第2話 異世界から戻る方法

「いや、これどうなってんだよ……」


 駿は姿見で自身を見つめながら呆然とした表情を浮かべた。そこに映るのは、まさに『輝聖のアルマリア』に登場するジークフリートという男。豪華な鎧姿、立派な髭と筋肉質の体つき。どう見ても自分ではない。だが、鏡を触っても、体を叩いても、表情を歪めても、この身体は間違いなく自分の意思で動いていた。


「これが、俺……? ジークフリート……?」


 机の上にあった手紙をもう一度確認する。確かに『ジークフリート』の名前が書かれている。そして今、彼の妻と娘が王都に帰ったことも事実だ。


 昼下がりの光が窓から入って来て、ほんのり温かい部屋。その光にちらちらと舞う埃が、何でもない時間の経過を物語る。冷たく重い鎧と、花瓶に刺さる黄色い花の香りがあまりに現実を突き付けてくる。


 もう一度、掌を見ようと腕を上げれば、ギチリと鎧が軋み、その重みが腕を押さえつける。まるでこのまま飾りのように動くなと言われているようだ。


「どうして『輝聖のアルマリア』の世界に……」


 駿は頭を抱えた。王道乙女ゲーム『輝聖のアルマリア』。その物語に登場する敵キャラの悪役令嬢、ロザリア・オブ・フロイエン。その父親がジークフリート。モブに転生するような異世界転生の話もあるが、中途半端に主人公から遠いキャラクターへの転生だ。物語に関われるのかも怪しい。


「なんで、よりによってジークフリートなんだよ」


 ジークフリートは物語の舞台であるルクスリア王国を裏切り、最期は壮絶に戦死する運命を持つ男。まさに自分が今その立場にいる。つまり――。


 このままどうなってしまうのか。駿は頭を振り考えないようにした。不安ばかりが募り、どんどん動悸が早くなってしまいそうだったから。


 それでも浮足立った気持ちから押し出されるような疑問は尽きないが、問題はそこではないことに気付く。


 ……そもそも死んだという自覚がない。平手打ち程度で死ぬか? これは転生なのか?  転生の物語は、転生トラックとか、転生ブラック(企業)とか、あるいは病魔とか、そういった装置にお世話になって転生するものではないのか。


 死んでないなら転生ではない。だとしたら元の世界の自分も生きているはずだ。


「……そうか! すぐ戻れば!」


 そうだ、戻れば問題がない。この世界で死ぬこともないし、こんなに不安になることもないんだ。そう自分を鼓舞する。


 すぐに現実世界に戻るのだ。杏奈が部活を止めるかどうかの話で莉央を怒らせたままなんだ。いつもの夕食メニューを任せきりにしてしまったのとは違う。もう一度、話を聞いて決めてあげれば良いだけなんだ。早く謝って許してもらって、またあの笑顔をみよう。


「……笑顔?」


 ふと、駿は不安に襲われた。彼女の笑顔をここしばらく見ていない。いつも彼女が笑顔を向ける相手は自分ではなく杏奈だ。自分に向けられるのは能面のような無表情のことが多かった。


 最後に見たあの雰囲気。初めて見る怒り方で、しかも初めて叩かれたのだ。尋常ではなく怒っていた。あれは本気の本気で怒らせてしまったのだろう。決断を任せてないでもっとしっかり話を聞いていれば良かった。


「家を出るというのも本気かもしれない……!」


 ならば、余計にすぐに戻らなければ。必死に土下座くらいすれば許してもらえるかもしれない。愛しの杏奈まで連れて行かれてしまったら、あの家に独りぼっちになってしまう。そんなのは御免だ。何としても家出を止めなければならない。ショックを受けている場合じゃない。


 駿はもう一度、頭を振り気を取り直した。平手打ち程度で死ぬわけがない。何かの間違いだ。きっと何かここに引っ張られた理由があるはずだ。ならば、同じことを起こせば戻るはずなんだ。


 そうして駿は考えた。ここに来た瞬間にあったことは何か。魔法陣もない、神様からの声掛けもない、まさに一瞬だった。そう、一瞬。


「衝撃だ……あの平手打ちでここに来たんだ!」


 そして彼はひらめく。もしかしたら同じように強い衝撃を受ければ元の世界に戻れるかもしれない! ここに来たきっかけはそれしかない!


 そう考えた駿はすぐに行動に移した。


 まずは、軽く自分の頬を叩いてみる。


 ペチン。


「……いや、こんなんじゃダメだろ」


 次に、少し強めに自分の顔を叩いた。


 パシン!


「いって……でも梨央はもっと強かったか。倒れるくらいじゃないと……」


 今度は思い切り自分で頬を叩いてみる。鎧の重量で腕に慣性がつき、予想以上に腕が振り抜かれた。


 バチィィィン!


 良い音がした。悶絶する。しばらく腫れが残りそうなくらいの強さ。梨央のそれよりも強烈だった。


 だが痛烈な一撃でも戻る気配も無い。戻れるのかとまた不安がもたげてくる。


「くっ……何か足りないのか?」


 もしかして自分じゃダメなのか。なら、あの執事に叩いてもらう? ……ダメな予感しかしない。莉央に叩かれてこうなったのだ、女性である必要があるかもしれない。だが時間がない。今すぐにできるのは、とにかく気を失うくらいに刺激を強くするしか無い。


 ふと目に留まったもの――大きな陶器作りの置時計。重厚感のあるそれを見た駿の頭に、サスペンスの殺人現場の様相が浮かんだ。


「こいつなら気を失うくらいイケるだろ!」


 駿は置時計を手に取り、その重さに一瞬ひるみながらも決心する。程度を誤れば死んでしまうくらいの威力があるはずだ。


「これで一発やれば……!」


 自分に言い聞かせ、置時計を振りかぶった。ぶん、という音に背筋を冷やしながら。


「おりゃあぁぁぁあああ!」


 絶対に脳震盪を起こす! ……って、あれ? これ、死なない?


 ゴチィィィンッ!


 視界が真っ白に染まる。目から星が出るとはこういうことか、と、妙に納得しながら駿の視界がぐにゃりと歪む。痛みが後からじわじわとやってくるが、その痛みが感じられる前に彼の体は平衡感覚を失い、後ろに倒れ込んだ。


 どさリ、とソファーの上に倒れ込む駿。意志に関係なく目が閉じる。幸か不幸か、予定通りに意識が遠のいていく――。


「これ、戻……れ…………?」


 これで梨央に謝りに行ける。すぐに彼女のところへ行けるはずだ。そうすれば――


 莉央の、杏奈の笑顔が浮かんだ。


 戻ったら実家になんて帰ってて、家に独りなんてことはないよな?


 強すぎる痛みと泥沼にはまったかのように引き摺り込まれる意識。


 まさか、このまま死なないよな? この方法で良いはずだよな?


 そうした不安もすぐ、意識と共に闇に沈んでいった。



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