超市場退魔戦争

時計

第1話 人生初のアルバイト先は、スーパーマーケット

 クラスメイトを見殺しにしたことがある。少なくとも俺は、そう思っている。


 物心ついた時から自分に霊感があることはわかっていた。だから幽霊が嫌いだった。とはいっても、アニメや映画に出てくるような化け物や異形が怖いわけではない。暗闇を見て、「お化けが出てくるかも」と思い恐怖するわけでもない。俺が今まで見ることのできた幽霊は、どれも一見してわからないくらい日々の暮らしの中に溶け込んでいた。普通の人間のようにそこにいて、けれど気配を探ると違和感を覚えるような存在。幼き日、信号待ちをしているとき。隣に立ったお兄さんから生気が感じられなくて不思議に思った俺は母親に尋ねてみた。


「このお兄さんはどうしたの?」


 指も指していた。みるみるうちにこわばっていく母の顔を見て、失礼なことをしてしまったことに気が付いて慌ててひっこめた。人に指をさしてはいけない。しかし母親はそんな俺の反省を一蹴して言った。


「そこには何もいないけど」


 父も母も弟も妹も、祖父も祖母も家族みなに聞いても霊感があると言っていた者はいなかった。突然変異で生まれたらしい俺の霊感は、今までの人生を大きく左右することになる。初めて幽霊を見た時は、当時好きだったヒーローのように、母親も持っていない能力を得ることができたと思い浮かれていた。浮かれて、家族、友達クラスメイトにそのことを話した。


「君の近くに今知らない人がいるよ。ほら、背中に。友達なの?」


 幼稚園では怖がられた。小学校に入って馬鹿にされた。直接悪口を言われることもあった。ひそひそ遠巻きにされた。幽霊が見えることを自慢げに話すやつは、彼らにとって異形のものだった。


「あんたいつも幽霊がどうとか言って、嘘ばっかつかないの。そんなことより勉強しなさい」


「雨水君なんでいっつもお化けの話してるの?」「おばけは普通見えないってお母さん言ってたよ」


 いつだったか、好奇の目、面倒なものを見る目で見られ始めてから、幽霊のことを話すのはやめた。ふと見えた幽霊の中には人に危害を加えようとしているのではないかとわかる幽霊もいたが、そのことを話しても不気味がられるだけだから、必死に見て見ぬふりをした。


 その結果、クラスメイトの訃報を聞くことになった時。一人震える体を抑え、逃げ込んだ先のトイレでうずくまることしかできなかった。誰かが俺を呼んでいる声も無視して放り出して、どうしようもない自分の醜さに絶望した。


 自分の身の振り方に悩み、悪口を言われて傷つくのは嫌だが誰かがひどい目に遭うのを見過ごすこともできなくて、散々悩んだ結果憑かれている人達に幽霊について教えて忠告することにした。案の定、気味悪がられて友達はいなくなった。そりゃそうだ、おどおどしながら「あなたに幽霊が憑いています、気を付けてください」なんて言う不気味なやつと仲良くなんてしたくない。学校に行くたびに吐き気がした。それでも俺の行動で誰かが救われるならと思っていたが、ある言葉をきっかけに認識を改めた。


「仮に幽霊がいたとしてさ、俺はじゃあ何に気をつければいいわけ? お前が祓ってくれるの?」


 彼の言葉をきっかけに、自分がどれほど無責任なことをしていたのかがわかった。恐怖を与えるだけ与えて後は君がなんとかして気を付けろと押し付けて、解決をしてくれるわけでもない。気が付いた。彼らは俺が幽霊の話をするから嫌がっている、その認識は少しずれていて、不気味なことを言ってくるくせに解決をしてくれるわけでもないから嫌がっていたのだと。


全てに耐えられなくなった頃、布団をただ握りしめて縮こまることしかできなくなった。有益なことが何一つできない自分自身も、馬鹿にされてばかりの自分自身も、何もかも嫌いだ。大学に入り、今まで俺が行ってきた愚行を知らない人達ばかりの環境に飛び込み、そこでようやく最適解をはじき出した。幽霊のことなんて無視して関与せずにいればいい。誰かに幽霊が憑いていたとしても、俺にはどうすることもできないし、俺が関与したことで不快にさせてしまうだろうから。


 不快にさせるくらいなら何もしない方がいい。グループワークで、ふとした会話で、家での会話で、試験の結果で、ミスをするたびに死にたくなった。次は余計なことをしないようにしよう、次は出しゃばって呆れられないように。


 肯定感と積極性を失った結果生まれたのは、卑屈で自信のない凡人だった。



 べったり。手汗が噴き出した。


 ここに来るまでの道のり、自転車を漕いで見慣れた道を走ってくるまでは普通だった。家を出て、大学に行く時と同じ道を通り、駅へ向かう途中。いつもとは違う場所で道を曲がり、いくつかの横断歩道を渡り、見えてきた店。この辺りで胸中のそわそわが増した。黒ずんだ汚れと無作為に伸びた蔦が壁を覆っている。子供の頃にも思っていたが、地元のローカルスーパーにしてはそこそこ大きい。隣駅の全国展開されているスーパーにも、階数では劣るが広さでは負けていないだろう。


