第15話 黒い影
「作戦、あまり機能していませんでしたね」
「そうか? 一応陽動拘束トドメの形にはなっていただろう。まあイレギュラーはかなり発生していたが。小雪、さすがに火力が高すぎだろうあれは。ボクも的が見えなくなって焦ったぞ」
「……いつもとどめを刺すのは私だったので、火力を抑えるという発想がなくて……すみません。雨水さんの機転のおかげでなんとかなりましたね」
「ま、こいつもこいつだがな。小雪が引き付けているうちにさっさと拘束すればいいものをあっさり居場所をばらすし、最後は力業だったし」
「そ、それは申し訳ないですけど……でも俺もちょっと言いたいことがあるんですけど」
悪霊退治を終えた後。先ほどの戦闘について各々言いたいことをぶつけながら、レジや商品籠を片付けていく。三人とも未だ戦っていた時の緊張と高揚感が抜けていないのか、声の音量は大きくうるさい。イレギュラーな状況で鮮やかに悪霊を倒せたことに、ふわふわとした現実感のない頭の中で喜びをかみしめていた。
「……なんですか。私の顔に何かついてます?」
天使さんが火口さんのことをじっと見ていたことを気味悪がったのか、火口さんが少し距離を取るように後ずさる。天使さんは小さく微笑みながら首を振った。
「……いや、その、お前のことをちゃんと知れて良かったと思って。飄々としていてスマートで、そんなお前も好きだったが、自分の理想のためになんでも掴み取るその泥臭さもまた魅力的だ」
「……なんか、思ったより残念だったけどまあいいかなみたいな、そういうことですか? 失礼ですね相変わらず。ま、誤解が解けたのならいいんですけど」
二人がなんの話をしていたのか俺にはわからないが、どうやら完全に遺恨は無くなったようだ。言い合いをしていた時とは全く異なる穏やかな表情で相対している。
「大雪のことも受け入れてやろう。ボクのことも存分に頼ってくれ。お前がどんな素を出そうが受け入れる自信はすでにある」
「……まだ神格化、入ってません? 私、本当にしょうもない人間ですからね。また失望して離れたりしないでくださいよ」
天使さんがふ、と鼻で笑って髪をなびかせる。
「お前に嫌われない限りは傍にいるさ。もちろん、嫌われることなどこの先一生無いだろうがな」
「……良い人なのはよくわかってるんですけど。やっぱちょっと腹立つな……」
「お前今までより辛辣になってないか!? 先ほどの言葉は信じてもいいんだよな!?」
騒ぐ二人を邪魔しないように、ひっそりと台車に備品を片付けていく。気を遣いすぎて音を立てないようにそっと段ボールを動かしていると火口さんが俺を呼んだ。慌てて背筋をピンと伸ばして返事をする。
「雨水さんも、ありがとうございました。色々と丸く収まったのも、雨水さんのおかげです。この人と二人だとどうにも話が進まなくて困っていたので……」
「え!? いや、俺は全然何も……むしろお邪魔してしまってすみません」
「邪魔……? とんでもないですよ。この半年くらい停滞していた言い合いがようやく解決したんですから。大雪が話をするために長時間出ていてくれたのも、悪霊を倒せたのも雨水さんがいてくださったからですし……」
「あ、いや、その……お役に立てたのなら何よりです。恐縮です」
そんなことない、と重ねて否定しようとした口を抑えてお礼を言う。火口さんはそんな俺を見て、無表情のままだがそっと頷いた。彼女が本心で言ってくれていることはなんとなく伝わったから、これ以上の謙遜は逆に失礼になってしまうだろう。高草木さんがいない出勤日、という未知の世界に不安ばかり抱いていたが、今は心が穏やかだった。火口さんは優秀な人だが決して近寄りがたい人ではないし、天使さんの印象も大きく変わった。
「そうだ。高草木さんにも伝えないとですね! 天使さんうまくいきましたよ~って」
「うわ。あいつめちゃくちゃいじってきそうだな……」「それはあなたの普段の行いのせいですよね」
うんざりした表情の天使さんには悪いが覚悟してもらおう。そんな話をしていると、退勤時間を過ぎてしまっていることに気が付いた。まずい、初めての残業だ。店長が残業嫌いなのは噂に聞いているので冷や汗が出る。二人にも伝えると、顔を見合わせて苦笑いをしていた。
「まずいですね。まあ、雨水さんが私たちとやるの初めてだっていうのは知っているでしょうし、情状酌量の余地はありますかね」
「一回くらいなら許してくれるだろ。よし、帰るぞお前ら」
ぱん、と天使さんが手を叩きふわりと俺たちのそばから離れる。「ではな」とだけ残し、風のように消えていった。
「あ、ああ、お疲れ様でした……すごい行動が早いですね」
「手伝う気ゼロですから……それでは、私たちも帰りましょうか」
「豚さん、ありがとうございました」とそっと火口さんが背を撫で、前へと手をかざすと赤い魔法陣が現れる。豚はそっと俺たちに目くばせをすると、一度鼻から炎を噴出した後魔法陣の奥に消えていった。俺もイカとマグロを帰すために魔法陣を呼び出すと、二匹ともしゅるりと俺の元までやってきて、俺の周りを一回転してから去って行った。青い光の残光が目に焼き付く。良かった、無事に仲良くなれたようだ。
台車の前に回り、後ろに火口さんが付いて押してくれる。進路を調節しながら台車を引き、ゆっくりと店内を進む。目の前の商品棚を避けようとしたが、ちょうどいいタイミングで消えてくれたためそのまま直進できた。普段よりも遠くなったバックルームへの扉が前方に見える。
