長編小説『松澤病院のA級戦犯』
土屋寛文(サルバドール・土屋)
第1話 東條の頭を叩いた男
東條の頭を叩いた男
1946・05・03(昭和二一年五月三日)
被告 大川周明(A級戦犯)
罪状 人道に対する罪
大川周明
「日本(国粋)主義 亜細亜主義 統制経済主義 を唱道し、日本を戦争に導いた民間で、ただ一人の思想犯(宗教家)である」
市ヶ谷特設法廷
二八名のA級戦犯と目(モク)された男達が一堂に会す。
中央、最後部の被告人席に『奇妙な姿の男』が座っている。
その男は・・・。
『水色のパジャマ』を纏(マト)って「下駄(ゲタ)」を履いていた。
男は貧乏揺すりをしながら、落ち着かない様子である。
突然パジャマを脱ぐ仕草をする男。
MPがそれを見て、慌てて男を制止する。
男の目の前にはあの『東條英機』が座って居る。
東条は後ろの座席が騒がしいので、チラッと振り向く。
後ろのパジャマの男は頬を膨らませ、東條を睨(ニラ)む。
判事のウエップは延々と長たらしい判決文を読み続けている。
静まり返った法廷に響き渡る、ウエップの品の良い声。
法廷に、もう一つの奇妙な音が響く。
「カタカタカタ・・・」
下駄の音である。
パジャマの男が貧乏揺すりをしているのである
音は時計の秒針のように法廷に響いている。
突然、
「パチン!」
また、奇妙な「音」が静まり返った法廷内に響く。
ウエップ判事は判決文を読むのを止め、老眼鏡を下げて「音」の方向を見る。
MPが『パジャマの男』の両肩を押さえ込んでいる。
東條が苦笑している。
ウエップ判事は咳払いをして、また判決文を読み始める。
すると、
「パチン! パチン! パチン!」
パジャマの男は東條の坊主頭を更に平手で数回叩く。
東條は振り向いて、きつい目で男を睨(ニラ)む。
ウエップ判事は机の上の木槌(キズチ)を力強く叩く。
「カン、カン」
乾いた音が法廷に響く。
ウエップが、
「サイレン!」
このパジャマの男こそ、この小説の主役、
『A級戦犯 大川周明氏』
である。
ウエップ判事は日本語で、
「アナタは、神聖な法廷で何をしたのか判っていますか?」
周明氏は甲高い声(地声)を張り上る。
「さあ、私は何をしたのでしょう。アナタには分かりますか?」
ウエップ判事の表情が険(ケワ)しくなる。
「これは、アナタに聞いているのです!」
声を荒げるウエップ。
周明氏も、
「私も、アナタに聞いているのです」
ウエップ、
「今、私達は、あなた達に聞く立場に在ります。日本は戦争に負けたのです」
周明氏、
「それでは、私が何を答えても無駄です。何をしたかも言う必要はありません。このような『茶番劇』では私の役は有りません!」
ウエップ、
「では、あなたは最後に言い残す言葉はありますか?」
周明氏はウエップ判事をバカにする様に、
「アイシンク・・・、インダー コメンジー! ザ アメリカン デプライブドオブ ザ インディアン ライフ! ヘイ、カウボーイ! ディス コート イズ コメディー! バカヤロー! ヒヤッホ~! ハハハハ」
ウエップ判事の堪忍袋の緒が切れる。
「黙りなさい! 彼を法廷から出しなさい!」
「アイアム カウボーイ! ベイブルース! インダー、コメンジー! ユウアー エンマ(閻魔)キング!」
法廷が徐々に爆笑の渦に変わる。
ウエップは呆(アキ)れて、
「Oh No、男を早く黙らせなさい。十五分休廷!」
二人のMPが周明氏の両腕を抱えて法廷の外に連れ出す。
下駄の音がけたたましく廊下に響き渡る。
廊下で騒ぎまくる男いる。
「触るな~、ヤンキー!」
法廷付きの米医務官が一喝する。
「シャラップ!」
医務官は男の腕に鎮静剤を注射する。
「何をするかッ! 無礼者」
男は救急車に乗せられ『巣鴨プリズン』に身柄を送検されて行く。
『人道に対する犯罪者』
極東国際軍事裁判所 条例から(D,マッカーサーGHQ最高司令官布告)
戦争犯罪者 A級戦犯者 二八名
罪 名 「人道に対する罪」
絞首刑者 七名