 客用の駐輪場に自転車を停め、歩いて数分。従業員入口と書かれた重そうな扉の前に立った瞬間、緊張がぶわりと身を震わせた。ドアノブを握ろうとした右手が震える。暑さだけが原因ではない手汗をズボンで拭っても、それは収まってくれそうになかった。セミの声がバックグラウンドで響く。


 ——八月十日、真夏日、晴天。


 大学生になり二度目の夏休み。その長い休暇の中、無理やり始めさせられたアルバイト。初めての体験に思ったよりも緊張していることを、直前になって自覚した。


 きっかけは親に急かされたことだった。大学生活が始まりあっという間に一年が過ぎ、惰性で過ごしたまま二年目を迎えた夏休み。卑屈と妄想癖と消極的な性格により碌な友達がいない俺は、毎日をスマホをいじりゲームをし本を読み、一人きりで過ごしていた。そんな状態で夏休みの半分を過ごしていた俺に、親が喰らわせた一撃。


「毎日毎日そんなだらだらして! バイトくらい始めたらどうなの。そうだ、前からいいと思ってたところがあって、ほら、わかるでしょう、駅前の。あそこがバイト募集してるの見て。あんたに決めさせたら碌なことにならないだろうから、そこでいいでしょ。お母さんが連絡するから、面接でも行ってきなさい。どうせ暇なんだから」


 アルバイトなぞ全くやりたくなんてなかったが、これ以上母親に迷惑をかけたくもなかった。せっかちな母によりとんとん拍子に話が進み、本当に取り付けられてしまった面接。拒否するつもりがあったわけではないが、生来のネガティブ気質と心配症がここにきて本領を発揮してきた。どうせ落ちるに決まっている。そもそも接客業が向いているタイプでもない根暗なのに、どうしてスーパーマーケットのバイトを受けようとしているのだろう。おかしい。来るべきではなかった。そもそもアルバイトなんて俺みたいなやつがやったらいけないだろう。迷惑をかけるだけだ、災害みたいなものだ。


 頭の中ではそんなことを思っているが、このままドタキャンして帰るような度胸はない。入ろう、入ろうと思いながら勇気が出ず入口の前でただソワソワするだけの不審者になっているが、幸い周囲に人影はなくまた入口から出てくる人もいない。しかしいずれ従業員が出てくる瞬間が訪れるだろうし、何より面接の時間が間近に迫っている。


 暑さが皮膚を焼く。肉体的にも精神的にもこのままでは死んでしまうと思い、意を決してドアを開く。空調のひんやりとした空気が伝った。入室後目に入ったのは左側にあるこじんまりとした受付カウンター。右側にある長机にはバインダーのようなものがいくつか置かれている。知らない場所の匂いがした。


「あら、いらっしゃい」


 優しそうな受付のおばちゃんに面接に来た事を伝えると少し待っていてくれと言われたので、そばにあった丸椅子に座って数分。バックヤードへと繋がっているらしい両開きの扉から出入りする人影は、みな見たことのある制服を着ていた。興味もなさそうにこちらを一瞥すると、忙しそうに階段を上っていく。自分は品出し担当希望だが、果たしてどんな人たちと仕事をすることになるのだろうか。そもそも面接に受かる気すらしないのだから、そんな夢想は不要だろうか。


「お待たせしてすみません。雨水さんですね」


 肩が跳ねる。声が聞こえて振り返ると、ぴしりとしたスーツを着た女性がいた。慌てて返事をする。


「あ、はい」


「本日はお越しいただきありがとうございます。早速ですが、面接室にお連れしますね。こちらへ」


 両開きのドアの横、左側にある階段を上り、廊下を進む。事務所と書かれた両開きの扉を開く女性に続いて入ると、しんとした空気が身を包んだ。備品ロッカー、何に使うのかもわからない機械、コピー機。初めて入る店の裏側の場所に、緊張しつつも少しだけテンションが上がっていた。スタッフオンリーと書かれたドアの向こう側がどうなっているのか、好奇心でドキドキしていた子供心を思い出す。


 すると、前から人が歩いてくるのが見えた。これまた皺一つないスーツを着た眼鏡の真面目そうな男性が、書類に目を落としながら歩いてくる。邪魔をしないよう小さくなって廊下を歩いていると、案内をしてくれている女性が挨拶をした。「お疲れ様です」


 男性が顔を上げ挨拶を返す。そうなれば、自然と後ろを歩く自分のことも視界に入るだろう。視線が交わる。と同時に思わず目を見開いた。——男性から幽霊の気配がする。それも特殊な……悪霊のような。このまま放っておいたら、男性の身が危ないかもしれない。思わず口を開きかけたが、過去の出来事が頭をよぎり口を閉ざした。


