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    高血圧は脳卒中の最大の危険因子である。多量の酒と塩気の多い肴(主に梅干し)により高血圧になっていたであろう謙信は、果たして、元亀元年(1570)年に脳卒中に見舞われる。このときは軽症であり命に別状はなかったが、後遺症として左片麻痺を生じ、以降は左足を軽く引きずって歩くこととなった。

    「これで大酒には懲りただろう」と思うところだが、謙信は禁欲的な生活を送った人物であったから、飲酒が唯一の楽しみであったのかもしれない。
    謙信は「天性驍健≒プライドが高く激しやすい性格」であった。激しい気性とストレスを緩和するために飲酒が欠かせなかったのか、身体的な後遺症に悩まされながらも飲酒は全く控える気配がなかった。

    そして8年後、ある日、謙信は用を足すために厠へ行ったが、いつまで経っても席に戻らない。家来たちが厠へ様子を見に行くと、脳卒中が再発したのであろう、謙信は白目を向いて昏倒していた。その後は懸命な治療が行われ、倒れて3日目には一旦意識を取り戻すも、発する言葉は要領を得ない。

    8年前と違って今回は重篤であり、発病4日後の天正6年(1578)3月13日午後2時頃、謙信は帰らぬ人となった。享年49。現代の医学で考察すれば、死因は再発性高血圧性脳出血であるという。

    まあ、死ぬ前も、関東を平定した後に上洛を果たさんとして、越後の春日山城で着々と軍備を整える。軍備のかたわら、城内では連日のように軍議や酒宴が行われ、謙信は重臣の直江兼続らを相伴させて大杯をあおっていた。

    アルコール依存症で自業自得である。