第18話 幽霊を操る悪霊

「お、小倉さん。その……幽霊が見えた話、してくださいましたよね。もう一度詳しく聞かせてくれませんか」


「ん? ……ああ、もしかして更衣室のやつ? それはいいんだけど……どうしたの雨水君、顔色が悪いけど。体調悪い? というか今誰かと話してなかった? 幽霊がなんとかって」


「へ!!? あ、いや、ひ、独り言というか……」


「そう? てっきり雨水君も幽霊見たのかと思ったよ。俺とか漆畑さんもだけど、ちょっと前から幽霊の話をよく聞くから」


「漆畑さんも……? そ、そっちも気になる……お話、聞きたいです」


 なんだか大きな収穫がありそうである。突然食いついてきた俺に、小倉さんは驚きつつも嬉しそうだった。前に話を聞いた時にも思ったが、人に怪談話を聞かせるのが好きなのだろう。天使さんも気になっているのか、先ほどよりも近い距離で空中に寝そべっている。


「とうとう雨水君も怪談話に興味を持ってくれたかー。いいよ、いくらでも話す。まあ俺も聞きかじっただけだから、軽くしか話せないかもしれないけど」


「お願いします」「早くしろ」


 聞こえないのに催促をする天使さんを宥めるように視線を向けると、にやりと楽しそうに笑っていた。危機感の無さそうな天使様である。彼についても聞きたいことは山ほどあるが、まずはこちらからだ。意識を小倉さんに向ける。そんな俺たちの様子を気にすることもなく、小倉さんは意気揚々と語り始めた。



「従業員トイレに人影、作業場に見知らぬ人、ドアに黒いもや……もやって、もしかして悪霊ですかね」


「どうだろうな、悪霊がドアに大人しく張り付いていることは無さそうだが。……人影だのなんだのは不審者の可能性もあるが、まあ幽霊だろうな」


 小倉さんの話を聞き終えた後。売り場で掃除をしながら天使さんと意見を交わし合っていた。小倉さんは値下げをしてくれており、姿の見えない漆畑さんは別の部門へヘルプに行っているらしい。他の鮮魚の従業員は皆すでに退勤済みであるため、小倉さんが戻ってこない限りは話をしていても大丈夫。俺はブラシで床を磨きながら考えを巡らせていた。


「霊感のない場合は、彼らが見えたとしても疑問には思えないんですもんね? 普通の人に見えるというか、幽霊であるとは認識できないというか」


「そうだな。そして、こういう異常事態だ、普通の幽霊でも、人間に何か危害を与えてくる可能性がある」


「……悪霊になりたくないから、誰かに憑りついてその体を乗っ取ろうとしたり、ですか」


「ああ。どこぞの大雪のようなやつならいいが、あんなやつはなかなかいない。簡単に憑りついて、乗っ取ろうとするだろうな。乗っ取られたが最後、人格は戻らないし戻せない。いつしか忽然と姿を消して、新しい人生を悠々自適に歩むのだろう。人の体で勝手にな」


 ツンとした表情で天使さんが言う。もしも小倉さんや漆畑さんに幽霊が憑りついて、その体を乗っ取られてしまったとして。その場合は、二人の魂は、意識はどうなってしまうのだろうか。最初から存在しなかったかのように消えてしまうのだろう。自分の気が付かないうちに二人の意識が殺されてしまったら、その時俺は、きっと後悔してもしきれない。


「やっぱり、早くなんとかしないといけないということですね。とはいってもいきなり皆に幽霊が見えるようになった原因がわからないと何とも……天使さんは心当たりないんですか? なにか異変を感じたりだとか」


 興味深げに作業場の様子を見ていた天使さんが俺を一瞥する。


「ボクにはさっぱりだ。というかお前がわかっていないならボクにも察知できるわけないだろう。お前もボクと同じくらい気配に敏感なようだし。お前は何か変な幽霊の気配を察知したりはしなかったのか?」


「え?」


 俺が幽霊の気配に敏感とは、いったい何を言っているのか。幽霊専門家のような天使さんに勝るほどの能力なんて持っているつもりはない。俺が何を言っているのか訝しんでいると、天使さんはじっとりと俺を睨んだ。


「変人を見る目で見るな。その幽霊探知機能を無自覚で使っていたのか? もったいない」


「い、いやいや勝手に失望しないでください! どういうことですか?」


 そんな最新機器みたいな言い方をされても俺はただの人間だ。俺が本気でわかっていないことがわかったのか、天使さんが少しだけ目を丸くする。そして腕を組んでこちらを見下ろした。蛍光灯がすぐそばにあるため、見上げていると少し眩しい。


「お前、初対面の小雪を見て、大雪——幽霊の気配がすることをわかっていたんだろう? それにさっきも、八十八からボクの気配がすると言っていた。高草木も小雪もそんなことを言ったことはない。お前が初めてだ」