 普通の人は、悪霊が憑りついているなどと言われたら困ってしまうし気味悪がってしまう。それにこんなこと言ったって俺にはどうすることもできない。不快な思いはさせたくない。黙っていなければ。男性のことをじっと見つめてしまっていたことに気が付き俺は慌てて目をそらしたが、彼は横を通り過ぎようとせずその場に立ったまま。どうして通り過ぎないんだろう、何かしてしまったのだろうか。冷や汗が噴き出して額を伝う。


「こちらです。どうぞ」


 声をかけられハッとする。すぐそばの部屋へ女性が手のひらで入室を促していた。男性へぺこりと会釈をし、逃げるように慌てて入室する。


「奥のソファへどうぞ。……あれ、ないな。すみません、書類を忘れてしまったようで、取ってきます。座って待っていてくださって結構ですので」


 ぼうっとしている間に女性がパタパタと去っていった。言われた通りに恐る恐るソファに座る。ずっと心臓が鳴りっぱなしだったが少し落ち着くことができた。部屋を見渡すと、PCにたくさんの資料、ロッカー、書類が目に入る。


 きょろきょろとしていると、突然実感がわいた。俺、今、仕事をしに来たんだ。仕事をするためにここにいるんだ。瞬間、再び爆音で鳴り響く心臓。思わず着ている服を確かめる。汚れている箇所はないか、そもそもこの服で大丈夫なのか、ぼうっとしていたのは減点になるんじゃないか。もう手遅れだというのに今更焦りと絶望に苛まれていると、扉の開く音が聞こえる。女性が戻って来たのかと視線を向けると、そこにいたのは先ほど見かけた眼鏡の男性だった。


「あ、え、あれ……?」


「驚かせてしまってすみません。都合により面接担当が変更になりました。いきなりの変更となってしまい大変申し訳ありませんが、面接内容に変わりはありませんので」


「あ、ええと……俺は全然大丈夫です」


 嘘だ。本当は全く大丈夫ではない。見て見ぬふりをしようとした幽霊の気配が濃くなり俺は思わずぴくりと瞼を震わせた。


「良かったです。……それではまず自己紹介を。私はこの店の店長をしております八十八(やそはち)です。本日は面接にお越しいただきありがとうございます。いきなり店長が出てきて緊張されるでしょうが、私は新米店長なので、そこまで構えずにお話いただいて大丈夫ですよ」


 びっくりして思わず「え」と声が出た。どうやら店長自ら俺の面接をするらしい。眼鏡の奥の瞳が俺を安心させるように微笑んだ。微笑んでくれているのはありがたいが、そんないきなり店長と一対一で相対するなど全く予想していなかったため緊張が止まらない。ただでさえ会った時から罪悪感と気まずい思いを持て余していたのに、心臓の痛みが加速していく。そんな俺を置いて書類に目を通している店長は、黒髪をかっちりとセットした清潔感のある男性だった。店長になってからそこまで長くはないとのことだが、風格はばっちりある。社会人と聞いて想像する風貌そのものだった。ますますカチコチになった体をなんとか動かして口を開いた。


「あ、えっと、雨水 令(うすい れい)です。その、今日は貴重なお時間をいただきありがとうございます……」


「いえいえ。初めてのアルバイトに当店を選んでいただけて光栄です。……さて。これ以上お時間を取らせるわけにもいきませんし、手短にいきましょうか。まず契約内容についてですが、長期アルバイトで、週三日ですね。お間違いないですか?」


「あ、はい。大丈夫です」


「ありがとうございます。確認しました。……それで、いきなりで恐縮ですが、一つご提案がございまして。配属についてなのですが、……鮮魚、魚屋に興味はございませんか?」


「……はい?」


 店長さんの眼鏡の奥の瞳がじっと俺を見た。そこで違和感を覚える。先ほどまで悪霊の気配がすると思っていたが、そんなに悪意のあるものでもないような? いやでも確かに幽霊の気配がする。今までに会ったことのない気配。なんだろう、と頭の隅で考えながら説明を聞く。


 曰く、大学終わりの夜遅い時間——具体的には十八時時以降のシフトで人員募集をしているのが鮮魚しかないとのこと。社員さんが教えてくれるから魚の知識はなくて大丈夫、シフトの融通はききやすい、歳の近い人もいる……などと、メリットをあれこれ並べて俺に進めてくる。こんな俺を必死になって誘うくらい鮮魚には人がいないのだろうか。その必死そうな様子を見ていると段々と心が傾いてきてしまったもので、


「ええと、俺はその、鮮魚でも大丈夫です」


などと軽率に言ってしまった。その時は特にまあ、こだわりも無かったためしょうがないかと思っていたのだが、次に続いた言葉で後悔し始める。


「本当ですか? ありがとうございます。十八時以降のシフトですと遅番になるのですが、——かなり特殊な業務となっております。いくつか制約もあるのですがそれについては後日ご説明いたしますのでそのつもりで」


「え? あ……はい」


 特殊な業務? 制約?


 気になることはいくつもあったが、その場で冷静かつ端的に指摘できるような豪胆さは持ち合わせていない。不安な気持ちが増大したまま聞くその後の説明はほとんど頭に入らず、ただ流されるように自分の処遇が決まっていくのを見ているだけだった。

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