。

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