 確かに大雪さんの気配も天使さんの気配も結果的に察知していたことにはなるが、具体的に何の気配かなんてわからなかったし曖昧なものである。幽霊探知機能などというハイテクなものでは全くない。それを必死に主張すると、天使さんはひらりと右手を振った。


「はいはい。まあ詳細なことはどうでもいいんだ。ボクが聞きたいのは、この騒動が起きる前に何か異変を察知してはいなかったかということ」


「期待されているところ申し訳ないのですが、全く……それこそ先の二人以外は」


 なんとなく忘れていることがあるような気がしたが、疑問になる前に頭から消えていったためそのまま無視をすることにした。今は余計な情報はいらないだろう。


「ということは、それほど弱い気配なのだろう。大事になる前に元凶を叩いてしまえば終わりだな」


「元凶?」


 なんのこっちゃと思ったが、彼にはすでになにか考えが生まれていることがわかった。天使さんが売り場で値下げをする小倉さんをちらと見てから口を開く。


「悪霊だよ。この店の幽霊の動きが活発になる理由なんて悪霊以外にない。小心者だろうな、自分から戦いに来ずに幽霊を操るやつなんて」


「で、でもそれならどうして夜じゃなくて昼に幽霊を操っているんですか? 悪霊の目的は商品を奪うこと、でも自分は戦えないのなら、閉店後の夜に幽霊をけしかければいい。小倉さん達に幽霊が見えるようになったら俺たちが警戒しますし、何の意味もないような気がするんですけど……」


 天使さんは俺を見下ろして目を細めた。


「ふん。昼にしか会えないやつが目的なんだろう。簡単だ、”八十八を脅している”んだ。遅番のシフトを減らして、商品を寄越さなくなったアホ店長を脅して商品を出させようとしているんだ。幽霊たちにとって、商品が無くなるのは死活問題だから」


「店長を脅して、商品を出させる……」


 一体何が起ころうとしているのか、もし俺たちがうまく対処できなかったらどうなるのか。俺たち四人だけじゃない、もっとたくさんの被害が出るかもしれない。ザリ、とブラシの毛が地面と擦れる音が鈍く鳴る。押し寄せる不安を持て余していると、ふ、と小さく息を漏らす音が聞こえた。見上げると天使さんが微かに笑みを浮かべている。


「心配するな。いつも通り悪霊を倒せばいいだけ。余裕だろう?」


 強気に微笑む彼の表情は、やはり幽霊や悪霊のそれには見えなかった。


「い、いや……初めてじゃないですか、こんなの。悪霊だけじゃなくて幽霊、それもたくさんの幽霊が敵になっているなんて……今までにもこういうこと、あったんですか」


「いや。ないな。少なくともボクは覚えていない」


「じゃあなんでそんなに自信ありげなんですか」


 天使さんは俺を見下ろすと、ふ、とわずかに目を細める。翼がふわりと羽ばたき、俺を覆い隠すように影を作った。


「お前と違って卑屈を極めていないんでな。なに、ボクたちも悪霊退治に関しては練度が上がっている。今更イレギュラーが起こったとて何も問題ないだろう。お前だってそうだ、いつだったかの戦闘、頼もしかったぞ」


「いや、あれは、たまたまかもしれないですし、というか最近遅番の仕事全然してないじゃないですか。ブランクがあるかもしれませんよ。全員鈍ってたらどうするんですか」


「……一理あるな」「ほらあ!!!」


「雨水くんいる?」


 突然作業場のドアが開き、小倉さんが入ってくる。俺はそれはそれはかなり驚いて、掴んでいたブラシを落とした。カシャン、と小うるさい音が作業場に響く。


「うわ、ごめん驚かせて。大丈夫?」


「はい! 大丈夫ですすみません! その、ええと、値下げは……?」


 慌ててブラシを拾い上げながら聞く。値下げが終わってしまうほど時間が経っていたのだろうか。つい話に夢中になってしまった。聞かれていなかったかと恐る恐る小倉さんを見るも、俺の明らかに挙動不審な様子も気にしていないように見える。それどころかむしろ彼の方が焦っているような。


「ああ、一時間くらいは様子見で大丈夫だと思う。売れてなかったらまたもうちょい下げよう。んで申し訳ないんだけどさ、俺ちょっとデイリーのヘルプ行ってくるからこっち任せてもいい?」


