第8話 寄り添うアマリリス
取り乱すカタリーナに駿は困惑していた。自分はジークフリートではない、彼は別のところにいると教えて安心させるわけにはいかないのだから。
頬を伝う涙を拭うこともせず、ただひくひくと肩を上下させ駿を見つめるカタリーナ。その目で訴える彼女の気持ちの強さに罪悪感が募る。けれども、自分のために泣いてくれているこの女性を少しでも安心させてやりたかった。
「カティ。ほら、俺は大丈夫だから」
泣かなくても良いんだと伝えたい。頬を流れるままにしているその涙を指で掬う。そして、ずっと強張っていたであろう自分の表情を緩めて笑顔を作る。この強面の笑顔で安心してくれるのかと不安になりながらも。
「ほら、綺麗な顔が台無しになってしまう」
「……ぐすっ、ジークフリート様……ああ、貴方は……忘れてしまわれていても、変わらずっ……お優しいのですね……」
カタリーナはそっと駿に身体を預け、その胸に額を押し当てた。不覚にもその赤い髪から香る甘い匂いにどきりとした駿だが、彼女が泣き顔を見せぬために隠れているのだと悟るとその動揺を押し殺し、その肩に腕を回して彼女の震えが収まるまでじっと待った。
やがてカタリーナはハンカチを取り出し横を向き、体裁を整えて駿と向き合った。泣き腫らした顔ではあるが、再び、きりとした表情が戻っていることに、慰めることができたとほっとした。
「……ジークフリート様」
「うん」
「その……お困りなのですよね? どのように振る舞われれば良いのか、お忘れなのでしょう」
「っ…………」
カタリーナの『忘れている』という勘違いに乗っかることに、騙している罪悪感が返事を押し止めた。ただでさえ彼女を傷つけているのに、と。するとカタリーナは駿を見据えて言葉を重ねた。
「私はこれまで、貴方にずっと支えられてまいりました。幼き頃のあの言葉で自立する力を教えてくださったことも。ソルア神聖学院で『陽炎のアマリリス』と敬遠された私に孤高を教えてくださったことも。レーベン家の次期当主として自信のないところを勇気づけてくださったことも。ずっと、私を支えていただきました」
熱のこもった口調で語られるジークフリートの姿。それは駿が知る『輝聖のアルマリア』で裏切り者として登場する姿からは、到底知ることのできなかった人物像でもあった。
「ですから、今度は私が、私が支えます! どうかどうか、私を貴方のお傍に置いてください!」
カタリーナの声には、覚悟と強い決意が込められていた。その真剣さに圧倒された駿。カタリーナは駿の手に手を重ね、じっと彼を見つめていた。
ふたたび包まれたその温もりは駿の緊張を溶かすように語り掛けてくる。自分のためにこれだけ思ってくれている――それだけでも絆されて頷いてしまいそうだったが、騙しているという罪悪感がまだ燻っていた。
だけれども、ただ安息日の半日を過ごすというだけでもこれだけの問題を起こしてしまった自分を鑑みて、誰か理解者の助けがなければやっていけないことも事実。それに彼女の助力はきっと妻子――イザベラとロザリアを連れ戻すために必要になる。結局、この提案が自身の助けになるかもしれないという魅力に駿は抗うことはできなかった。
「わかった、お願いします」
カタリーナの顔に、今日、初めての華の咲いたような笑顔が浮かんだ。駿は胸の奥に温かみを感じたが、やはり騙しているという罪悪感も同居していた。いつかこの笑顔を裏切る時が来るかもしれない――その一抹の不安も消すことができない。ただ寄り添ってくれる彼女の存在が、何の頼りもないこの世界ではありがたかった。
当主ご乱心――そんな噂で持ち切りだったフロイエンの屋敷から、その日のうちにその噂話が立ち消えたのは、カタリーナによるフォローの賜物であった。彼女は、ご当主はメイドや料理人の仕事を理解し、より皆の仕事がやりやすくなるよう手配するために
「カティ、助かった」
「これもジークフリート様のご威光の賜物です」
そして改めて執事も入らぬようにしてから、カタリーナは駿にあれこれと当主としての基本的なことを教えた。
屋敷での服装は軍服よりも貴族の一般的な光沢のあるシルクの服が良いことを聞けば「鎧や軍服ばかりはおかしいと思った」と安堵し。メイドや料理人、庭師といった屋敷に仕える者たちはプライドを持って仕事をしているので、その仕事を奪ってはならず、気遣うのであれば仕事を褒めてやれば良いと教われば、「俺の知らない秩序があるんだ」と納得し。
説明を嚙み砕き丁寧に伝えてくれるカタリーナのおかげで駿は何とか屋敷内での立ち振る舞いについて理解していく。落ち着いて優しく諭すようなカタリーナの声を耳にするうちに、彼女への感謝と畏敬の念が増していた。駿はそのことに悪い気がしなかった。
「ジークフリート様。明日以降は執務がございますが、そちらの目途は立っていらっしゃいますか?」
「え? いや、まだだよ」
「ほら、子供のような口調は改めてください」
「んんっ……ああ、まだであるな」
口調はすぐに改まらない。これは意識をして直さねばと自分へ言い聞かせ、ふと窓へ目をやれば、すっかり日は暮れていた。しまった、彼女が帰る時間を奪ってしまったと駿は慌てた。『輝聖のアルマリア』の世界は、夜は闇の魔素が増えるため、魔物の活動が活発になり危険だからだ。
「カティ、すまない。夜になってしまった」
「構いません、承知の上です」
駿はごめんと頭を下げようとするが、カタリーナはそれを手で制する。
「でしたら今夜はこちらへの滞在をお許しください」
「もちろん。夜に外へ追い出すなんてできないよ……あっ」
また口調が、と慌てる駿にくすりとするカタリーナ。
「ジークフリート様、明日以降の執務もお困りでしょう。乗りかかった船です、当面滞在いたしますので、どうぞ私をお使いくださいませ」
駿はこんなに優秀な美人令嬢からの厚意が、ジークフリートの過去の関係性だけでもたらされるものなのかと少し不安を覚えたが、向けられた笑顔にじわりと胸が熱くなるのを感じて、考えても仕方がないと割り切ることにした。
頷いた駿を見て、カタリーナは嬉しそうに微笑んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます