第29話 足止め
「なりません、ジーク様。今は領政に心を砕くときです」
「え……やっぱり難しいかな」
フォローをした事業がうまく回り始め、ようやく黒字化の目途が立った。フロイエン家の私財から放出した投資分も冒険者としての稼ぎで何とか補填した。あとは王都へ行ってイザベラとロザリアに会えば――そう考えての駿の上京希望はカタリーナに即時却下された。
「ジーク様のお気持ちは重々承知しております。しかし今、御身がここ領都グラディオンから離れては、折角、下々の士気が上がっているところに水を差す結果となります」
「そうだよな。やる気がある時に引っ張ってた上司がいなくなったら不安になるよな」
駿はジークフリートとの約束を守りたかった。さっさと王都へ赴いて彼の妻子を連れ戻すための説得をしたかった。しかしここは異世界。現代日本のように数十キロ先を小一時間で訪問できる利便性はなく、仮に貴族が上京するともなれば大名行列よろしく諸々の準備が必要となる。連絡ひとつとっても手紙で数日かかるのだ。
冒険者稼業のようにこっそり抜け出せばとも考えたが、長期間不在となってしまうため、まだ不安定な領政を執事ゲルハルトだけに任せるわけにはいかなかった。
「ご安心ください、手配した密偵より報告がございました。お嬢様へ無事に手紙を届け、
「そうか! 良かった、ロザリアが他の人を侮辱したり貶めたりしていなければ良いんだ」
『輝聖のアルマリア』の本編が始まったことに焦っていた駿は、とにかくロザリアの行動を変容しようとカタリーナに頼んで密偵を手配してもらった。フロイエン家の“鷹の爪”という諜報部隊から抜擢された者をロザリアの侍女として送り出したのだ。その密偵には彼女が悪役令嬢化しないよう、駿自らが記した注意書きを持たせた。
カタリーナの報告は、それが無事ロザリアの手に渡ったという話だ。今の時期にトラブルがないという報告が来たのだから、きっと悪役令嬢化は阻止できているのだろう。
「焦らず、このグラディオンを治めましょう。私も親身に支援申し上げますから」
それなら領政をもう少し安定させてからでも良いか――そう考えたところ、コツ、コツ、コツと独特の靴音が廊下に響いた。
「失礼いたします、旦那様」
「どうした」
一礼をして、老執事ゲルハルトが告げる。
「休憩時間に申し訳ございません、急ぎ報告がございました。領内、ランブロワ男爵家とグラーネル子爵家の間で抗争の気配がございます。どうやら渇水問題で水源の争いが火種の様子です」
「抗争!?」
「それからセルリカの街で疫病が流行っているとの報告がございました。接触した者が次々と感染し、高熱を出し動けなくなり、喀血して衰弱していくという奇病にございます。原因不明のため大騒ぎになっております」
「疫病!?」
「今ひとつ。エリュシオンの大森林より、再び魔物が溢れ出る兆候がございます。同じくセルリカの街より報告がございました。疫病で対処が難しく冒険者ギルドより応援要請が届いております」
「……! 分かった、善後策を検討する。下がれ」
矢継ぎ早の報告に絶句した駿は、動揺を晒さぬうちにゲルハルトを下がらせると頭を抱えた。こんな状況ではとても王都どころではない。領民を見殺しになんてできないのだから。カタリーナの言う通りだった、行かなくて良かったと思った。
だが駿は自分ひとりでこれらを解決できる気がしない。これまではカタリーナに頼り切りで何とかここまで来たが、もう4か月も彼女を居候させている。いくら独身令嬢で本人の意思だとしてもやり過ぎだろう。しかし、背に腹は代えられない。
「カティ……長居してもらっておいて、それもずっと助けて貰っていて本当に申し訳ないんだけど、まだしばらく力を貸してくれないか? レーベン侯爵には連絡を入れておくから」
「何を仰いますかジーク様。私は御身の半身、いつでもお傍にございます。どうぞお好きにお命じなさってください。長らくご無沙汰なのでしたら夜伽でも構いません」
「よ、夜伽!? おい、淑女が冗談で口にする言葉じゃないぞ」
「うふふ、私は本心で申しておりますわ。ジーク様の逞しいお身体でお情けをいただきたいです……」
妖艶に微笑みそっと抱き着いて来るカタリーナに駿は慌てる。本気で言っているように見えるからこそ、余計にぞわりとした。こうも彼女に依存して借りを積み重ねてしまっていると本気で引き返せなくなってしまう。どこかで彼女との関係を線引きし、清算しなければ――駿はもうひとつの大きな課題を抱えていることに気が遠くなった。
そんな慌てる駿の様子にカタリーナは僅かに笑みを浮かべていた。
夜。王都ルクスリアの平民街にあるヴァイス邸宅。ロザリアは腰に手を当てて、目の前に這いつくばるメイドに雷を落としていた。
「貴女……ただのドジなメイドではございませんわね? どうしてわたくしの邪魔をしたのかお話いただけるかしら」
「ひぃぃ! 許してくださいぃぃぃ!! 華麗に間違っただけですぅぅぅ!!」
カミラがしでかした失態を指折りに論い、ただの偶然での誤りでないことを指摘すると、そのメイドは平身低頭して許しを請うていた。
「このままエルモンド御爺様へ身柄を受け渡しても良いのですが……」
「そ、それだけはご勘弁をぉぉぉ!! 魔物の餌にされちゃいますぅぅぅ!!」
扇子で口元を隠して思わせぶりに語るロザリアに、何度も床へ頭をぶつけて謝意を示すカミラ。実はカミラは怪しまれた時点で逃げ出そうとしたのだが、華麗に回り込んだロザリアに剣を突き付けられ降伏したのだ。
「ふん。口では幾らでも言い訳できますわ。暗部の者は拷問にも耐性を持つと聞きます。耳を削ぎ落し、指を切断していけば少しは素直になるのでしょうか」
「あああ、あたしはぁ、もう十分に素直ですぅぅぅ!! 今なら明日食べる晩御飯も答えますぅぅぅ!! ごめんなさいぃぃ、許してくださいぃぃぃ!!!」
絶叫してゴンゴンと額で床を打ち据える音にうんざりしたロザリアは、剣を首に添えてカミラの動きを制する。ぴたりと刃を添えられて、ひっ、と息が詰まるカミラ。
「ではお答えなさい。貴女は誰の指示を受けてわたくしの傍仕えとなったのですか」
「レ、レ、レ……!?」
「レレレ?」
つい依頼主を口にしようとして、慌てて手で口を塞ぐカミラ。ロザリアは妖しく微笑むと剣をその手に添えて口から外させた。カミラは絶望の色を浮かべた。
「ほら、おドジなメイドさん。わたくしの気はそう長くございませんわよ」
「レ……レーベン侯爵令嬢様に……ロザリアお嬢様の
「レーベン? カタリーナお姉様が? 一体どうして“鷹の爪”に……」
学園生活に入り3か月。母イザベラを慮ってフロイエン家とは連絡を断っていたロザリア。確かに状況は把握していなかったが、フロイエンの隣領レーベン家令嬢、それも父ジークフリートと同年代の女性がフロイエンにいるとは穏やかではない。
そして、カタリーナが指示をしたということは、父が自分へと間諜を向けたということだろう。ロザリアは父が一体何をやっているのかと疑念を抱いた。
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