第17話 隠し事

 高草木さんと火口さんが倉庫を出て、天使さんがどこかに去って行ったのを見送ってから数分後、俺も行動を開始することにした。誰にも見られていないことを確認してから扉を出て、そっと階段の陰からバックルームの廊下へと進む。


 生来の卑屈さが祟って、最悪の想像ばかりが胸を占める。足取りが重いのも、真実を知ってしまうのが怖いからなのだろう。まだ幽霊だと決まったわけではないが、もう、きっと恐らく、確定しているだろう。小倉さんや漆畑さん、鮮魚の皆が幽霊に脅かされたら、悪霊に襲われたら。悪霊の影が彼らを覆い、ゆっくりと体が動かなくなっていくのをただただ待つことしかできずに、そのまま。


「いやいやいや想像力がたくましすぎる……洒落にならない……」


「何がだ?」


 突然背後から聞こえてきた声に驚いて飛びのく。そしてここが廊下のど真ん中であることに気が付き、慌てて居住まいを正した。左右確認、人気なし。ほっと溜息をついてから、おもむろに口を開いた。「驚かさないでくださいよ、天使さん……」


「お前が全く気が付かないからついな」


 天使さんは全く意に介していない様子でふわりと浮いている。俺はきょろきょろと周囲に人がいないことをさらに念入りに確認してから、天使さんを見上げた。


「ついな、じゃないですよ。というかどうして天使さんがここに? てっきり火口さんのところに行ったのかと」


「ボクはお前たち以外には姿を悟られないから心配はいらない。小雪は……いつも一緒にいると飽きられるらしいからな。それより魚屋、お前例の幽霊発見男に話を聞きに行くんだろう。行動は迅速に、だ。行くぞ」


「小倉さんのこと変な名前で呼ばないでください。あとそれから、まだ幽霊と決まったわけでは……」


 そんなことを話していると、ブブ、と手元のスマホが震える。もしやと思い開いてみると、一件の通知が来ていた。高草木さんからだ。もしやもう調査が終わったのだろうか? 俺がもたもたとしている間に、さすが高草木さん。仕事が早い。


「んん? ああ、高草木からメッセージか。なになに『出勤記録簿見せてもらった、小倉さん以外に残っていた人はいないっぽい』……なるほどな。まあそうだろうとは思っていたが」


「勝手に人のスマホ覗き込まないでくださいよ。……ということはやっぱり、小倉さんの目撃情報も、精肉の人の目撃情報も全部幽霊ってことになるんですね……」


 高草木さんのメッセージには、適当に犬のスタンプで返事をしておく。これで本格的に俺の危機感が足りていなかったことが判明してしまった。事態を決めつけて平和ボケしていたことが本当にあほらしい。言ってしまえば命をかけて戦う仕事をし始めて数か月は経つのに、今一つ緊張感がない。自己嫌悪で頭痛がする。


 気持ちが表情に出てしまっていたのか、天使さんが憐れむような目で俺を見た後、勝手にスマートフォンを手から取り上げた。そっと電源ボタンを押した後、俺の手にぐいと押し付ける。


「これはもう仕舞っていい。……まだ悪霊の被害が出ているわけでもない。お前がここから大活躍拍手喝采を独り占めすればチャラだ。わかったら切り替えてさっさと動け」


「う……そううまく切り替えられればいいんですけど。とにかく行ってみないと何も始まりませんもんね」


 スマートフォンをポケットにしまい、やる気満々な天使さんを引き連れて廊下を進む。すれ違う従業員さんへ挨拶をすると、上の方から鼻で笑う声が聞こえた。なんだ馬鹿にされたか今? 立ち止まってじっとり睨んでやるとそばにいた精肉の人に不審な目で見られてしまった。慌てて通り過ぎる。ちょっと変な人がなぜか頭上を飛んでいるだけ、無視無視。


