第27話 鷹の爪 カミラ
すべての原因はあのエリスという平民の女にある。王太子殿下を狂わせるあの女をこの学院に在籍させていては、王太子に、引いてはルクスリア王国の行く末に影響が出てしまう。でも殿下をどうやってお止めすれば良いの? わたくしの言葉さえ、もう殿下には届かない。一体、どうすれば良いの?
ロザリアは必死に考えた。ソルア神聖学院は学問の自由を謳うため王国政界からは治外法権に近い。ゆえに貴族としての権力を使うことができない。でもわたくしはレグナス陛下のお言葉を預かっている身。自由奔放を愛するアレクシス殿下が誤った方向へ進まぬよう、わたくしが動くしかないの。どんな泥を被ったとしても――その彼女の決意は、まさに原作『輝聖のアルマリア』の物語に沿った、悪役令嬢ロザリアとしての行動の始まりでもあった。
「これがフロイエン辺境伯様から預かった手紙でーす」
「……確かにお父様の封蝋ですわね」
ロザリアは差し出された手紙を読んだ。内容はフロイエン家の侍女としてこのメイドを傍に置くようにという、父ジークフリートの指示であった。そして、学院内ではトラブルなきよう学生同士仲良くするようにと、まるで子供に言い聞かせるような説教が書いてあった。
どうして今頃、こんな幼稚な注意事項を? 何か家同士の関係で動きがあるというのかしら? ロザリアは父の意図を測りかねた。ヴァイス家とフロイエン家の不仲は噂になっているが、メイド一人、傍に置いたところで何が変わるわけでもない。ロザリアが学院で問題と思っているのは王太子とあの平民の女のことだけだ。
正直、祖父エルモンドにより過剰なくらいに手配されているので侍女や護衛は足りている。不要な……こんな無礼そうな軽薄な者を置いておくほど屋敷も広くない。それに父と母の不仲の件もあり角が立つかもしれない、彼女はそう考えて断ろうとして、しかし思い留まった。
「貴女、名前はなんておっしゃるの?」
「あたしはカミラって言いまーす」
「カミラ……“鷹の爪”の者ですか」
ロザリアはその名を耳にしたことがあった。“鷹の爪”――フロイエン家の諜報を司る者たち。つまり、このカミラと名乗るメイドは何かしらの使命を帯びてロザリアの元へやって来たということだ。
「どのような指示を受けていらしたのですか」
「えーとですねぇ。お嬢様の学院生活を
身分を明かしても具体的な話さない。引っかかるところはあったが、今はヴァイス家の息のかかっていない者のほうがロザリアには信用ができた。どうも祖父に監視されている感じがして気持ち悪いのだ。
「では当面、学院滞在時に傍仕えとして同行なさい。わたくしの指示にはしっかりと従うこと。良いですわね」
「はーい」
「その軽薄な物言いは何とかなりませんの?」
「えー? あたし、いつもこんな調子ですよぉ? ゲルハルト様も許してくれますしぃ」
アレクシスよりも奔放な言葉遣いと態度に苛立ちを覚えたロザリアだったが、それを理由にただの無礼な者として切ることも容易だと思い直した。そう、仮に粗相があったとして祖父の知らぬところ。ならば存分に役に立ってもらおう。ロザリアは小柄で軽薄そうな赤髪メイドに期待を寄せた。
――ざわざわざわ
昼時、ロザリアがソルア神聖学院の食堂へ足を運ぶと人だかりができていた。その者たちはロザリアの姿を見つけると駆け寄って来た。
「どうしたというのです」
「ロザリア様、平民は食堂を利用するなという意味でしょうか」
訴えて来たのは平民と懇意な下級貴族たち。見れば、食堂の一角が『予約席! 貴族専用でーす』という可愛らしい文字で作られたプレートが無数に置かれていた。
「これでは平民たちが食べるスペースがありません」
下級貴族から苦情を受けたロザリア。周囲には平民たち。困惑したエリスの姿もあった。どうやらこのプレートを置いた者が上位貴族の場合、不敬に値するため誰も手が出せないでいたようだ。ロザリアは隣でしたり顔をしている小柄なメイドに囁いた。
(カミラ。これは……)
(ご指示通り、平民女エリスの座る場所を無くしちゃいましたー! 完璧です! っいて!?)
ロザリアは軽く眩暈がした。溜息をつくと、胸を張るメイドを扇子で小突いて声をあげた。
「……皆様、どうやら心無い者が嫌がらせをしているようですわ。私の権限でその席を解放いたしましょう」
(ええー、折角置いたのに止めちゃうんで……おほぉ!?)
その不満に再度、扇子の殴打で返事をしたロザリアは、カミラに置いてあるプレートの回収をさせた。昼食のお預けをくらっていた皆が歓声をあげ、口々にロザリアに礼を言って席へ向かっていった。
「ロザリア、ありがと!」
「……上位身分の者へは口を慎みなさい。貴女のためではありません。秩序を保つためです」
笑顔で直接に礼を言うエリスに、ロザリアは居心地の悪さを感じた。
「ええ!? どうしてこんなになってるの!!」
エリスの悲壮な声に皆が注目した。見れば小柄な練習用ドレスが絵の具や墨でぐちゃぐちゃになっていた。
「ひどい……これじゃ、授業に出られないわ」
突然のことに落ち込むエリスだが、女子生徒たちは彼女がアレクシスを筆頭とする上位貴族と懇意であることを知っているので、それが誰かの嫉妬や報復であると悟っていた。ゆえにとばっちりを恐れ、慰めなどの声も掛けられず遠巻きに見るばかりであった。
(……カミラ)
(今度こそ完璧ですぅ! 見てください、サイズを小さくして着にくくしただけじゃなくてー、可愛くカラフルに染めてあげたんでーす! 恥ずかしすぎて着れま……あいたぁ!?)