「※東条英機・板垣征四郎・広田弘毅・土肥原賢二・木村平太郎・武藤章・松井石根」
終身刑者 十六名
「荒木貞夫・梅津美治郎・大島 浩・岡 敬純・賀屋興宣・木戸幸一・小磯国昭(獄中病死)・佐藤賢了・嶋田繁太郎・白鳥敏夫・鈴木貞一・南 次郎・橋本欣五郎・畑俊六・平沼騏一郎・※星野直樹」
有期禁固刑 二名
「重光 葵・東郷茂徳」
判決前病死 二名
「永野修身・※松岡洋右」
A級戦犯(訴追免除)
「大川周明氏(梅毒性精神障害)・※岸 伸介」
※ 弐キ参スケ(満州三角同盟)
東條英機(死刑)
星野直樹(釈放)
松岡洋右(山口県・病死)
鮎川義介(山口県・不起訴)
岸 信介(山口県・不起訴)
安倍晋三(山口県・死亡)
周明氏的表現から(重要である)
「世間では私が東条君に対する公私の憤りから彼の額を打ったのだと誤解して居者が多い。なるほど以前は東条君と私の間に衝突も対立もあったが、それは過ぎ去ったこと。今この軍事裁判に袂を列ねて立った以上、死なば諸共の戦友である。往年吾々が偕に酒を酌んで酔いを発すれば、男性的愛撫と唱えて互いに頭を打ち合う習わしがあった。私は久し振りでこの男性的愛撫を東條君に加えただけであり、東條君も吾意を拾ってか、莞爾(意味・ニコヤカに)として振り返って私を見て居た。私は此の時までこの事を明瞭に記憶して居るが、法廷での其後の言動についての記憶は曖昧模糊としている。唯だ控室で スターズ・エンド・ストライブスの記者が、明日の新聞に載せたいからと言って東條君の禿頭に似た額の米人を連れて来て、あの時のようにやってくれと頼むので、「よし、よし」と承知して写真を撮らせた覚えがある。私が目を覚ました時は、巣鴨プリズンの独居房に移されて居た。催眠剤を注射して私が眠って居る間に、法廷から運んで来たのであろう」 (文芸春秋昭和24年臨時増刊から)
精神科医の所見から(気に成る表現)
一、「酔いを発すれば、男性的愛撫と唱えて互いに頭を打ち合う習わし?」
二、「東條君も吾意を拾ってか、莞爾(ニコヤカ)にとして振り返って私を見ていた?」
三、「法廷での其の後の言動についての記憶は曖昧模糊(無茶苦茶)」
『巣鴨プリズン』
独居房に「男」が寝ている。
MPが二人、「覗き窓」から男を見ている。
男は急にフトンを蹴って起き上がる。
しばらく頭部を回し、突然、正座をする。
そして、大きな目を見開いて「覗き窓」を睨む。
と、何か独り言を言い始める。
「経」を唱えているのである。
MPの二人は「覗き窓」の向こうで顔を見合す。
「He became mad !(気違いに成ったンだ)」
「Sure ? Oh my God・・・(ええ? 可哀そうに)」
男は暫くすると床を立って、愛用の「水色のパジャマ」のズボンを下ろし、「小用(小便)」を始める。
若いMPの将校が、しっかりとした歩調で廊下を歩いて来る。
足音が止まる。
MPの二人は将校に敬礼をする。
将校が鍵を開ける。
施錠を解く音が廊下に響く。
冷たい鉄格子のドアーが開く。
若い将校は男を見て、
「ミスター オオカワ! デナサイ。アナタハ、特別ナ部屋ニ、カワッテモライマス」
周明氏の怪訝な顔。
二人のMPが周明氏の肩を掴み、
「Come on ! Hurry up !(出ろ! 早く!)」
「触るな! 異端者」
「You have gone mad !(来い、気違い!)」
「マッド? ・・・私は気違いか」
周明氏は大声で経を唱える。
「般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行・・・」
将校が、
「シャラップ! シズカニシナサイ!」
周明氏は怒り、
「スリッパを履かせなさい! スリッパを!」
「ダマリナサイ! アナタニハ、スリッパナド、イラナイ!」
向かいの房から『広田弘毅』が覗き窓から周明氏を見て合掌している。
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