騎士団寮のシングルファザー

古森きり@『不遇王子が冷酷復讐者』配信中

事故と召喚



 妻と別れ、十歳になった娘の手を引く。

 高遠悠来たかとうゆうきはこれから新しく借りたアパートに帰るところだった。

 駅に向かう為の横断歩道を待ち、腕時計を確認する。

 電車までは十分。

 荷物はすでに送り、家は引き払った。

 悠来は売れない俳優。

 仕事もなく、金銭面に余裕が一切なくなり、この先の娘の人生を考えると付いて行けないと妻に言われ別れる事になったのだ。

 悲しくもあったが自分の収入を思うと受諾する以外の選択肢がない。

 お互い、本当はそれ以外の道があればと心の中で思っていたと思う。

 少なくとも妻、いや、元妻歩美の両親は許してくれなかったのだ。


(仕方ないよな……。俺がなかなか仕事を取ってこれないんだもんなぁ。ただ好きな事してても生きてけないし……でも芝居以外、オレ、取り柄ないしなー……。歩美には感謝しかないや、こんなオレに、十年も一緒にいてくれたんだから)


 我ながら優柔不断だ、と溜息を吐く。

 それを見上げてきた娘、真美まみに微笑む。

 離婚が原因で、学校で色々と同級生に言われたらしい娘は、最近笑顔が少ない。

 離婚だけでも幼い我が子にはストレスだっただろうに。


「真美、本当にお父さんで良かったのか? お父さん、超ビンボーだぞ?」

「うん! 演技してるお父さん好きだし! それに田舎とかやだ!」

「…………」


 元妻、歩美の実家は九州にある。

 何度か行った事もあるが、確かになかなかの田舎では、あった。


(真美……オレのせいで……。……俳優、やっぱ潮時なのかな。定職について、真美を大学まで行かせる。歩美は応援してくれたけど、増税されてからますます家計は苦しくなったし……うん……)