「え? 俺は大丈夫ですけど、デイリーって漆畑さんがヘルプ行ってるんじゃ……?」


 小倉さんは頭をぽりぽりと掻きながら眉を下げる。


「それが、なんか体調不良で早退するみたいで……他の部門から出せる人もいないみたいだし、俺が行くしかなくってさ」


「え、漆畑さんが体調不良!? し、心配ですね」


「ね、びっくりだよね。俺も詳しいことはわからないけど、そこまで重症ではないらしい。一応早退した方が、ってことになったみたいで」


 よほど急いでいるのか、小倉さんは「そういうことだからごめんだけどよろしくね」と残して慌ただしく去って行った。俺は呆けたまま彼を見送ることしかできなかった。


「何を呑気な顔をしているんだ。そんなに漆畑というやつが心配なのか」


 静観していた天使さんが優雅に隣に降りてくる。


「心配、はそうなんですけど……漆畑さん、今まで一度も体調不良でバイトを休んだことがないらしいので、余計に気になってしまって」


 そう、いつだったかそのことを自慢気に話していたのを聞いたことがある。実際彼女が体調不良で休んでいるのを見たことがない。俺や小倉さんに詳細を伝えずに早退してしまうことなど信じられないくらいで、普段の彼女からは想像がつかなくて嫌なことばかりが頭に思い浮かぶ。小倉さんはああ言っていたがかなり重症なのではないか。最近はシフトも増やしていたみたいだし、無理をしすぎていたのでは。


「まあそれなら心配する気持ちもわかるが、今お前が焦ってもどうにもならん。鮮魚を任されたのだからそちらに集中しろ。その店員もいい大人なんだろう? なら自分でなんとかするさ、お前が焦って変なことをやらかす方がまずい。後で見舞いのメッセージでも送っておけ。小雪たちに成果を報告するついでにでもな」


「つ、ついでじゃないですけど……そうですね、そう、します」


 深呼吸をして落ち着きを取り戻す。すぐに焦るのは俺の悪い癖だ。俺のできることを見極めなければ。俺が黙って掃除を再開したのを見て、天使さんがふわりと浮き上がる。


「ならボクは戻る。大体の状況はわかったしな。……今後の方針はかなり重要だな。小雪たちにも話を聞きがてら共有してこよう」


「お願いします。俺もできそうだったら情報収集してみます」


「ああ。ほぼ確実だが、百パーセント悪霊の仕業だと決まったわけではない。くれぐれも慎重に動けよ。……ああそうだ。お前がやらかさないようにお守りをくれてやろう。そら」


 俺の横まで降りてきた天使さんがひょいと何か小さなものを投げる。慌ててキャッチをして見てみると、それは飴玉のようだった。白い球体が蛍光灯の光を反射している。


「一応、除霊効果のあるものとなっている。ボクの羽からできているからな。他にも、使用者の体調を整える効果もある」


「え、そ、そんなものもらっちゃっていいんですか!?」


「いい。やばいと思ったら食え。また欲しくなったら渡すから遠慮するな。……それでは、ボクは戻る。またな」


 天使さんが長いまつ毛をぱさりと動かし瞬きをする。ふわりと翼が俺の眼前で翻り、思わず目を瞑った。恐る恐る目を開けると、その時にはすでに真っ白い人影は消えていた。羽が一枚ふわりと宙を舞い、床に落ちる前に消えていく。


「……体調を整えるとか、そんな薬みたいなものも出せるんだ、天使って……」


 ますます不思議だ。こんな力を持った存在が、この店だけに常駐していることも不思議に思えてきた。見送った後、手に持ったままの飴玉をしばらく見つめていたが、そっとポケットに入れた。持っているだけでも安心できそうだ。心も落ち着きを取り戻し、掃除を早く終わらせてしまうためにハイターを手に取った。床の黒ずみにスプレーした後一旦放置。まな板の洗浄を終わらせたら、一度売り場の在庫を確認しに行こう。その後に床掃除を終わらせて、値下げをして。売り場に人はどれくらいいるのかな。視線を向けた。


 ぞわり。背筋が凍る。


 ぴたりと動きを止める。何だ、何が起こった。ガラス越しに売り場を凝視していると、そんな俺の不審な姿に気が付いてしまったらしいお客さんが怪訝そうな顔をして去って行く。気味悪がられたことを気にかけることもできないまま、しばらく立ち尽くしていた。


 視線が、逸らせない。


 遅番をしている時にすら感じないような悪意の塊。人を焦りと絶望に駆り立てるような気配。ここからは遠い、売り場のどこかでその気配を感じた。ひたすらに売り場の奥を観察してみるも、正体はわからない。売り場に出て探す勇気もない。背中に汗が伝う。天使さんがまだここにいてくれればと、そう思わずにはいられなかった。彼ならこの気配の不気味さを共有できただろうに。ぎゅ、と先ほど貰った飴玉を握る。


 しかし天使さんが戻ってくることはなく、やがて憎悪の気配も消えていく。同時に、体のこわばりが解け視線を自由に動かせるようになった。


「い、今のが、元凶の悪霊……?」


 幽霊を扇動して人を脅かすことも容易くできそうな力を感じた。とにかく共有しなければ、スマホは先ほどロッカーに入れてしまったから取りに行かないと。掃除用具を一旦置いて素早く足を動かす。火口さんにもメッセージを送れば天使さんに届くだろう。一体なにが起ころうとしているのか。


「にしても今の、どこから……売り場の奥、ここの対角線上だと……従業員用階段の方?」

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