 もう構わずに行ってしまおうと歩いていると「そういえば魚屋」と呑気に話しかけてくる。気遣いというものが全くない。彼を黙らせるのは無理だと判断し、これ以上余計な心労を増やさないために少し遠回りをしてあまり人気のない通路を使うことにした。階段を昇り二階へ。一瞬だけ売り場を通り、バックルームに繋がっている重い鉄の扉を開け再びバックルームへ。こちら側の通路を通る人は少ないし、ここなら彼のお喋りにも付き合えるだろう。


「もう。あんまり人の多いところでは話しかけないでくださいって」


「いい場所を選んだな。ここは確かに人通りが少ない。まして昼過ぎのちょうど忙しい今の時間帯はな。それはいいとして。お前、いつだったかにイカを出せるようになっただろう。他には? 増えたか?」


 自分のペース大好き天使さんはこちらの要望を無視するのもお手の物である。全く聞く耳を持とうとしない。彼らしいといえば彼らしいのだが。人気のない廊下を進みながら彼の質問に答える。


「いえ、その後は……でも、最近ホタテの殻を外して中身を取り出す作業をめちゃくちゃやらされたので、ホタテを呼べるようにはなっているかも……いやそんな単純じゃないか……舐めたことを言いましたすみません」


「勝手にテンションを下げるな。なんか強そうな魚を捌いたりはしなかったのか」


「一回イカを切ってる間に指切って大惨事になって以来、特には……。最近は忙しくて教えてもらう余裕もないですし」


 天使さんが呆れ顔で俺を見下ろす。思わず赤くなった顔を逸らして隠すと、声を押し殺して笑われた。


「なんですか。一応弁解しておきますとそんなヘマをしたのはあの一回だけですからね。ともかく、ホタテは呼び出せるようになってるかもしれませんし……なってない可能性の方が高いですけど……」


「そうか。まあ、呼び出せるようになっていたらいいな。戦力は多い方がいいから」


 そう言った後、先ほどまで黙れと言っても黙らなかったのに、彼は突然黙りこくった。着いてきたくせに話したいことがあったわけでもないのか。俺の方が気まずくなってしまい、必死に話題を探す。会話を自然に続けるには、相手に興味がありますよ、と伝えられるような話をすればいいらしいと昔に聞いたことがある。


「そういえば俺、天使さんのこと何も知らないですよね。幽霊とか悪霊について詳しいということと、他に知っていることと言えば……散歩が好きなこととか?」


 脈略がないぞ気持ち悪い、と突っぱねられそうな話題提供をしてしまったと一瞬焦ったが、当の本人は平然としていた。むしろ嬉しそうな顔をしているような気がする。


「散歩のことは冗談だから忘れろ。でもそうだな、お前がここに来てから色々なことがあったから、ゆっくり話す暇もなかった。ボクのことが知りたいか? 仕方ないな。教えられることなら教えても構わない」


 やたらと得意げな顔に「とりあえず手短にお願いします」と促す。「善処しよう。気晴らしついでだ、話が弾むかもしれないが許せ」と天使さんはふわりと俺の前に立ち、そのまま俺の歩く速度に合わせて後退しながら話し始めた。そんなムーンウォーク空中版みたいなこともできるのか。


「ボクは天使。この店の招き天使をやっている。八十八に頼まれて、この店を繁盛させるためにな」


「そういえば、初めて店長を見た時にも思ったんですけど店長から幽霊とも言えないなんだかよくわからない気配を感じたんですよね。今思えばあれ、天使さんの気配ってことですよね」


 目を丸くした天使さんが大きく翼を動かす。


「え。お前わかってたのか。そうだな、ボクと八十八は少なからず縁があるから、気配がついていてもおかしくはないだろう。気持ち悪いが」


「て、店長に気持ち悪いとか言わないであげてくださいよ……で、店長に頼まれて招き天使やってる、ってつまりどういうことなんですか? 天使さんがいると店にお客さんがやってくるみたいな、そういうフィールド効果みたいなものがあるんですか?」


「フィー……? というのはよくわからんが。あいつとはとある契約を結んでいるんだ。この店が繁盛するようにという願いを叶えてやる代わりに、悪霊退治や幽霊の浄化を手伝ってもらう。そういう契約をな」