 仕事を本格的に探そう。

 これから娘に寂しい思いをさせるかもしれないが、生きて行く為には仕方がない。

 赤ちゃんの頃からおしめを替えたりミルクをあげたり、おねしょの布団を取り替えたりお風呂も着替えも、全て悠来がやってきた。

 コールセンターで働く歩美のおかげで収入は安定し、悠来は子育てと俳優業に専念。

 全て歩美が支えてくれたおかげだ。

 だが、歩美だけを働かせる悠来を、歩美の両親は許してくれなかった。

 無理もない、娘を幸せにすると言われて送り出したのに、その男は娘を働かせて苦労ばかりさせる。

 悠来がもし、真美をそんな風に扱われたら、例えそれが真美の意思でも許せない。

 十歳の娘は大人が考えているよりも遥かに賢く、そして多感だ。

 両親が離婚した理由も、祖父母の反対の理由も、察してはいるだろう。

 その上で、悠来の元を選んでくれた。

 ならば悠来が真美にしてやれる事は、彼女を立派に育て上げる事だ。

 俳優という夢はきっぱり諦め、趣味の範囲に押し留め、歩美のようにコールセンターででも働こう。

 俳優としてやってきた悠来は「声が良い」とよく褒められる。

 あとは、少しでも節約出来るようにテラスの家庭菜園を少し増やす。

 他に出来る事……真美には家事を手伝ってもらおう。

 彼女が、もし万が一自分が先立つような事があっても、しっかり自立して生きていけるように……。


 ピピー、ぱぽう、ぱぽう……。


「あ」


 信号が青になりました。

 機械的な声に顔を上げて、娘の手を取る。

 そろそろ卒業かと思った手繋ぎを拒まれなかった事に安心して、一歩踏み出した。

 交差点内はすでに多くの人が渡り始めている。

 ゆらゆらと陽炎がコンクリートの道路を揺らす。

 今年の夏も暑そうである。


「え? なに、やばくないちょっと!」


 誰か、年若い娘さんが指差す。

 数人がその声にそちらを向く。

 悠来も走り出した人があまりにも慌てていたので、その背中を向けた方向を見てみた。

 目を剥く。

 ギィーン、という音。

 普通乗用車が一メートルのところ……そう、目の前にあったのだ。

 フロントガラス越しに運転手の老人と目が合う。

 娘を庇う余裕すらない、と頭の片隅で、スローモーションの世界の中で思い至る。


 死ぬ。


 とても単純な答えが出て、その答えになにも抵抗が出来なくて愕然とする。

 それでも真美だけはと体を動かそうとした。

 世界が真っ白になる。


 死んだ。




 そう思った悠来を、誰かが揺さぶる。


「……おい、おい! 大丈夫か!」


 男の人の声だ。

 かろうじて助かったのだろうか?

 ぼんやりと目を開ける。

 草。

 そう、草が見えた。


「……………………」


 草?

 アスファルトの道路ではなく?


「え?」

「気が付いたか! 大丈夫か!?」

「あ、え? は、はい?」


 ガバリと起き上がる。

 起き上がる事が出来て、そこに混乱が生じた。

 草の上。

 そして森の中。

 声を掛けてきた男性は洋服でもリクルートスーツでもなく鎧!

 目を見開いた。

 そして、木々の隙間から見える青空。

 青空を貫くように佇む城。

 鎧の男は淡いクリーム色の髪、緑色の瞳と外国人にしか見えない。

 車に飛ばされて近くの公園でコスプレでもしていた外国人に見付かった……いやいやそんなバカな。

 頭を抱えていると、草を分けた足音が近付いて来る。


「団長! 成功したそうです!」

「! そちらは?」

「分からん、急に光が落ちてきて……そこに彼がいた。どうやら怪我をしているらしい。魔物に襲われたのかと……今声を掛けていたんだが……」

「光、ですか?」

「…………」


 鎧の男が増えた。

 派手な緑の髪と目の鎧の男。

 対照的な赤い髪と紫の瞳の鎧の男。


「大丈夫、か? その、見ない格好だが……なぜ城内に? それにその怪我は一体どうした?」

「……………………」

「言葉が分からないのでしょうか?」


 状況が分からず、そしてぐるぐると頭が掻き回されるような感覚。

 それでもすぐに思い出した。


「真美……」


 辺りを見回す。

 いない。

 自分だけだ。


「! 真美! 真美! 娘……オレの娘……! なんで!?  さっきまで一緒に……!? あ、あんた! なあ、ちょっと、知りませんか!? オレの娘! 真美っていうんだ! 十歳の女の子で、今日は黄色いワンピースを着てて……髪は黒……!」

「え、あ、む、娘?」

「娘! 娘です! 一緒にいたはずなんだよっ! でもく、車……あ、ああ、そうだ、車がものすごいスピードで、つ、突っ込んで、きて……それで真っ白になって……娘は! 真美はどこに……!? た、頼む! 知らないなら病院……いや、警察は!?」