「……あ、そうだ。残ってた商品、雨水さんが売ってくれたんですよね。大雪に聞きました。ありがとうございます」
「え、ああ、いえ。今日は接客をほとんど火口さんにお任せしていたので、それくらいは……というか、大雪さんとお話しできるんですね」
台車の進みを崩さないようにしながら後ろを振り返ると、火口さんの姿は発砲スチロールに隠れて見えなかった。
「……はい。切り替わりの時の一瞬だけですけど。感謝しとけよ、って言ってました。実際、中途半端なところで抜けてしまったので……助かりました」
「いえ。俺も新人とはいえ従業員なので! 任せてください」
前を向き直すと、ふふ、と火口さんの笑い声が耳に届いた。
そういえば、あの時俺は確かに商品を売りきったはずだった。天使さんや大雪さんも褒めてくれていた記憶があるし、片付けしながら確認した時も、商品は一つも残っていなかった。つまり悪霊が俺たちを襲う理由はあの時点で無くなっていたはずなのだが。先ほどまで戦っていた悪霊の槍の切っ先が脳裏によぎる。
「……ああ、たまにありますよね。それ。私も疑問には思いますが、詳しいことは、よく知りません。商品があるかどうか、曖昧な気配だけを頼りに店まで来ているから、売り切ったかどうかまで理解していないらしいですけど」
悪霊の目的についても今日知ることができたが、まだ謎は多い。——悪霊になってしまえば、転生することは二度とできない。商品を手にすることができずタイムリミットが来てしまい、悪霊になってしまった彼らは、それでも必死に商品を求めて俺たちを襲う。
彼らを退治して、ハッピーエンド、おしまい。本当にそれでいいのだろうか?
本当に悪霊を救うことはできないんだろうか。
そんなことを考えながら手早く台車を倉庫に入れ、火口さんと別れ、帰り支度を済ませる。受付で残業をしてしまったことを労われへこへこお辞儀をしつつ代謝。駐輪場へと歩き自転車にまたがり自転車を飛ばす。さすがにこの時間になると暑さも和らいでおり、風が気持ちよかった。追い風を受けながら自転車を漕ぎ店の入り口の前を通る時、ふと視界に見知った人の姿が入った気がした。黒髪のポニーテール。
「漆畑さん……なわけないか。こんな時間に」
よそ見は危ない。すぐに前を向き直すと、車のヘッドライトが視界を照らした。眩しさに目を細める。その車が通り過ぎると辺りの静けさが目立ち始めた。疲れたが、明日、高草木さんに報告するのが楽しみである。不思議な高揚感を持て余したまま夜風に並走して自転車を漕いだ。
▼▼▼
震える息で名前を呼ぼうとした。しかし彼はこちらを一瞥しただけで去って行く。おそらく気が付かなかったのだろう。声にならない息だけが漏れた。散歩は好きだし、涼しくなったこの時間なら快適ではあるが如何せん道が暗い。一人でいる実感もじわりじわりと湧き、寂しさだけが募るばかり。そっとため息を漏らした。
「……泣き言を言う前に、もうちょっと頑張ってみよう」
一瞬でも彼に相談してみようかと思ってしまった自分が恥ずかしかった。彼はこんな時間まで頑張っているし、難しい仕事をやっているというのに。脳裏にチーフの申し訳なさそうな顔が浮かぶ。
「——ごめんね漆畑さん。社員の加藤さん休職しちゃうみたいで……代わりにシフト、増やせないかな」
単位取得にも余裕があるし、これといった用事があるわけでもない。だから、私が頑張ればいいだけの話なのだ。
「……二日増やすだけだし、まあ、大丈夫かな」
私が頑張ればチーフも助かるだろうし、小倉さん達も安心するだろう。大丈夫、無理になったら頼ればいいし。そういえば、夏の飾り付けから秋の飾り付けに変えてくれたかな、入口は小倉さんと雨水君がやってくれたはずだけど。少し気になったため店の入口へと向かう。奥のシャッターは固く閉ざされているため店内は見えないが、手前のガラスの自動ドアを見ることはできた。キャンペーンポスターは傾くことなく綺麗に貼られているが、その隣のスイカのシールは少し傾いている。これは雨水君が貼ったのかな、などと思いながら眺めていると、シャッターに異変を感じた。
黒い靄のようなものが漏れ出している。なんだ?
「ゆるしてくださいね」
突然、耳元で声が聞こえた。
声も出せないままそこから飛びのく。よろけながら視線を上げると、先ほどまで自分がいた場所に人が——女の人が立っていた。普通の、普通の人だ。でもどうして、気配が全くなかった、どうして突然真横に?
「あ、あの」
迷ったのかもしれない、ととにかく声をかけてみると、突然めまいがした。なんだか気持ちが悪い。思わず頭を抑えて蹲る。どうしよう、やっぱり疲れが出てるのかな。しばらくそうしていると、次第に気持ち悪さは引いていく。ゆっくりと目を開き顔を上げると、女性は既に姿を消していた。
「なんだったんだろ……」
シャッターを見てみても、黒い靄もなくなっていた。幻覚かな、と少し不気味に思いつつその場を離れる。女性は大丈夫だったのだろうか。「ゆるしてください」とは、一体なんのことだったのだろう。
風が吹き、体を冷やしていく。気にかかることばかりだが、さすがにそろそろ帰らなければ。明日の大学の予定を頭の中で組み立てながら帰路についた。
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