 単なる雑談のつもりだったが重要そうな話になってきた。彼はこちらが聞かないと重要なことを話さないようだから、今は絶好の機会なのだろう。こんな歩きながらの状況ではなくどこかに腰を据えて聞きたいくらいだが、今の俺にはやるべきことがある。階段を下り、鮮魚の作業場へと向かいつつ話すことにする。


「説明してください、よくわからないので」


「ふむ。そうだな、簡単にならいいぞ」


「まあ時間もないので……お願いします」


 天使さんは一呼吸を置いた後、そっと口を開いた。


「ボク達天使の仕事は、幽霊の転生と悪霊の退治。しかしボク達だけではとても対処が追い付かないから、人間にも協力させるんだ。願いを叶えてやる代わりにボクと一緒に戦え、ってな」


 店長は天使さんに契約を持ち掛けられ、「店を繁盛させる」ことを条件に幽霊や悪霊渦巻く環境に飛び込むことを選んだと、そういうことらしい。まさか天使さんと契約することで店の売り上げを維持していたなんて。そこまでしなくてもこの店は繁盛しているような気がするのだが、何か事情があるのだろうか。


「あれ、でも悪霊退治を手伝ってもらうって、店長は戦っていないですよね? 俺が見たことないだけ?」


「いや。あいつには霊感がないから戦えない。代替案として対価を払ってはいるが……戦えないから、お前たちを雇って代わりに戦わせているんだ。そしてこれを話すと大抵のやつは八十八に失望して仕事を辞める」


「そう、なんですか……」


 店長は戦わないのに、霊感があるというだけで負担を強いられている、と思って辞めていってしまうのだろうか。気持ちはわからないでもないけれど。


「まあ、八十八がノーリスクでおいしい思いをしていると感じてしまったら、良く思わないやつが多いだろうな。……お前は、今の話を聞いて腹が立たなかったのか? 仕事を辞めたいとは思わないのか? 今でも?」


 立ち止まり、会話を止め、考えてみることにした。天使さんはじっと俺を見つめており、その表情はいつになく真剣そうだった。なぜ、俺はこの仕事を続けているのか。一度はやめようと思ったのに、命の危険があるかもしれないのに。今はスカーフを巻いていない手首をそっと撫でる。ここで働くことになってから、俺の環境は変わった。誰かのために、躊躇することなく行動する勇気を手に入れることができた。


「……やめよう、とは今の話を聞いても、思えないかもしれません。俺、この仕事に感謝しているんです。人のためになりたいけど、迷惑をかけてばかりで、だから大人しく目立たないように過ごして……毎日が苦しくて仕方なかった。でもこの仕事が俺を変えてくれた」


「……そうか。ボクにとってはとてもありがたい言葉だ。仕事を辞める、と言い出したら引き留めざるを得ないからな」


 天使さんが地面に降り立ち、俺の顔を下から見上げるようにして覗き込む。こうして同じ地面に立つと年下の少年にしか見えないが、背中に生える翼と真っ白な体が、彼が人間ではないことを思い知らせてくる。


「お前がこの仕事に価値を見出せるよう、ボクも八十八も尽力しよう。だから今はこのままで、一緒に戦ってほしい。できればこの先も。幽霊に商品を売り転生させることも、悪霊を倒すことも、全てお前の望む、誰かの役に立つ行為だから」


「それは、もちろんですけど……」


 彼の瞳の中に、いつもは見せない、そう、焦りのようなものを見た。飄々と、のらりくらりとした態度を取る彼には珍しい。俺はそれを好機ととらえた。一度こくりと唾を飲み込んだ後、口を開く。


