第25話 凋落
大陸の中央に位置する大国ルクスリアは王政であり、当然に身分が人間関係を支配している。貴族は世襲制を取り、その血で力を継承していた。王国は、知識を以て国政を支える賢人の文官に「ド」の称号を、武力を以て国境を守る武官に「オブ」の称号を、魔力を以て国に貢献する魔導官に「ダ」の称号を与えた。それらは血が受け継ぐ力を示し、同時に国を支える貴族の矜持を意味するものでもあった。
「ではこの例のような貧民への対策として考えられる案がある者は?」
ソルア神聖学院の政策実践授業。幾人かの貴族が「教会で炊き出しをする」「貧民街を清掃する」と無難な案を挙げていく中、勢いよく手を挙げた女子生徒がいた。
「貧民街に学校を作り無償で教育を施したら良いと思うの」
その丁寧語で発言もできないエリスの突拍子もない内容に周囲から失笑が漏れた。教会以外の場所へ施設を作れば貧民街の者たちが暴動を起こし荒れ果ててしまうことは、過去の実績から周知の事実であった。仮に実現しようと思うなら警備のための膨大な予算が必要となる。
「どうして笑うの? 平民にも賢い人はいる。教育を受ければもっと出来ることが増えるもの、国が豊かになるわ」
その幼稚な理想論に誰しも呆れた様子を見せたが、考え込んでいたプラチナブロンドの整った髪をした男子学生が手を挙げた。
「リディアン・ド・ヴァルドラ君。何か意見があるかね」
「その案は悪くない。貧民の素行が問題ならば、まず彼らが自衛できるだけの教育と訓練を施せば良い。自分たちに利する施設を守るのならば暴動も抑え込むだろうし、余計な費用もかからない。そのうえで教養を施せば良い」
エリスの時とは異なり、さすが百官長の息子、ヴァルドラ家の嫡子と褒めやそす声が聞こえる。
「なるほど、面白い。エリス君と、リディアン・ド・ヴァルドラ君の案は今後、政策会議に素案として検討できるよう手配しよう。ほかの者もグループで考案した案を提出するように」
授業が締めくくられ休み時間になると学生たちは散っていく。エリスはリディアンが動き出す前に彼の席へと駆け寄った。
「リディアン、ありがとう。お陰で助かったわ!」
「ふん、君の案も悪くないと思ったまでだ」
「ふふ、貴方も私を平民だと馬鹿にしないのね。お友達になってくれる?」
「っ! ま、まぁ君がどうしてもと言うのなら……」
リディアンはエリスの笑顔にどきりとして照れ隠しにそっぽを向いた。その様子を見ていたアレクシスは「ちっ」と舌打ちをする。隣にいたロザリアは行儀が悪いと咎めようと思うも、また反目されるだけと思い口を噤んだ。殿下だけでなく他の貴族にも手を出すなど――そうエリスへの嫌悪を募らせて。
「ありがとうアーサー! 私、ようやく踊れるようになったわ!」
「ははは、これは直向きなお前の努力の結果だ。このアーサー・オブ・ブレイズが見届けたんだ、胸を張れ!」
ダンスが踊れないエリスの面倒を見ていた近衛騎士団長の令息アーサー。エリスが笑顔を向けてお礼を言うと頬を赤く染めるも、大声を出して誤魔化していた。放課後の練習場。用事を済ませ偶然に通りかかったロザリアはその光景に目を細めて溜息をついた。
魔力制御の授業。簡易な魔力循環をして自分の属性魔法を手のひらから出すだけの簡単なものだったがエリスは苦戦した。エリスが特待生として入学できたのはその膨大な魔力を見出されたからであり、魔法が使えないと分かれば用無しと判断されることになる。エリスは必死だった。彼女の家の事情を知るロザリアは冷めた目でその様子を見ていた。
「違う。何だその制御は。貴様の雑な性格が滲み出ているぞ」
「もう一度、もう一度、お願い、ルシアン!」
「……その根性だけは認めてやろう。続けるがいい」
ペアになり簡易的な魔力回路を作り循環させ、感じた魔力を放出するという初歩の授業。多くの者が成功する中、最後まで失敗を続けていたエリス。宮廷魔導官令息ルシアン・ダ・ザカリアスはその才能を認め、根気良く成功するまで付き合い、彼女の聖魔法の才能を開花させることに成功するのである。
「まるで男を侍らせるハーレムです。妄想であればまだしも、現実で見かけると品性の欠片もなく不快ですの」
「そうねマリィ……でも彼女の努力は認めないと。あれほど真摯に取り組んでいる学生は他にいないわ、大したものよ」
ロザリアの称賛にマリアンヌは驚いた。当初、ロザリアはエリスに対して否定的だったからだ。
ロザリア自身は平凡な能力者だった。ただ、父ジークフリートの弛まず努力する背中を見て来たからこそ彼女も頑張った。母ヴァイス家の知を重んじる文化。父フロイエン家の武を重んじる文化。それに加えて父の友人であるレーベン侯爵令嬢から魔術についても手解きを受けた。ロザリアは皆の期待に応えるよう努力を重ねた。
