第53話

「セラフ……滝川、大丈夫よね?」


 車は現在、静穂市へと向かっていた。

 というのも、霧崎と一人の契魂者の手によって、静穂市の虚影侵食が治ったと聞いていたからだ。

 ……一人の、契魂者。私は、滝川さんだと確信していた。


「大丈夫ですよ。滝川さん……強いですから」


 それは、ルミナスさんを安堵させるためのつもりで放った言葉だったけど、自分自身に対しての言葉でもあった。

 車内には、マルタさんと芳子さんも乗っているが……静かだった。

 心配そうにしているルミナスさんを見ながら、そんなふうに純粋に感情を吐露できている彼女を……私は羨ましく思っていた。


 私だって……もちろん、滝川さんのことは心配だった。


 ……けれど、『セラフ』という天使はどんな時でも冷静で、優秀であることを求め続けられていた。


 そんな、周りが期待する自分を演じ続けてしまっていたからか、こんな時にも私は自分を騙すように冷静に振る舞ってしまっていた。

 

 とにかく今は――早く彼の無事を確認したい。


 外は、虚影の襲撃で無残に崩壊した静穂市が広がっている。瓦礫が積み上がり、道が途切れて、車が通れるのは片側のみだ。

 警察だろうか。誘導員の方に合わせ、片側ずつ車は動いているようだけど……まだしばらくかかりそうだ。


「……車で戻るのは大変そうですね。もう、静穂市は近いですし、歩いて戻りますか?」


 マルタさんの問いかけは、私たちが滝川さんを心配していたからこそだろう。


 私とルミナスさんは無言で顔を見合わせると、同時に頷いた。

 心の中でお互いの不安を共有でもしたような気分で、静かに車の外へと出る。外の冷たい空気が、重苦しい雰囲気をさらに強調していた。


 目の前に広がる光景は、惨憺たるものだった。瓦礫が散乱し、崩れ落ちた建物が街全体を覆っている。

 虚影や虚獣による爪痕が、どこまでも広がっていた。


「……ひどい」

「そう、ですね」

「……滝川。早く、行くわよ」


 ルミナスさんが呟いた言葉に、私も頷いて返す。

 進むたび、救助活動に追われている人々の姿が目に入る。

 あちこちで、救急車が動き、負傷した契魂者たちが運び込まれていく様子が見えた。


 痛々しい怪我を負った人たちの苦しそうな表情。誰かを失ったのか、すすり泣きながら肩を震わせている人々もいた。

 虚影との戦いが、どれだけの命を奪い去ったのか……この静穂市全体に、死の気配が漂っているように感じられた。


 そんな様子を見ていたからか、ルミナスさんが不安そうな顔とともに私の裾を掴んできた。


「……滝川は無事よね?」

「……大丈夫ですよ。滝川さんを信じましょう」


 それは自分に言い聞かせるように。

 滝川さんはきっと、大丈夫。彼を信じないといけない――そう自分に言い聞かせるしかなかった。


 私たちは歩みを進めていく。すると、目の前に救急車が止まっているのが見え、その隣には霧崎さんが立っていた。

 ようやく、見知った顔を見つけて、ほっと息を吐く。

 霧崎さんなら、滝川さんの居場所についても知っているだろう。


「霧崎さん……!」


 私は声をかけようと、一歩踏み出したその瞬間。救急隊員が担架に乗せた人を運び込んでいく様子が目に飛び込んできた。

 担架に乗せられている人物は――滝川さんだった。

 それも、かなり傷の状態が……酷い。


「――えっ……!?」


 目の前の光景に、体が凍りつく。息が詰まり、言葉が出てこない。

 滝川さんが……運ばれている。

 それも、周りの救急隊員たちは、血相を変えて治療を行いながら、何かを叫んでいる。


「滝川!」


 すぐにルミナスさんが叫びながら駆け寄っていく。

 私は一歩も動けなかった。

 滝川さんが運ばれていく姿を呆然と見ていることしかできない。

 心の中で、必死に「嘘だ」と否定したい気持ちが渦巻いている。


 その場で固まっている私を、霧崎さんがちらりと見た。

 駆け寄ろうとしたルミナスさんを押さえた霧崎さんが、彼女もまた、心ここに在らずの様子で呟くように口を開いた。


「……大丈夫。滝川は……まだ、息はあるから」


 そう言いながらも、霧崎の声は震えていた。


「急げ――」

「……この傷は――」


 救急隊員のそんな声を聞きながら、ルミナスさんがその場で泣き崩れる。


「あたしの、せいだ……」


 ルミナスさんが呟いた声は、私の耳に痛いほど鮮明に届いた。


「あたしが……滝川に……助けてあげて、なんて言ったから……こんな……っ!」

「違う……。私が、無茶なことを頼んだ、から……」


 ルミナスさんの言葉に、霧崎さんが申し訳なさそうに顔を歪める。

 皆、心のどこかでは滝川さんならば大丈夫だろうと思っていた。


 私だって、そうだった。


 滝川の姿が、次第に遠のいていく。まるで、彼がもう二度と目を覚まさないかのように――そう感じていても、私は動けない。

 心の奥底から湧き上がる絶望……どうしようもない感情に支配されていた。


 私が、もしも本気で滝川さんを止めていたら――。

 あの時、私がもっと強く彼を止めていれば……滝川さんをあの場所へ行かせなければ、こんな状況にはならなかったかもしれない。


 そんな後悔がいくつも浮かんでくる。


 私が、ちゃんと自分の気持ちに素直になって、わがままを言っていれば――。

 周りが思う『セラフ』を演じなければ……私が、私の気持ちとして……わがままを言えていれば。

 私は『良い子なセラフ』として、滝川さんの背中を押してしまった。


 私はいつだって優等生として、冷静で、誰も困らせない立場でいることが求められていた。

 だからこそ、滝川さんを送り出すしかなかった。

 心配じゃなかったわけじゃない。


 むしろ……滝川さんを止めたかったのに――。


 私は、自分自身に言い訳をしながらも、その後悔に押しつぶされそうになる。


「……ぐす、うえ……あたしのせいで、滝川が死んじゃう……!」

「ルミナスさん……」


 ルミナスさんは周りのことも考えずに泣きじゃくっていた。

 こんな時だというのに、私は涙を流すことさえできない。

 ……素直なルミナスさんが、羨ましい。

 運びこまれる予定の病院を聞いた私たちは、すぐにそちらへと向かった。




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