「っ、落ち着け!」


 淡い金髪の男に縋り付く。

 しかし、相手も困惑気味。

 その事を悟ると、悠来は立ち上がった。


「っ!」

「怪我をしていると言っただろう!」

「離せ! 真美を探さないと……!」


 膝や腕から血が滲んで、立ち上がった途端痛んだ。

 だが、そんな事を気にしていられない。

 あの子はどこだ。

 あの子の無事な姿を見ないと、落ち着くなんて無理だ。

 森に向かって名前を呼ぶ。

 悲鳴じみた声が出た。

 そのうち痛みも気にならなくなり、すいすいと歩けるようになる。


「真美! 真美ー! どこなんだ! 返事をしろぉ! 父さんはここだ! おーい!」

「落ち着け! 捜索するのなら我々も協力する! 君一人で探すよりはその方が早くに見付かるだろう!」

「っ!」

「特徴をもう一度詳しく教えてくれ。歳は十、と言っていたな? 黄色いワンピース……髪と目の色は? それと、靴だな。髪型も……」


 次々に挙げられる質問と、真剣な眼差しにゆっくり息を吐き出す。

 知らず知らず強張っていた体から、わずかに力が抜けた。

 彼の言う事は、最もだ。


「あ……か、髪は、髪は黒、目も黒……。髪型は肩くらいまでで、今日は、結んでない……靴は白いスニーカー……」

「聞いたな。ウォルは手の空いている者をとにかく集めてきてくれ。ハーレンは城に迷子の問い合わせを。もしかしたら別な場所ですでに保護されているかもしれない」

「はい!」

「分かりました」

「君は一度我々の詰所で怪我の手当てを。ついでに、娘さんの特徴を書き留めたメモを作る。情報共有の為だ。協力を」

「…………、…………わ、分かった……い、いや、分かり、ました」


 暗に『歩き回るな』と言われた。

 その事を理解出来る程度には、冷静になったのだろう。

 手を引かれ、森を歩くと次第に膝の痛みがじゅくじゅくと広がっていく。


(いっぅ……結構えぐれてんな……)


 血はすでに固まっているが、範囲が広い。

 なにがどうなっているのか。

 あんな速度で車に突っ込まれたなら死んでいてもおかしくはないだろう。

 しかし、膝以外に特に痛むところはない。

 服はかなり汚れている。

 地面に擦れて穴になっているところもちらほら。


「っ」

「大丈夫か? …………」

「え?」

「乗れ。その方が早い」


 男がしゃがみ込んで、背中を差し出してきた。

 これは……まさか「乗れ」という言葉とともに導き出した答え。


「い! いやいやいやいや!」

「娘さんの捜索に一刻も早く戻りたいなら乗れ。君くらいなら、問題なく背負える」

「…………うっ」


 そう言われてしまうと、選択肢は一択になる。

 激しい恥辱に耐えつつ「お邪魔します」と消えそうな声で漏らし、素直に背中に乗り込んだ。

 全ては真美を一刻一秒でも早く探し出す為。

 その為に、仕方なくだ。

 冷たい鎧の下に感じる体温。

 ほんの少し汗の匂い。

 がしゃん、と金属の擦れる音。


「しっかりと掴まっていてくれ。滑るだろう」

「……す、すんません……」

「そういえば名前をまだ聞いていなかったな」

「あ、あぁ……えっと高遠と申します」

「タクォト?」

「高遠です」


 ニュアンスがおかしい。

 二回目も、同じように「タカトゥ?」とニュアンスがおかしい言い直しをされる。


(見た目からして外人だし……仕方ないのか? いやいや、でも、そもそも……)


 森の木々の隙間から見える洋風の城。

 駅の近くにこんな城も公園もない。

 それに、駅に向かっていたのになぜ森の中にいるのだろうか。

 駅の側に森などなかった。

 公園もなかった。

 では、ここはどこなのか……?

 轢かれたなら目覚めたのは病院……なら分かる。

 それともここは病院内の庭かなにかなのか。

 いや、それならベッドの上にいるはずだ。

 地べたに転がされているはずもない。

 まさかあの老人、自分や真美……轢いた人たちを近くの公園に捨てた?

 いや、あんな老人にそこまでの事が出来るとは思えないし、横断歩道付近には人がたくさんいたのだ。

 誰かが救急車や警察に連絡しているはずだろう。


「…………」


 思い出しただけでも手に汗が出てくる。

 冷や汗だ。

 全身の熱が引いていくような、そんな感覚に襲われる。

 ニュースで増えているとは言われていたが、まさか駅を目前に、まさか自分が、あんな目に遭うなんて。

 明日は我が身とはこの事か。


「どうした、急に黙って」

「あ、いや……あ、あの、失礼ですがあんたは……」

「ああ、失礼。俺はリュカ・ジェーロン。騎士団の団長を務めている」

「…………そ、そうなんすか、すごいっすね」


 これは、入りきっている人、だろうか。

 だとしたら優しく付き合ってあげるのが大人というものだ。

 悠来も俳優の端くれ。

 その気持ちは分からんでもない。

 目を閉じて一人頷き、同意してあげる。

 外人さんはコスプレが大好きなんだ。

 それにしては、とても立派な鎧だと思ったが。


(本物みたいだな、スゲー。なにでで出来てるんだろう? プラスチック……じゃない、マジの金属……鉄か? いや、なかなか体温でも温まらないし、なによりこの重厚感……。スゲーな、どこでこんな精密な鎧売ってるんだ? お手製? 手作り? うちの劇団に入って欲しいな、この造形能力……)


