第19話 臣下の礼と土建国家
蝉の声がうるさいほどに鳴いている中を、上田長尾家当主である長尾政景は、父である長尾房長とともに越後府中の春日山城に向かっていた。
上田長尾家の一行が越後府中に入ると、多くの人々が行き交い昨年とは様変わりしている。
多くの人々が城下を行き交う通りには、多くの商店が軒を並べていた。
商店の軒先には数多くの商品が並び,それを求める人々が行き交っている。
「どうしてこれほどの人々が行き交うのだ」
理解できない長尾政景は、通りがかった商人をつかまえて話を聞くことにした。
「すまぬが、いつの間に越後府中にこれほどに人が増えたのだ」
「景虎様の直臣の旗本衆が1万人ほどになったためさ。景虎様の直臣の方は戦がなければ、城下の関川の河川工事や新田開発をしてくださる。本当にありがたいことで。さらにその1万人の旗本衆を目当てに方々から商人が集まって店を開き始めたら、さらに人が集まり始めた。いいことずくめで、城下が賑わって商人は嬉しい悲鳴ですよ」
「河川工事と新田開発をやっているのか」
「ええ、関川沿いを歩かれたら見えてきますよ」
その商人は嬉しそうに話して去っていった。
長尾政景は、商人から聞いた関川の河川改修工事へと足を運ぶ。
目の前では多くの者達が関川の河川改修工事に従事している。
蛇行した川筋を真っ直ぐに変え、堤防を高く丈夫にする工事が行われていた。
堤防には所々、竹林の移植や桜の苗木を植える作業が行われている。
「すまんが、なぜ堤防に竹林や木を植えるのだ」
「詳しくは分からんのだが、どうやら植えると根を張って堤防を強くしてくれるそうだ」
「根を張って堤防を強くか」
「そうのように聞いていますよ」
男はそれだけ言って作業に戻っていった。
長尾政景は再び歩き始める。
しばらく歩くと湿地となっている場所でも工事が行われていた。
なぜ、湿地や潟で工事をしているのか分からないため長尾政景は、工事をしているものをつかまえ話かける。
「すまぬが、この工事は何をしているのだ」
「この湿地と潟の水を抜いて田畑に変える工事ですよ」
「なぜ、そのような工事が行われているのか」
「ここだけで無く、他にも何箇所か行われてます。景虎様は積極的に新田開発をされるおつもりですから、全部できたら収穫量が何倍にもなるでしょうな」
「何倍にもか・・」
作業員の答えに驚きながら、長尾政景は今度は直江津湊方面に足を向けた。
すると川にかける大きな橋を作る様子が見えてきた。
「これは橋なのか」
関川に大きな橋をかける工事が行われていた。
長尾政景は再び工事をしているものをつかまえる。
「こんな大きな橋は見たことがないのだが」
「昔からあったんだが、戦乱もあってすっかり朽ちてしまってたんだが、景虎様が銭を出してくださることになって、この応化橋の架け替えができることになったんだ。景虎様のおかげだよ」
関川にかかるこの橋は、応化橋または府内大橋もしくは府中大橋と呼ばれる橋である。
本来なら数年先になる工事であるが、景虎が佐渡の金銀を手に入れたことで、景虎が工事費を全額負担することで工事の時期が早まっていた。
「親父殿。一体何が起きているのだ。越後府中の全てが様変わりしているぞ」
越後府中のあまりに変わりようにただただ驚くしかない長尾政景。
「その答えは春日山に行ってみるしかあるまい」
父長尾房長に促されて、春日山城に足を向ける一行であった。
長尾政景達は春日山城にやってきた。
そこでも工事が行われていた。
驚いたまま春日山城を見上げていると見知った顔の人物がやってきた。
「政景殿。よく参られた」
「直江殿。これは一体」
その人物は直江実綱であった。
名門直江家の当主で上杉謙信を支えることになる重臣の一人である。
「景虎様の命令で越後府中は工事だらけだ」
直江実綱は笑顔で話している。
「どうしてそのような事に」
「景虎様は、今年の梅雨時の大雨を体験なされて、まず河川改修工事を決断され、そのついでに橋と新田開発も一緒にやろうと申された。その結果、越後府中は工事だらけだ」
「春日山城はいったい」