(サイズ違いでみすぼらしい様子を貶めるという話でしたでしょう! あれではダンス以前の問題ではありませんか)
小突かれたカミラが頭を抱える姿を隠すようにロザリアは前へ歩み出た。
「……陰湿な悪戯をする者もいるようですわね」
「見てよ、ロザリア。酷いよね、これ」
「平民は口を慎みなさい。わたくしに話しかけられる身分ではなくてよ」
ロザリアはエリスの訴えに冷たく睨み返した。
「しかし、学園の風紀が乱れ、良からぬ風聞が広がるのはよろしくございません。カミラ」
「はーい、お嬢様」
「彼女に合うドレスを用立てなさい」
(え?
(っ! わたくしの指示に従いなさい!)
(ひめ゛ぇ!)
再度、扇子がカミラの顔面を直撃する。泣き面になったカミラは走ってドレスを取りに行った。
「ドレスが準備できず見学など学院が笑いものになりますわ。貴女もお気をつけなさい」
「あ、ありがとう、ロザリア! 助かるよ!」
「……犯罪被害の救済も風紀を保つためですわ。貴女のためではありません」
感激して近寄って来るエリスから距離を取りながら、ロザリアはぷいと顔を背けた。
「ロザリア、ちょうど良かった」
「どういたしましたか、殿下」
ある日の放課後、珍しくアレクシスが一人でロザリアに話しかけた。あの女を連れていないということは、少しは
「エリスのことだ。お前も最近、流れている噂は聞いたことがあるだろう」
「……言葉にするのも憚られますが、“下賤な女”という噂でしょうか」
ようやくあの女の本質に気付いてくださったのかしら、とロザリアは内心、アレクシスの言葉に期待した。
「いいや、もっと酷いものだ。お前は許せるか? “家族が犯罪者で入学に相応しくない”とか、“魔族の血が流れている”とか、“病欠した生徒は彼女に毒を盛られた”とか……」
「……はい?」
王太子から語られる噂はロザリアの想像を超えていた。
「“男に身体を売って学費を免除してもらっている”、“王太子に夜這いをかけて誘惑した”、ほかにも……」
「お、お待ちください! それ以上は口にしてはなりません、殿下!」
王太子が口にするにはあまりに下劣過ぎてロザリアは慌てて止めた。ちらりと後ろを見ればカミラが得意満面になっていた。
「……殿下、それらはあまりに根も葉もない噂でしょう。平民が学院へ入学するには相応の身辺調査が入ります故、身分や素性に疑いはございません。学費に関しましても平民は免除されております。病欠の件も、わたくしの知る限りではお休みになられたエーベルハルト男爵令嬢は風邪であったはずですわ」
「そうだよな、俺もおかしいと思っていた。やはりエリスを貶めるための噂か!」
ロザリアが噂を否定すると、我が意を得たとばかりに憤るアレクシス。お気に入りの女を守るのであれば、もう少し自分で考えてほしいとぼやきそうになってしまう。
「……カミラ」
「はーい。どうしましたか、お嬢様」
「すぐに噂を鎮めるよう手配なさい」
(ええ、鎮めちゃうん……あぴゃぁ!?)
一瞬、不満顔を浮かべそうになったカミラの鳩尾をロザリアの扇子が直撃した。
(従者は従者らしく、黙って主の言葉を実行なさい)
ひどいですぅ、と呻きながらカミラは駆けて行った。その後ろ姿にロザリアは溜息をつく。
「ロザリア、恩に着る。エリスのことには協力してくれないと思ったぞ」
「学園の品格に関わる問題でございます。捨て置けるものではございませんでしたので」
ロザリアは思った。こうもマッチポンプになってしまっては居た堪れない。カミラとはじっくり話をする必要がある、と。
――以上、半月に渡り、ご指示どおりロザリア様の
深夜、フロイエンの客間でカミラからの魔導通信による打文に目を通したカタリーナは、くしゃりと紙を握り潰し、ひとり口角を上げた。
(これであの娘の立場も無くなっていることでしょう)
カタリーナがジークフリートより頼まれたのは、ロザリアの学院での居場所作りを支援すること。だがカタリーナにとってヴァイスとの繋がりは唾棄すべき事項であったため、“鷹の爪”を送り込み、ジークフリートの希望とは真逆の指示をしたのだ。
予定通りことが進んでいることに満足したカタリーナは次の一手を考える。あとはジークフリートが王都へ行かなければ縁も自然と切れるだろう。
「……ああ、ジーク様。何がありましてもカティがお傍におりますわ」
カタリーナは彼にもうすぐ手が届きそうだという事実に、胸を両手で抑え夜空を仰いだ。
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