 天使さんと大雪さんの話を聞いたあの日から、ずっと気になっていたことがあった。


「……あの、天使さん。一つ聞いてもいいですか」


「なんだ。答えられることなら答えよう」


「悪霊は本当に、倒すことしかできないんですか。転生させることは、どうしても無理なんですか」


 天使さんが眉を顰める。


「お前……いつだったかにもそれを気にしていたな。何度も言うが無理だ。悪霊になってしまえば終わり、そこで消えるしかない」


「天使さんと契約をしたとしても?」


 俺の言葉に天使さんが大きく目を見開いた。そして翼を大きく動かし、一気に天井付近まで飛び上がる。「やめろ」と、強い語気の言葉が落とされる。


「馬鹿なことは考えるな。悪霊のために契約をする? そんなことをしたらお前は、ずっとこの仕事から逃れられなくなるぞ。ずっと幽霊と悪霊の存在が生活につき纏うことになる。……お前のこと、ただのお人よしなんだと思っていたが、違うな。お前のそれは純粋な善意ではない。言うなれば、利己的な救済欲だ。自分勝手な真似は大概にしろ」


「な、い、いきなりどうしてそこまで言われなければいけないんですか!? 悪霊は、転生を望んで襲ってくるんですよね? なら、なら助けたっていいじゃないですか。そう思うことのなにが、そんなに……」


 どういうことだ、どうしてこんなに空気が張り詰めているんだ。思わず握りしめた腕が痛む。天使さんは俺の言葉にハッと目を開き、そして気まずそうに視線を逸らした。


「……時間がないと言ったのはお前だろう。無駄話は終わりだ。行くぞ」


「で、でも、」


 天使さんはまだ、俺たちに隠していることがある。そう思った。そして彼はこちらが質問をしないと話さない。


「天使さん、天使さんは、何者なんですか」


 俺を置いて進もうとした彼がぴたりと止まる。


「今日は質問が多いな。ボクは天使だよ。ただの天使の一人。お前たち人間のために存在する救世主だ」


「それだけじゃなくて……! 俺、あなたのことと仕事のこと、もっと知りたいんです」


「ボクのことなぞ知ったところで何の得にもならないよ。……それに、ボクだってボク自身のこと、よくわかっていないぞ。話せることなどない。ほら、言っただろ、記憶なくなるから」


 ああそうか、死んだら記憶が無くなるんだったか。それなら自分のことが話せないのも仕方ない。じゃあ悪霊について聞いてみようか——そう思ってからすぐに違和感を覚える。


「え? 記憶が無くなるのって幽霊の話じゃないんですか?」


「そうだが?」


「え? じゃあ天使さんって——」


「あれ雨水君?」


 突然耳に入って来た第三者の声に驚いて肩が跳ねる。「す、すみません!!!」意味もなく謝罪をして頭を下げると、その第三者は沈黙ののちケラケラと笑った。聞き覚えのある声に頭を上げる。


「驚きすぎでしょ。というかもう休憩終わり? ゆっくり休めた?」


「は、はい。ありがとうございます、小倉さん」


 完全に話に夢中になっていたが、鮮魚の作業場付近にたどり着いていたようだった。俺の様子に小倉さんは未だ可笑しそうに笑っている。穴があったら入りたい。天使さんは大人しく空中から俺たちのやりとりと静観するつもりのようで、口を挟んでは来なかった。小倉さんが天使さんの存在を気にする様子もなく、彼の姿は普通認識できないことを改めて実感する。だとするとやはり、天使さんは……幽霊? いや、でも幽霊は転生できないと悪霊になるんだよな、天使さんは悪霊ではないし、やっぱり違うのか?


 天使とは何者なのか、どうして自分のことを話さない、話せないのか。どうして悪霊を救うことについてだけ、あんなに取り乱して否定してきたのか。


 いつかもう一度、彼と話す機会を作らなければ。盗み見た天使さんはじっと好奇心を含んだ瞳で俺と小倉さんを見下ろしている。俺たちはこの仕事について知る権利がある。


 絶対事情を聞きだしてやる、と頭の中で意気込んでから、目の前の小倉さんに意識を切り替えた。まずはさっさとこの幽霊騒動を片付けよう。


「お、小倉さん。その……幽霊が見えた話、してくださいましたよね。もう一度詳しく聞かせてくれませんか」


 

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