「晴景様と景虎様は、元々春日山城の備えに不安があると申されていた。ならばここもこの際一緒にやってしまえと景虎様が申されたことが発端だ」
「いや、しかし、越後府中でこれだけの工事となるとどれほどの銭がかかるだ」
「儂には分からん。景虎様が佐渡から手に入る金銀を全て使っているそうだから、想像もできん。だが、この工事がさらに多くの人々を呼び寄せ、活況を呼び込んでいる」
「この越後府中の変貌が信じ難い」
「その内すぐ慣れる。儂も最初は戸惑ったがじきに慣れた。それよりも晴景様、景虎様がお待ちだ。ついて来られよ」
長尾政景一行は、直江実綱の先導で工事中の春日山城に入って行った。
直江実綱に連れられて春日山城の広間に入る。
既に、守護代長尾晴景と長尾景虎が上座に座り待っていた。
「上田長尾家長尾政景参上いたしました」
「政景殿。久しぶりである」
守護代長尾晴景は、政景に声をかけた。
「晴景様。少しお痩せになりましたか」
「多少は痩せたかもしれんが至って元気だぞ」
政景には、その笑顔がなぜか痛々しく見えてくる。
「この政景が至らぬばかりに心労をおかけして申し訳ございません」
「そんな事は無い。お主はいつも儂を支えてくれた。孤立無援の時であってもお主は力になってくれた。いつもありがたいと思っているよ。できたらその忠節を景虎のために使って欲しいのだ。どうだろうか」
長尾晴景の少し痩せた姿を見ている長尾政景の心に、様々な想いが去来する。
「晴景様はそれでよろしいのですか」
「儂もむざむざ病にやられる訳にはいかん。だが、そのためには長尾家を一つにまとめておかねばならん。そのためには政景、お主の力が必要だ」
「承知いたしました。この長尾政景。景虎様の手足となって働きましょう」
長尾政景は涙を堪えて頭を下げるのであった。
長尾景虎は,長尾政景が臣下の礼をとったことで家臣団の大きな山場は越えたと考え,春日山城の改修工事を兄晴景とともに視察していた。
職人たちや常備軍の兵士たちが忙しく動き回っている。
景虎の目に漆喰を仕上げている職人たちの姿が見えてきた。
漆喰は,貝殻を焼いて粉にした消石灰に,海藻を原料とした糊を混ぜそこに麻などの繊維を混ぜて作る。
耐火性に優れているため多く使われている。
漆喰を作っている場所に歩いていくと何か硬いものを踏む感触があった。
景虎は何が石でも踏んだのだろうと何気なく足元を見た。
何やら灰色のような平べったいような小さな塊が目に入った。
「これは何だ」
思わずしゃがみ込んで指で摘んでみる。
職人たちがその姿を見て慌てて近寄ってきた。
「景虎様。如何されましたか」
「この灰色の平べったい塊は何だ。石には見えんな」
「それは漆喰のなりそこないですよ」
「漆喰のなりそこないだと」
「漆喰に貝殻を焼いて粉にしたものを使うのですが,ちょうど二日前に,そこの水たまりに貝殻の粉を大量にこぼしてしまったんですよ。それで泥と貝殻の粉が混じってしまってそんな物ができたんです。できるだけ使えるものは取ろうとしたんですが,かなり泥と混じってしまってこぼしてしまった分はほぼ使えないため放っておいたらご覧の有様でして」
景虎は平べったい石のようなものを両手で持ち,力を加えてみるが壊れる様子は無い。
地面のくぼみと同じ形で硬く固まっている。
「ほ〜,泥と混じり合い乾くとこんなに硬くなるのか。石のような硬さがある。面白いな。これは使えるかもしれん」
「えっ・・何にです」
「築城や普請工事にだ」
「まさか」
「粉であったものが石のような硬さになっている。面白い。混ざり合い,凝り固まる土。混凝土とでも名付けるてみるか。皆に上手い使い方を考えさせてみよう」
貝殻を焼いて粉にすると消石灰になる。もしくは,石灰石を高温で焼いて細かくしたものでもできる。
消石灰に石や土砂などを混ぜ合わせたものが古代コンクリートである。
古代ローマでは火山灰を混ぜていた。
ここから越後領内でコンクリートを混凝土と呼び,コンクリートが急速に普及していくことになる。
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