 などとまじまじ鎧を観察している間に森を抜けた。

 森を抜けて最初に現れたのは広場だ。

 そして、訓練所のようなところ。

 その奥に建物がある。

 塔のようなところと、平屋のような建物。

 どちらも日本では見かけない形。


(こんなところ駅の側にあったか? この辺はそれなりに地元民として詳しいつもりだったけど……新しく出来たのか?)


 そんな話は聞いてない。

 町内の回覧板にも、新しく公園や観光や撮影に使えそうなレベルのこんな規模の建物を建てるなんて記載はどう考えてもなかったはず。

 市の箱モノだろうか?

 しかし、それにしてはなかなかの喧騒が聞こえてくる。

 バタバタと廊下を駆け抜けていく足音。

 なにかトラブルでもあったのだろうか?

 やけに騒がしい。

 しかしそれも、建物に入り、椅子に座らせられ、リュカと名乗った男が目の前に跪き、悠来の膝の上に手を差し出した瞬間に消し飛ぶ。


「かの者を癒せ。ヒール」

「ッッッッ!?」

「……他に痛む場所はあるか?」


 彼が呪文のようなものを呟いて、手のひらから光が漏れた。

 その光が膝に降り注ぎ、暖かい、と感じたら血の固まった膝は綺麗さっぱり元通り。

 さすがに破れていた部分は戻っていないが……怪我が消えた。

 恐る恐る触れてみるが、両膝とも怪我がすっかり治っている。


「え? え? えっ?」

「? ……ああ、聖霊術が珍しいのか?」

「せ、せ、せ?」

「聖霊術だ。君には見えないか?」

「っ?」


 辺りを見回す。

 彼が指差した方向を見ても、なんにもいない。


「? ? ?」

「まあ、そういう者の方が多いから致し方ない。さて……いや、しかし本当に奇妙な格好だな君は……隣国から逃げてきた奴隷、な訳はないな。汚れているが身なりが悪いわけではなさそうだし……それに、名前も変わっている……ふむ」

「ど……?」


 奴隷と言ったか?

 なんだそれは、とまた混乱してきた頭を抱える。

 ぐるんぐるんと頭痛が再開した。

 どうなっている?

 夢だろうか?

 しかし頭は痛い。

 手の甲を抓ってみても痛い。

 そして、破れたジーンズ。

 膝は綺麗に治っていて、手のひらはまた変な汗が出てきた。

 金属のぶつかる音に目線を上げると、リュカの腰に剣を見付ける。

 鎧同様、本物のような剣だ。


「まあ、いい。ええと……まずは娘さんの特徴を書き出しておこう。他にも思い出した事があったら教えて欲しい」

「……………………あの、ここ…………」

「うん?」

「…………こ、こ、ここは……日本、ですよね?」

「…………。なに?」


 険しい顔で聞き返された。

 頰を冷や汗が伝う。

 ぐるんぐるん、頭の中にあり得ない考えが駆け巡っていた。

 だが、少なくとも……日本で『セイレイジュツ』などという治療法はないし、これだけ立派な剣はハロウィンでもないのにお目にかかれない。

 なによりさすがにあの長さの剣は模造でも警察官に止められる。

 そう、ありえない。

 ありえないが、うっかり聞いてしまった。


「……………………まさか……」


(まさか……っ)


 奇しくも二人の脳裏に同じ予測が打ち立てられた。

 まさか————



『異世界召喚』、という言葉が浮かんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る