通りに面した四階建ての雑居ビル。その一階が灰の店である。


扉を押し開けると高らかにベルが鳴り響く。無数のランタンが天井からぶら下がっている。背の高い棚が壁を埋めていて、書籍や缶や瓶がひしめくように並んでいた。棚に収まりきらなかったものが、机や椅子に積み上げられている。

もともとの広さがわからないほど雑多な店内だった。煙草と薬品の匂いが混じりあった独特な香りが漂っている。


「ちょっと手、洗ってくる」


となりを見るとそこにいるはずの青年の姿がなかった。


白蓮びゃくれん?」


「ここだよ」


声がした方を見る。青年は薬瓶が並んだ戸棚の前にいた。

青みがかった黒髪で、頬にかかる髪を耳にかけている。タータンチェックのスリーピーススーツを着ていて立ち姿は凛としている。


「あぁ、わりぃ。小さいもんだから見失ってた」


灰はそばに戻ってきた白蓮をこれみよがしに見下ろす。背の高さをひけらかしてにやにやと笑う灰の、肩口あたりの高さから呆れた視線が飛んでくる。


「折角高いところに目があるんだから、しっかり周りを見回せよ」


そう言って白蓮は友人の尻を引っ叩いた。


「さっさと手を洗ってこい」


「わははは」


カウンターの奥に引っ込んで洗面所に入った。蛇口から勢いよく流れる水の音に紛れて、青年の声が聞こえてくる。


「転がっていたのは縞蛇会しまへびかいのやつか。たしか東区の娼館を任されていた男だった」


背中を丸めて壁にかかった鏡を覗き込む。背が高い灰には鏡の位置が低すぎた。

頬についた血を拭う。


「ただの馬鹿だ。売り物の女にほだされて足抜けに失敗したうすらとんかち」


裏口の方から物音がしている。男の死体を、従業員たちが出荷に適した形に処理している音だ。


「そういう話はもう飽和してるんだよなぁ。酒のさかなにもならないよ」


白蓮のその言い草に、鏡に映る灰が鼻を鳴らして笑う。

玉暖簾たまのれんをくぐって店に戻る。

客人はカウンター前に置かれた安楽椅子に座っていた。我が物顔で優雅に足を組んでいる。


「死体はいくらで売れた?」


灰は顎に手を添えて、わざとらしく肩を竦めてみせた。


「えーどうしよっかなー。この情報、いくらで売ってあげよっかなー」


「ただの挨拶に金払うわけないだろ」


「ンだよクソが」


悪態を聞いた白蓮は声を出して笑った。


「拗ねるなよ。今日は別の情報を買いに来たんだからさ」


そう言って組んでいた足を解いた。肘置きに腕を置いて、口の端に笑みを浮かべて灰を見上げる。


「今月扱った商材のなかに、孔雀組くじゃくぐみの構成員は何人いたか教えて欲しい」


「孔雀組かァ」


安楽椅子のそばの黒檀こくたんの丸机に浅く腰かける。首を傾けて視線を斜め上あたりへ向ける。天井から下がるランタンを眺めながら記憶を思い返した。


「四人だな」


「生体?」


「あー、一人だけ死んでた。あとは生きてたかな」


「納品先は?」


それを尋ねられた瞬間、灰はギロリと相手を睨みつけた。まるで刃物のような剣呑けんのんな視線を突き付ける。腹の底から発する低い声で恫喝どうかつする。


「客は売れねぇ。さすがにお前でもそれは踏み込み過ぎだ」


「ごめん」


白蓮は素直に謝った。

怒気をまとった灰を前にしても、青年の表情は柔らかい笑みを浮かべている。


「どうにかしてポロっとこぼさないかなって思ったら、口から出ちゃった」


「お前がこぼすな」


灰は大きくため息をついてみせた。


「お前じゃなかったら頭カチ割って商材にしてた」


「友達で良かった」


白蓮は懐から封筒を取り出した。膨らんだ封筒を受け取った灰は、なかに入っている紙幣を数えると自身の懐に仕舞う。


「それと、こっちはうちのボスから」


黒檀の机に並べられたのは、そこらの店には置かれていない高級煙草だった。

灰は目を輝かせ、ご機嫌に声を弾ませる。


「うわー、ありがてぇ! 親父さんによろしく伝えといてくれ」


さっそく一箱封を切り、取り出した煙草を咥えた。白蓮が机に置いてあったライターに火をつける。友人から火をもらい、煙をふぅと吐き出した。

広がっていく紫煙はほのかに甘い香りがする。


「やっぱり、さっき渋った情報売っちゃおうっかなー」


にやにやと笑いながら白蓮を見下ろすと、相手は鼻を鳴らして呆れたように笑う。


「そんな気ないくせに。なにかの意趣返しのつもりか?」


紫煙と煙草の香りが広がっていく。白蓮は机の灰皿を灰のそばに引き寄せた。


「きみはきっと拷問を受けたって一言も吐かないよ。自分の矜持きょうじに反すればその途端、自分自身に失望して自殺する。お気に入りの煙草を貰ったぐらいじゃ売ってこないだろ」


「そんなご立派な人間じゃねぇよ」


「我が強いとは言ったが立派とは言っていない」


「クソが」


悪態とともに煙を吐き出す。灰皿に灰を落としながら、言葉を続けた。


「自分の命が一番大事だ。殺されるぐらいならとっととゲロする。ヘドロから生まれたような根っからの腐ったクソ野郎なんでね」


「この街で生まれ育った人間は皆そう。私もそう。有象無象もれなく腐り散らかしている」


「じゃあべつに俺は普通か」


「でも、きみは他より頭一つ分背が高いからその分余計にクソかも知れない」


「根に持ってんな。さっき身長いじったこと」


店の前の通りからは行きかう人々の話声や、バイクや車の走行音が聞こえてくる。


走ってきた車が店先で停車した。

灰と白蓮は会話を止めて耳を澄ませる。車のエンジンはかかったままで、降りて来たのは複数人だと物音から推測する。連なった足音が店に向かって近づいてくる。


扉が乱暴に蹴り開けられた。ドアベルが警報のように激しく鳴った。

乗り込んできたのは五人の男たちだった。横柄な足取りで店内に入って来ると、開け放った扉の前に広がった。

男たちは灰と白蓮に向かってサブマシンガンを構えた。

一斉にトリガーが引かれる。


けたたましい銃声があたりを呑み込んだ。

乱射された銃弾がカウンターや壁を抉る。天井から吊り下がるランタンが横薙ぎに撃ち落され、戸棚のガラス戸や瓶を粉砕していく。

鉢植えが割れて観葉植物が倒れ込む。家具やランタンの残骸が散乱した床に、さらに土が散らばった。


それらの物音をすべて押し流す銃声。

店内に充満する硝煙と土煙。脳が痺れるような火薬の匂い。

数と火力による一方的な暴力。広範囲への執拗な掃射。

容赦のない攻撃を受けて、店は無残な惨状となっていた。

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