第17話 首藤操六、自殺未遂

   首藤操六氏の自殺未遂


 ある日の朝。

周明氏は廊下の慌しい足音で眼が覚める。

首藤氏がストレッチャーに載せられて運ばれて行く。

畑(婦長)、朝倉(看護婦)が必死に首藤氏に声を掛ける。


 「首藤さんッ! しっかりして下さい」

 「聞こえますか、首藤さんッ!」


周明氏がドアーを開け、


 「何か遭(ア)ったのですか?」


畑がストレッチャーを押しながら、


 「一週間、物を食べなかったんです」

 「助かりまか?」

 「分かりません」


ストレッチャーは、けたたましい足音と共に廊下を走り去る。

周明氏の声が廊下に響く。


 「死なせないで下さーいッ!」


岡田氏がその声が聞こえたのか病室の中から大声で叫ぶ。


 「捧げ筒~ッ! 貴様は良く戦った。天皇陛下、バンザ~イ!」


山田氏(患者)が突然ドアーを開けて、


 「うるさいわね! この気違いが」


杉浦氏もドアーをそっと開けて合掌。


 「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」


山田氏、


 「チン~。はい、行ってらっしゃい。良いわねえ、素敵な所に行けて」


神経質そうにドアーを閉める山田氏。


 「バン!」


岡田氏は相変わらず病室で怒鳴って居る。


 「死ね~ッ! 全員玉砕だーッ!」


突然、岡田氏が大声で歌い始める。


 「海行ば~、水浮く屍~、山行ば~、草むす屍・・・」


隣の病室から山田氏の怒鳴る声。


 「お黙りッ! 気狂いッ!」


周明氏は病棟の賑やかさに呆れて、ドアーをそっと閉める。

座禅を組み直し、また瞑想にふける。


 処置室。

西丸が首藤氏の寝ている様な顔を見て、


 「・・・呼吸は停止しているようだな」


朝倉が,


 「はい」

 「脈は?」

 「脈も停止しておりました」


西丸は首藤氏の頚動脈に指を添えながら、


 「絶食してから何日目だ?」

 「ちょうど一週間です」

 「・・・ダメかもしれないな」


 陽も昇って病院の屋根には、いつも見る雀が雛(ヒナ)に餌を与えて居る。

病棟も朝食の時間である。

朝倉が周明氏の部屋に朝食を運んで来る。


 「失礼します。朝食をお持ちしました」

 「おッ、ご苦労様」


朝倉はアルミのトレイに載せた四品を、畳みの上に置く。


 「あの患者は回復しましたか」

 「ああ、首藤さんですか? 点滴を打ったら回復しましたよ」

 「それは良かった」

 「それが・・・、本人は不満らしいんです」

 「不満? やっぱり死にたかったのですか」

 「そうなんです。もう、これ以上病院から自殺者を出したくないですわ」


周明氏は驚いて、朝倉を見る。


 「そんなに居るのですか・・・」

 「昨年は女子と男子で12名でした。そのほか、他殺が2名」

 「他殺?」

 「錯乱状態で患者が患者を殺してしまうんです」


周明氏は深くため息を吐(ツ)き、


 「あの患者はなぜ死にたくなったんでしょう・・・」

 「さあ、先日珍しく首藤さんにお手紙が届いたんです。その日から絶食し始めたんです」

 「ほう・・・」

 「何しろ首藤さんは、言葉を忘れた患者さんですから」

 「言葉を忘れた?」

 「そうです。ビルマ戦線に従軍した後、少しおかしく成って、終戦から本格的に症状が現れたのです。院長が首藤さんの大切にしている軍隊手帳を見たらしいんです。そこに『木村兵太郎』と云う上官の悪口が沢山、書いてあったと言ってました。相当、怨(ウラ)んでいた様です」

 「木村兵太郎?・・・法廷で私の斜め前に座っていた戦犯だ」

 「ああ、きっとその方です。首藤さんは当時はすごく偉い兵隊さんだったらしいんです。ある日、ビルマのなんとか云う河の近くで、精一杯戦っていた時、一番偉い上官の木村さんと云う方が女性と逃げちゃったらしいんです。どうも、発病の原因はその辺にあるみたいなんです」


周明氏の表情がこわばる。


 「それが原因で・・・」

 「えッ? それがぁ・・・そうでもない様なんです」

 「そうでもない?」

 「あの手紙の中に爪と髪の毛が入っていて、それが関係しているんじゃないかと院長がおっしゃっていました」

 「爪と手紙が入っていた?!」

 「ええ。詳しい事は大川さんの方から院長に聞いて下さい。それじゃッ、失礼します。あッ、血圧の薬は忘れずに飲んで下さいね」


朝倉が部屋を出て行く。


 「参 考」

木村兵太郎とは「中将・後に極東裁判で絞死刑・いい加減の極みの『御仁』であった」


内とは「家内または妻の事である」

                          つづく

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