第31話 剣聖上泉

天文16年3月中旬、所々雪が残る越後国。

上野国から上泉秀綱(上泉信綱)が越後府中春日山城にやって来た。

上泉秀綱は期待半分,不安半分の心で越後府中にやってきた。

自らが創始した新陰流は出来たばかりであり,知名度はまだまだというか全く無い。

この頃はまだ、陰流を伝授した愛洲移香斎やその剣友らが、その才能を高く評価しているだけである。

関東管領上杉憲政からでさえ単に腕が立つ国衆程度の扱いであり,事実上の一国の支配者から剣術家として正式に手解きを請われたのは初めての経験であった。

さらに2万人の門弟と言われたこともあり緊張感は高まっていく。

正式な門弟が2万人となり、数で言えば事実上日本一であると胸を張って言えるのかもしれないと考えていた。

越後国が誇る巨城春日山城。

昨年改修工事を終えたばかりだそうだが,上泉秀綱から見た春日山城はとても面白い。

麓から見上げた春日山城は、春日山の稜線に沿って数多くの砦が築かれているのが見える。

南の平野部にもいくつもの砦がある。

どうやら砦はみな連動しているらしく、そうであれば全長二里を超える巨城であろう。

緊張しながらも春日山城の中を案内されて進んでいく。

他の城よりも重厚で大きな城門。

「この堅牢さであれば簡単には打ち破れん」

この堅牢な城門を破るのは簡単では無いと思え、思わず独り言を漏らす。

城壁は一際高くそびえ立つ。

その城壁の上から外を見張る櫓がいくつも見える。

これでは、密かに近寄ることも出来ないように思えた。

さらに進むとお堂らしきものが見えてくる。

どうやら守護代長尾景虎様が信仰する軍神毘沙門天を祀る毘沙門堂のようだ。

本丸に向かう道中に籠城戦に備えて数多くの井戸も掘られている。

自らの居城である上泉城。

主である長野業正の居城箕輪城。

関東管領上杉憲政様の平井城。

どれとも違う城の作りがとても新鮮に感じられた。

そして本丸に入るとすぐに広間へと案内される。

広間に入ると上座中央に若い男がいて,その周辺を重臣と思える者達が座っている。

広間中央まで進むと座り両手をついて挨拶をする。

「上野国上泉城主上泉秀綱と申します」

「越後守護代長尾景虎である。儂の我儘を聞いてもらい感謝している」

「滅相もございません。我が新陰流を評価していただき剣術指南をさせていただくことに感謝しております」

「儂も含めて皆力任せに刀を振っている者たちばかりだ。まずは剣術の基本を教えてほしいと思っている」

「承知いたしました。微力でございますがお役に立たせていただきます」

「ならば,剣術の道場は二箇所ある。さっそく剣術の道場に案内しよう。ついて参れ」

景虎は立ち上がると自ら上泉秀綱の案内を始める。

まずは春日山城内にある剣術道場に立ち寄る。

既に中では二十人ほどの者たちが木刀を素振りしていた。

しばらくその様子を見ていたが,上泉秀綱は稽古している者達に近寄り指導を始めた。

たっぷりと1刻(2時間)ほど指導を行う。

「景虎様,次に参りましょう」

「分かった。もう一つは城を出てしばらく歩いたところだ。城の外の道場は少々大きな作りをしている」


春日山城を出てしばらく進む。

すると大きな寺に似た外観の建物が見えてきた。

そこからは気合いのこもった声が聞こえてくる。

「上泉殿,ここが二つ目の剣術道場だ」

「剣術道場にしては大き過ぎませんか」

「直臣の旗本が多いため,少々大きなものを立てた」

長尾景虎は少し自慢げに剣術道場を説明する。

目の前には20間(約40m弱)四方ほどの広さを持つ寺に似た外観を持つ建物があった。

中に入ると一際太い柱と天井の梁が目に入った。

これほどの太さを持つ柱と梁はなかなかお目にかかれないほどの太さだと思って見ていた。

「この柱と梁はなかなかあるまい」

「なぜこれほどの大きな柱と梁なのです」

「越後は雪深い国だ。これほど大きな建物だとかなり太い柱と梁を使わんと雪に耐えられん。雪の重みで潰れてしまうからだ」

「雪ですか,雪でそれほどのことになるのですか」

「ひどい時にはこの道場が雪で埋まるほど降る時もある。そして雪は重いのだ」

「雪が重いですか」

「そうだ。雪はとても重い。だからこそこの柱と梁なのだ」

長尾景虎と上泉秀綱が話をしている間も気合いの入った声が響きわたり,剣術の稽古が行われていた。

上泉秀綱はここでも剣術の稽古をしているものたちに近づいていき指導を始めた。

人数もいるためか2刻(4時間)近い時間を費やして熱心に指導していた。


ーーーーー


上泉秀綱の越後国での生活はとても充実していた。

剣一筋の毎日。

剣以外のことに時間を取られることが一切無い。

朝起きてから寝るまでひたすら自らの新陰流を熱心に指導していく。

門弟となるものたちに指導をしながらも,自らの境地を深めるための探究を欠かす事は無い。

ますます自らの剣の道を深く深く極め,技の冴えにますます磨きをかけていく。

そんな充実した毎日が間も無く終わろうとしている。

間も無く約束である3ヶ月になろうとしていたからだ。

自らの主である長野業正様,関東管領上杉憲政様,二人から3ヶ月と命じられている以上はその命を違える事はできない。

そんな充実した毎日が終わろうとしていた一抹の寂しさを覚えながら,上泉秀綱は春日山城の長尾景虎の下を訪れていた。

「景虎様」

「秀綱殿如何した」

「此度は3ヶ月もの間,この越後国で剣術に打ち込む時間をいただきありがたく思っております」

「礼を言うのはこちらの方だ。力任せに刀を振るうばかりで,剣術のイロハも知らぬ我らに剣術とは何なのか教えてもらい皆が助かったのだ。上泉殿の新陰流がいかに優れているかの証明だ」

「そのように評価していただくと嬉しい限りです」

「これから毎年,多くの門弟を送り込ませてもらうことになる。よろしく頼む」

「承知いたしました。上野国に来られる門弟には,誠心誠意稽古をつけたいと思います」

「時が許せば,また越後国を訪ね,門弟たちの稽古を見てやってくれ」

「その時は喜んで稽古をつけさせていただます」

上泉秀綱は,上野国で稽古を積む三十人を引き連れて上野国へと帰っていった。

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