そうして完成されたのがロザリア・オブ・フロイエンという、文武両道の非の打ちどころがない令嬢だった。ロザリアはその努力するストイックさを他者へも求めた。ゆえに、自分に甘い面のある者にはロザリアが厳しく映り、学院内で“氷姫”、“鋼の裁定姫”等と揶揄されるようになっていた。
「エリスよりも、殿下を始めとした高位貴族の令息が率先して風紀を乱していることの方が問題なのですわ」
ロザリアの言葉にマリアンヌは頷いた。エリスの言葉遣いや誰にでも分け隔てなく接する姿は今に始まったことではない。彼女が無礼であるというのは当初から変わらぬ見解。エリスは無礼な異端とされながらも、珍しい平民出身の努力家として遠巻きに見守られるようになっていた。
そんなエリスが嫌ならば関わらねば良いという結論に達していたロザリアは、近寄らないようにしていた。だが王太子妃としてアレクシスに同伴せねばならないことが多い。エリスが傍へ寄って来る時には嫌でも関わらざるを得ない。その度にロザリアがエリスに注意し、アレクシスが彼女を庇うという構図がロザリアの悩みの種だった。
「ロザリア様、そのように思い悩まないでくださいませ。ところで、週末の奉仕活動のお話をしてもよろしいでしょうか」
「ふふ、ありがとうマリィ。ええ、今週は炊き出しだったかしら」
ストレスの溜まる環境ではあったが、マリアンヌが寄り添ってくれることでロザリアは平静を保って学生生活を送ることができている。彼女が誘ってくれた孤児院での奉仕活動で、子供の純真さと触れ合えること、その後のマリアンヌとの交流時間がロザリアの数少ない癒しとなっていた。
そんなある日だった。休み時間に移動していたロザリアの目の前に、エリスがやって来た。彼女の
「アレクシス殿下、お話がございます」
「何だロザリア。急ぎの用事か」
平民のエリスとは他愛のない話で盛り上がっていたというのに、婚約者である王太子妃のロザリアにこの態度。ロザリアは胸の痛みを覚えながらも、国王レグナスの「長い目で見てやってくれ」という言葉を思い出し平静を装う。
「はい、改めて申し上げます。皆、殿下のなさりように困惑しておりますわ。本来、学院の平等とは機会の平等を指すものであり、王国の根幹を為す身分制を否定するものではございません。殿下は率先して序列を示されるべき立場のお方。相手が不勉強で距離を誤っているのであれば、それを指し示すことこそ……」
そのロザリアの言葉にアレクシスがうんざりした表情を浮かべたときだった。
「ねぇ、ロザリアさんだっけ。アレクシスの婚約者なんだよね? 彼、こんなに嫌がってるよ。婚約者なら、もっと彼のことを考えてあげたら?」
アレクシスを庇うようにエリスが前に出てロザリアを批判した。ロザリアは一瞬、頭が真っ白になった。誰のせいでアレクシスが道を踏み外しているのか。誰のせいで皆が困惑しているのか。アレクシスの身分に注意できる唯一の立場の者は誰なのか――その無神経な言葉は、彼女の堪忍袋の緒を切断するのに十分だった。
――パアン!
「お黙りなさい!! 平民の分際でわたくしに口答えなど許されるものではございませんわ!!」
怒りの形相を浮かべたロザリアの平手打ちに周囲はしんとした。この女が元凶だ、この女さえいなければ、とエリスに歩み寄り問い詰めようとしたロザリアの前にアレクシスが割り込んだ。
「止めろロザリア! また彼女をいじめるのか!」
「殿下、これはいじめではございません! その平民への教育でございますわ!」
ロザリアはアレクシスの後ろに隠れたエリスへ歩み寄ろうとした。
――バシン!
「あぅっ!?」
「下がれ、ロザリア!! これ以上は許さん!!」
ロザリアの身体に衝撃が走り、地面へと伏せる。今度はアレクシスがロザリアの肩を叩きつけたのだ。女性に手を上げたことに一瞬の戸惑いを見せたアレクシスは、表情を直してロザリアを見下ろしていた。エリスの前にはリディアン、アーサー、ルシアンが壁になるように立ちはだかっている。
「で、殿下……?」
「ロザリア、お前の心根はそこまで卑しかったのか」
「殿下!? 何を仰います! わたくしは殿下のためを思い……」
「エリスがいつお前に害を為した? 俺は迷惑など被っていない。彼女はいつも笑顔で俺たちを癒してくれる。貴族の陰湿な関係性よりも、よほど平和的だろう。そこまで身分に拘泥して対立を好むなら学院にいる間は俺に関わるな!」
アレクシスはそう言ってエリスを連れて去って行った。観衆たちはアレクシスとロザリアの不仲が真実なのではと小声で囁きながらその場を離れていく。さめざめと涙するロザリアにマリアンヌだけが寄り添っていた。
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